26:石の牢獄
〇前回のあらすじです。
『村長の家に、ユノが食べものを取りにいく』
〇
二人分の食事を両手に、ユノは慎重に夜道を歩いた。
灯りはあるものの足元に届く光は乏しい。
村長宅から階段を下りるところでまごつきながら、村から少しはずれた岩窟へ進む。
案内は無い。だが岩屋の入り口には灯篭が焚いてあり、闇夜に浮かぶ赤い灯をたよりに、ユノは、岩の洞にたどりついた。
岩窟は、崖を掘りぬいたような造りになっていた。
洞内の、壁にかかった松明をたよりにユノは奥をのぞく。ほとんど暗闇に隠れた内部に、ほのかに石材の格子模様が見える。
浅い階段をおりて、ユノは牢に進んだ。闇に慣れつつある視界に、ぬっと牢の前にかがみこむ影が映りこむ。
背もたれのない椅子に、鎧を着込んだ男が座っている。
黒いスポーツ刈りの偉丈夫で、顎には無精ひげが浮いていた。
ゆらり。壁かけ松明の火を照り返した男の双眸が、陰鬱な青い光となって、ユノを見あげる。
「あっ」
「おお?」
かすれた声がした。
太く、年配めいた軽さをはらんだ声音になつかしさを感じて、ユノは目を凝らす。
「どうして……。アドニスさん?」
「なんだユノか。久しぶり」
金属の篭手をつけた手をあげたのは、アドニスという剣士だった。
一年前に、王都から西の丘の町【コルタ】で、共に防衛戦を戦った間柄だ。
あの時。アドニスは急あつらえの部隊の隊長で、その副長を若い騎士――フレデリックという好青年が担っていた。
「元気そうでなによりだ。コルタ以来だよなあ……。おまえ、急にいなくなるもんだから、どうしたかと心配したんだぞ」
「その節はどうも」
ぺこっとユノは会釈をした。アドニスに指で示されて、彼の隣りに簡素なテーブルのあるのに気づく。
そこにある小さなテーブルに、スープとパンの食事をユノは置いた。
大きなトレイから、アドニスの分だけ先に、食べもののはいった皿や器を取りわける。
もう一人分はトレイごと牢に差し入れようとして、アドニスに止められた。
石の牢のなかに、一対の赤い眼が光っている。
灯りはなく、黒い空間の奥で、それは怯えるように遠くからユノのようすを伺っていた。
「あれは……?」
「ん? ああ。……フレデリックだ」
気にするな。というようなアドニスの返事に、ユノは声を失った。
もうひとり分の食事を、アドニスが椅子から立ち上がってユノから受け取る。
それを格子戸の下のほうに開いたすきまから中に差し入れた。
それからアドニスは椅子に戻った。
見やると、ユノはアドニスの腰に剣のないのに気づく。
使いこまれたブロード・ソードが、抜き身になってテーブルに立てかけられていた。
がああンっ!
牢のなかで赤い眼が動いた。食事の盆に取りつき、四つ足で這ったままむさぼる。
ちらりと松明の緋色に映った『囚人』のすがたは、耳の尖った、顔までを灰色の毛に覆われた獣だった。
かろうじて頭に残っている金の毛束と、全身を包むプレート・メイルにのみ、人間の名残がある。
まったくの別物。――と思いたかった。ユノの知っているフレデリックは、金髪にとび色の眼をした、正義感に満ちた闊達な若者だった。
それが。見る影もない。
「あの。フレデリックさんって――。副隊長の」
「かつてのな。あの後オレたちは、騎士団やめたんだ。まあ色々あったってことだな。今は冒険者やってる」
敢えてゆるいアドニスの語気から、騎士をやめた経緯について『触れられたくない』のだとユノは感じた。
訥々と。冒険者になってからのことをアドニスは話しはじめる。
「半年くらい前からかな。フレデリックの体に変化があった。体毛が少し濃くなったんだ。それだけならいいんだが、骨格まで変わってきてな。そこに【教会】の大粛清ときたもんだ。なんでも、人間が化け物になるっていうじゃねえか」
「それで……」
「装備で隠して教会の目はごまかした。で。あっちこっち旅をしながら、元にもどす方法を探したワケよ。デマもあったし、ここもその内のひとつだったけどな」
軽く息をついてみせて、アドニスはチュニックのウエストに巻いていたポーチから一本の小瓶を取り出した。
瓶のなかはカラだった。
元々(もともと)はなにかの液体が入っていたのだろう。透明なしずくが数滴、硝子の容器の内面にくっついている。
「数日前に、俺たちはこの村に来た。で。薬効があるってウワサの【泉】の水をもらった。それをためしにフレデリックにかけたんだ。すると、突然苦しみだして、」
牢のなかの『獣』をアドニスは親指で示した。
「あの様だ」
「悪化したと?」
「ああ。村長に相談したら『すぐに殺せ』と言われた。安全のためにな」
鼻でアドニスが嗤うのが、冷たい空気に響いた。
嘲笑は村長の判断に対してではなく。アドニス自身の戦士としての不甲斐なさに対してのものだった。
「……じゃあ?」
目をそらしてユノは訊いた。アドニスは、フレデリックを殺すだろうと思った。
それができる人だと思った。
首を横にアドニスは振るう。
「完っ全にグールになったら、俺が引導をわたす。だからギリギリまでようすを見させてくれって頼んだ。あれで時々、ましになるんだぜ?」
牢のほうにアドニスは顎をやった。
獣はもう食事を終えて、暗い部屋の底へと身を隠していた。
時々、ぐるる。ぐるるるる。とユノを警戒する声がした。
「……」
言葉が出なかった。
ユノはフレデリックのほうにはもう全然目を向けずに、ぼうぜんとアドニスを見つめていた。
その目つきは、ユノ自身自覚できるほどに冷めていた。アドニスの正気を疑うような、とんでもないまぬけをながめるような。
愚か者を見る目つきだった。
「馬鹿みたいだろ?」
とアドニスは、冗談めかしてユノに笑った。
「俺はまだ、なんか奇蹟でも起こって、フレデリックがケロッと完治するなんて思ってる」




