17:壁
〇前回のあらすじです。
『冒険者のアドニスとフレデリックが、魔物化をふせぐ方法を村長に相談する』
〇
「ふあーあ」
村長の家でアドニスは起床した。
腹立たしいまでにきらめく日ざしが、客間のあかり取りからベッドに注ぎこんでいる。
「おはようございます。アドニスさん。もう朝食いただきましたよ」
寝台に腰かけて身支度をしているフレデリックが言った。鋼鉄の【フルプレート・メイル】を、窮屈そうに折りまげてグリープを装備している。
「おまえ……。上司をさしおいて」
「『もと』でしょう。今はただの仲間じゃないですか」
「よくそんなこっぱずかしいセリフをシラフで言えるな」
にこやかに訂正する金髪の青年に、アドニスは顔をゆがめて答えた。
昨日。フレデリックの病をなおす――見込みのある【泉】について、村長から助言を受けた広間に出る。
大きな卓には食事がすっかり用意されていた。
山でとれたきのこなどの山菜に、川魚をシンプルに焼いたもの。
穀物は小麦のおかゆに無発酵の雑穀パン――俗に『黒パン』と呼ばれるものだ。
「ずいぶんお疲れのようじゃったな。起さなくて済まなんだ」
「我ながら情けねえ」
あくびを噛み殺して、アドニスは卓の向こうにいる老人にすすめられるまま席についた。朝食を摂る。
村の長の手前、行儀がよいとは言えない食べっぷりだった。寝坊はしたが、事を急く気持ちは昨日から変わっていない。
魔物化しつつあるフレデリックを、なんとかしてやりたい。
お粥をスプーンで掻きこむ壮年の男に、老人――村長は太い眉の下で目をほそくした。
「いまアリアはちょっとした遣いで出ておるでな。給仕がおらんでさみしかろうが……。もうすぐ戻るよって」
「めしの仕度をしてくれただけでありがたい。……てか。アリアって?」
「今日おまえさんたちを案内する娘の名じゃよ。昨日の」
「ああ。……あの子か」
アドニスは合点がいった。太い腕でくちもとをぬぐい、席を立つ。
自身も武装のために、寝室へもどろうとする。
「ただいま帰りました。エッダ村長」
木の扉をあけて、ひとりの娘がはいってきた。
長いブラウンヘアをふたつのおさげにして、手織りのバンダナを巻いている。
昨日はエプロンすがただったが、今日は厚手のシャツに七分丈のパンツで、手には何本ものボトルを抱えていた。
「おお。アリア。うわさをすればなんとやらじゃな」
よくわからないながら、アリアは「はい」と相槌を打つ。
村長――エッダというらしい――は、腰の曲った身体で、そわそわとアリアを出迎えた。
彼女の手もとをのぞきこむ。
「ほほー。バーコスのやつ、なかなかいい酒をくれたの。赤子が生まれたに、禁酒宣言をしたと聞いたが。こりゃ本気かな」
「ふふ。パイプの葉っぱももらってくれと言われましたわ」
「すばらしい。うむ。あれは身体に毒じゃてな。この老いぼれが尊い犠牲になるとしよう」
酒の瓶を一本取ると、エッダはたよりない手つきで自分の顔まで持っていって、ほおずりした。
ふ。とアリアがアドニスに気づく。
半袖にレガースすがたの彼を、「まだ準備がととのっていない」と判断したのだろう。
青い瞳を向けて、彼女は壮年の偉丈夫に言った。
「ご用意ができましたら言ってください。もう用事もないので、いつでも出発できます」
葡萄酒の虜になっているエッダを尻目に、アドニスは寝ぐせのついた黒髪を掻いた。アリアのものより色の深い青い目を泳がす。
「ああ――。着替えたらすぐ出るから。そのつもりでいてくれ」
寝室に取って返し、彼はいそいで身支度をした。
〇
朝の森は清新な空気で満たされていた。
どんぐり目当てにブタを放牧した農夫が、踏みかためた道を行く三人に手を振る。
てぬぐいを頭に巻いたチョッキすがたのその男は、先頭をいく女性に手をあげてあいさつをした。
「おおアリア。沐浴かい。――って。男をつれて、そんなわけないか」
わはは。と軽薄に笑う男に、アリアはあきれたように肩をすくめた。
答えない彼女に代わって、フレデリックが返事をする。
「ええ。ちがいますよ。オレたち、泉まで案内してもらっているんです」
