18:問い
〇前回のあらすじです。
『冒険者のアドニスとフレデリックが、村むすめのアリアに、泉の水をもらう』
〇
虫が飛んでいた。
ぷああ~ん……。
耳もとを羽音がかすめる。
ぱちんッ。
自分の頬を打つと、手のひらに大きめの虫がひっついた。
(やぶ蚊だ)
血はついていないので、吸われるまえだったのだろう。
潰れた死骸をズボンにこすりつけて、ユノはひとり森を歩いた。
山のふもとである。
木々(きぎ)は紅葉に染まっていた。
気候はすずしく虫が多い。
岩肌が目立ち、地形は起伏がはげしかった。整備された、道路のような道はない。
動物が通って自然にできた獣道をユノはすすむ。
地図もなく、草をわけてほそい通路をのぼっていく。
さらさら。谷には沢が流れていた。
水辺に人の住む地はあるため、せせらぎを目印に辿るかたちで上流を目指す。
――ぎ。……きぃ。
なにかがしなる音がした。
腰に巻いたの剣帯をユノは見る。
剣の揺れたものでも、肩かけ鞄のショルダーベルトがたてた音でもない。
木の枝にロープがぶらさがっている。
縄は垂直に下に向かってのびていた。
その先に、茶色い生きものがぶらさがっている。アナウサギだ。
だれかの仕掛けた罠にかかったのだ。前脚と後脚をロープでまとめて捕らわれて、抵抗も虚しく宙づりになっている。
きょろきょろとユノは辺りを見まわした。
(人は……。いないな)
うさぎに近きながら、ユノは剣の柄を握る。
黒い目をうるうるさせて、アナウサギは旅人に慈悲を乞うていた。
ひゅんっ。剣を一閃。
木から垂れたロープを切った。
やわらかい土のうえにアナウサギは落ちる。
ころがって、脚を拘束していたロープがほどけた。
うさぎは一散に逃げていく。
森の奥に、茶色い影がちいさくなっていく。
やがてうさぎは見えなくなって、ユノは息をついた。
罠にかかった獲物は、これまでにも何度となく見てきた。人がいなければ助けたが、それはユノに利己的な満足感をもたらすと同時に、憂鬱の種を発芽させもした。
もし。先ほどのうさぎに角の一本でも生えていて、「あれは魔物ですよ」と教えられれば。どうしただろう。
いきなり殺すとまではいかずとも、「罠にかかっているのを解放するかどうか」くらいは悩む。
そう考えたとき、かつて妖精の女性に言われた言葉を思い出すのだ。
宗教色の強い【コルタ】という町に滞在していた時。森の奥深くに住んでいた【魔族】の少女が、住民たちの迫害の末に殺された一件。
町人たちに逆上したユノに、妖精の族長セレンが投げかけた問い。
――あなたのやってきたことと、なにが違うんです?――
魔物と魔族のちがいは、ただすがたが動物か人型かの違いにすぎない。
そして化け物と人間の区分もまた、だれかが作って勝手に貼ったラベルの差でしかない。
化け物以外のなにかを無条件にたすけるたびに。
怪物である生きものを、罪悪感もなく屠る自分を自覚した瞬間に。
あの。セレンの疑問はユノの脳裏を過ぎり――。
蓋をしては、またひょっくり顔を出す機会をうかがうのだ。




