29:童女
〇前回のあらすじです。
『泉に来たユノが、先客のいるのに気づく』
十才ほどの女の子だった。
亜麻色の髪は少し伸びて、ユノの知っている印象よりかすかに大人っぽくなっている。
夜の静かな森に、ふたり分の声が沈む。
一瞬ユノは、彼女が誰だかわからなかった。口を開けて、ぱくぱくと確認する。
「えっと。パンドラだよね」
「はい」
はっきりと少女はうなずいた。その動きには、しっかりとした口調とは相反するような、童女らしさが滲んでいる。
背中までのびた巻き毛に、以前より肉付きのよくなった手足。魔鳥の羽は、おそらく形質をおさえる薬を服用して、なくしているのだろう。
彼女――パンドラと初めて出会ったのは、今年の晩夏である。奴隷商人の馬車に、パンドラはほかの捕まった魔族たちと共に、売りに出されそうになっていた。そこをユノが解放したのだ。その際、行商の男たちは殺した。
色々(いろいろ)とあって、当時はユノも荒んでいたのだ。
かと言って、その時のおこないを「人道に背く」とか、「人としてまちがっている」とは、ユノにはどうしても思えない。
それでも現在、殺人を忌避しているのは、【巫女】の少女に「もうやらない」と誓ってしまったからだった。そしてそれを、反故にしたくはない。
ともあれ。およそ一カ月である。
思い返せばたったそれだけしか経っていないのだが、ユノにはやたらと長いあいだ、彼女とは会っていないような気がした。
なお。パンドラは今、【霊樹の里】というところで暮している。はずなのだが。
「あっ。そうそう」
橙色の、ユノの持つ松明のあかりのなかで、パンドラは両手を合わせた。
「私、ユノさんにお遣いがあるんだった。セレンに頼まれたんだけどね」
黒い眉をユノはひそめた。
妖精の女族長であるセレンは、ユノをこの世界メルクリウスに呼んだ張本人である。
彼女は影ながらユノを手助けしてくれる一方で、手ひどく突き放すことも多い。油断のならない人物だ。
「そういう表情になるのもわかるけど……」
顔をしかめるユノに、パンドラは赤色の瞳を伏せて言う。
「なんていうか。ユノさん。セレンにはセレンの事情があるのよ。人間には冷たいかもだけど。ほかの……同じ妖精や、巫女、それに私にだってよくしてくれてる」
「こっちだってセレンさんの事情はよく知ってるよ。でも。見殺しにされた人たちだっているんだよ」
「そうかもね」
腰帯につけていた鞄にパンドラは手をかけた。大きなポシェットといった感じのものだ。
「……」
だが彼女は、なにかを警戒したようにあたりを見まわした。結果。ここでポシェットを開けるのはやめにした。
ゆるく首を振って、泉のさらに奥をパンドラは手で示す。
「精霊を探しているんでしょ。ビビアンっていう」
「知ってたのか……」
あまりいい気がしなかった。
「ねえ。セレンさんってば、ボクのことどこかで盗み見してるの?」
「しょうがないよ。だってユノさんの行動をみて、セレンはハルモニアさまを人間界に返すかどうか決めるって言ってるんだもの」
その名前もユノは聞いたことがある。ハルモニア――ペンドラゴン王家の末娘。
ここメルクリウス世界の安定を担う二柱――黄金の竜と、黒い竜。
前者がパンドラの言った【ハルモニア】であり、後者がかつて、【魔王】として人間から忌まれ、ユノが打ち倒した邪竜である。
この二柱が平衡を保ってはじめて、人間の世界は安寧をなす。
しかし数年前に、先代の黄金竜が崩御したのを機に、もう片翼の竜がいきおいを増し、それが魔物の軍勢をして、人間たちをおびやかすこととなった。
地球からユノが妖精に招かれたのは、メルクリウスが乱れた世にあった頃である。
邪竜の討伐のために彼は異界より呼ばれ、そして確かに、此を果たした。
その結果。魔物はいきおいを弱め、今がある。
だがその『現在』。人の世は平穏とは言いがたい。
原因としては、黄金の竜が、妖精のおさめる霊樹の里に隔離されているためであり、この一柱の『調停者』がいないために、人は人のなかに敵を求め、自ら知らず知らずの内に、魔王のいた頃と同等の――あるいはもっと酷い――混乱を築こうとしている。
ふと。ユノは思った。
(あれ。竜が人の世界にふたりともいないってことは……)
今の人間界は、誰も干渉する上位者がいないってこと?
神や悪魔を人の『上位』と定義するのもおかしな話だが。人の趨勢に彼らの存在が大きく影響する以上、そう言ってしまってもいいだろう。
なんにせよ。ユノは一抹の疑問を感じた。