「あー、そうかそうか。悪かった」
悪気は無かったが年頃の女の子(アリアは今年で十九才だ)に言うセリフじゃなかったと男は気づいて、機嫌をなおそうとする。
取りなす男にアドニスが訊いた。
「この季節に水あびは堪えるんじゃないか?」
「多少はね。でも村の民の日課だよ。一日に一回は、みんな身を清めに泉へ行く。おかげで万年病気知らずで」
「飲むんじゃないんですね。というか……。飲むのは勇気がいりそうだ」
自分の喉元をおさえて、フレデリックは舌を出しながらうめいた。
旅人のうわさでは『薬』と聞いていたから、【回復薬】のような飲み薬を想像していたのだ。
ばしばし。男がそばの木の幹を棒でたたく。彼の足もとで、何匹ものブタが落ち葉から木の実を探っている。
「奥に行くならついででちょっと木を揺らしといてくれないか。今年は実がなかなか落ちてこなくってな。たのむよ。アリア」
「もお。自分でやればいいのに」
「そう言うなよ。俺ももう年で……。術を使うのも辛いんだ。あとでチーズ持ってってやるから」
「しかたないなあ」
五十路の農夫に懇願され、アリアはため息をついた。手を振って別れる。
すこし道を行ったところで、フレデリックが訊いた。
「術がどうとかって話しでしたけど。アリアさん、気術が使えるんですか?」
「ええ。大したものではありませんけど」
手頃な樹を見つけて、ごつごつとした幹に手をあてる。
かるくアリアが念じると、大地がちいさく震え、根もとからくぬぎの木を揺らした。
ばらばらと枝先からどんぐりが落ちてくる。アリアはその作業を、もう二、三回くりかえした。
すげー。とフレデリックが呆気にとられ、アドニスが頭に当たった実をつまみ取りながら言う。
「ほーん。ミースの人はみんな気術が使えるのか?」
木をあおぎ見て、アリアはこれであの農夫に義理もはたしただろうと判断しながら。
「そうですね。たまにですけど、冒険者のかたもやって来て、術の継承を村長に相談することもありますよ。もっとも、最近ではそれもとんと無くなりましたが」
「精霊とか妖精って、だれでも気楽に会えるものなんですか。ドワーフなら、オレも王都で見たことがありますけど」
勢いこんでフレデリックが訊いた。
直に【精霊】に会って、自分の身体のことを相談したいのがひとつ。そして叶うなら、【気術】とかいう技を今後の旅の糧に得ておきたいのが、もうひとつの理由だった。
むずかしそうにアリアはくちを引きむすぶ。
「以前は妖精――ドワーフももちろんですけど――アールヴやホビットも、しょっちゅうここには来ていたんですよ。ミースの村民じゃなくても、人によっては、あっちこっちで見かけたと言います。さすがに精霊さまは、そこまで簡単にはすがたを見せませんけど」
「この辺でもなのか。そいつの領域じゃなかったのか? なのに見たことがないって。ほんとうに精霊の土地なのか?」
赤茶けた森林に、色あせた植物と、日々をいとなむ禽獣。地を這う虫たち。
アドニスの質問に、アリアは両腕をひろげて森全体を示した。
「魔物がいないでしょう? これは精霊さまのちからによるものなんです。それも魔王が倒れて以降に復活した恩恵ですが。どことなく、空気がおいしい感じしません?」
「さあ。オレにはわからん」
「でも怪物が出ないってのは、確かにここが聖域ってことなんでしょうね」
鼻をくんかくんか動かして大気のにおいを確かめるアドニスに、フレデリックはフォローするように言ってきかせた。
ふたりのまえをアリアが歩いていく。
〇
しばらくして、彼女は立ち止まった。
村からはそう遠くまで来ていないだろうが、途中何度も道を折れたり坂道をのぼったため、山のかなり深みまで歩いたと錯覚する。
「着きました。……入れるでしょうか?」
ふたりをアリアは振りかえった。
彼女は困ったようでいながら、どこか挑戦的な笑みで、戦士たちを見つめていた。
「ここ。ですか?」
ぼうぜんとフレデリックがまえ――アリアの手の示す先をながめる。アドニスもまた、目を凝らしてまえを睨んだ。
なにもない。
延々と自分たちが歩いてきたのと似たような森林が広がっているだけ。
そこには、想像していたような【泉】はおろか、水たまりひとつなかった。
「からかってるのか?」
若干犬歯を見せて、アドニスはうなった。
「見ててください」
手をのばして、アリアが森の景色にすすんでいく。
少女の手のひらが『ある地点』で垂れ幕にでも呑まれたように消えた。
臆さずに彼女はすすんでいく。
手から腕。低い鼻先。顔。――身体。と透明な壁……あるいは『ヴェール』に沈みこむように、アリアの全身は見えなくなった。
やがて木靴のかかとを最後に、完全に『景色』の向こうに消える。
まばたきも忘れて、アドニスとフレデリックは仰天する。
「どう……っ。なってんだ」
「手品じゃないですよね」
硬直が解けるや否や、男ふたりはアリアの消えた風景に駆けつけた。
どこまでもつづくかに見えた山林の風景は、しかし精巧につくられたかきわりのように、フレデリックとアドニスの進行を阻む。
恐々(こわごわ)と、アリアを呑みこんだ情景をフレデリックは手でたたいた。
まるで固く鎖された扉のように、それはふたりの冒険者の立ちいりを拒む。
ひょっこり。
透明な隔たりの向こうからアリアが顔を出す。
どわあっ。
悲鳴をあげて、アドニスとフレデリックは慌ててあとずさり、足をもつれさせてすっころんだ。
ひっくりかえった戦士たちを、アリアは漫然と見下ろす。
「そのようすだと、入れなかったみたいですね。泉はここをくぐってすぐのところにあるんですが」
「そうなんですか……」
起きあがり、フレデリックが落ち込んだ声を出す。アドニスは座りこんだ姿勢でうなだれる。
「ったく。精霊だかなんだか知らんが、意地の悪いしかけだよな。なんだって『この人はよくて。この人はだめ』なんて区別したがるんだか」
「きっとシャイなんですよ」
「……」
ぴっと人差し指を立ててアリアが微笑んだ。アドニスは「ンなわけあってたまるかっ」と苦笑いである。
「とはいえ。村長の言ってた、オレたちじゃ立ち入れないってのはこーゆことなんだろうな」
立ちあがり、アドニスが早々に村へ帰還するようふたりをうながした。
いくら『聖域』といっても、万が一という場合もある。それに魔物化していない野の獣や鳥類でも、鷲や猪、冬眠まえの熊となると、戦闘経験が豊富な冒険者であっても深手を負うこともある。
「泉の水だけでも持ってきましょうか?」
落ち込んだ金髪の青年を見かねてだろう。アリアが気遣わし気に言った。
ぱっ。とフレデリックは顔をあげる。
「いいんですか。お願いします」
「じゃあ。ちょっと待っててくださいね」
ふたたびアリアが透明な仕切りの奥に消えた。
期待に顔を上気させて待つフレデリックをアドニスが小突く。
「なあ」
「はい?」
「の……。飲むのか?」
顔色をわるくして、アドニスはフレデリックに訊いた。
老若男女問わず、村の民が入浴した泉の水……。
「それ以外に手段がなかったら、そうしますよ……」
とほほ。という感じで、フレデリックもまたアドニスと同じように顔を青くする。
ふたりの表情がどんより曇る。
ところへ、アリアがもどってきた。今度は顔だけを出すという横着はせずに、全身を泉のエリアから外に出る。
彼女の手には、硝子の小瓶があった。ボタニカルアートで使うような、ほそくて多角柱の瓶だ。
「まあ。効かないとは思うんですけど」
言いながら。しっかりとフタをした瓶をアリアはフレデリックの手に握らせた。
「やれるだけのことはやるさ」
とアドニスが返して、フレデリックが「どうして?」とアリアの推測に訊き返す。
アリアがフレデリックの顔をのぞきこむ。
間近で見ると、二十才まえの若いむすめの表情は、いなかくさくはあるものの純朴でしなやかな、質朴な可憐さとはなやかさを瞳の奥に湛えていた。
はっきりと彼女は伝える。
「魔物化って、病でも呪でもありませんから」
透き通る、冷たい水を満たした容器。
それを握りしめて、フレデリックはもうそれ以上、目のまえの娘にたずねようとはしなかった。




