16:ミース
・前回のあらすじです。
『司祭のせつめいを聞き終えて、ユノの次の行き先がきまる』
〇
宿場町エルドランから、さらに東。
秋の最中、赤茶に萌ゆる山林のなかに、小さなひとつの村があった。
人口は三十をくだらない。集落。と言ってもさしつかえない規模の郷だ。
近隣の林から伐採したもみやにれを木材とした、小屋のような質朴なログハウスが、せまい範囲に身をよせあうようにしてならんでいた。
この村――【ミース】に冒険者ギルドの建物はない。
それ以前に、このような狭隘な集落に、システマチックな仲介業者――【ギルド】に籍をおく旅人が、足を運ぶことなどめったになかった。
宿はなく、村民だけでひっそりと生活しているようなあつまり。
もしふらりと旅のものがはいりこめば、「最も大きな家の所有者である村長が、直々にめんどうをみる」というのが、いつからかの習慣になっていた。
金色の髪の青年と、黒髪に青い目の壮年期の男が、村長宅の応接間にいる。彼らはめったに来ない『客人』その人たちだった。
この集落が、実いりの見こめない、そしてこれと言った問題もない村落であることも来訪者のすくない理由のひとつだが、冒険者だけでなく、巡礼の信者もまたよりつかないのは、ミースの村が【教会】に禁じられている【民間信仰】を、がんとして保持しつづけているという事情がある。
民族的な織物をテーブルクロスにした大きな卓。
そのむこうから、白髪あたまに、やはり独特なデザインのターバンをまいた老人が、ほそい手をのばした。
金髪の男――フレデリックの腕をつかむ。
鉄の篭手をはずし、鎧下のそでをたくしあげた若者の腕には、獣毛めいた毛がびっしりはえていた。
手もまた猿の前脚のように、縦長の形状にちかく変形している。
爪は鋭く、濁って、毒々しい灰色をしていた。
「これはグールの兆候ですな」
「まさか。グール――って。あの?」
息をのんだ若者にかわって、黒髪の男が訊きかえした。
彼の名はアドニス。
数年まえに、となりの若者フレデリックの上司となり、数々の戦線を共にしてきた仲だった。
どちらも元はペンドラゴン王国の騎士団に所属していた。
が。まだ魔王があった時分に、各地方で戦士たちの殉死があいつぎ、急遽派遣要員として、遠い村や町を援護のためにてんてんとした。
最初はおたがいにばらばらの地域へ遠征していたが、なんの因果かばったりでくわす機会が多く、やがては「気心も知れてるだろうし」ということで、町村での傭兵や旅人をふくめた合同部隊で、隊長をアドニスが、副隊長をフレデリックが推されることが多くなった。
だが。どちらもいまは王国づきの騎士ではない。
王都から西の丘にある【コルタ】という町で、「住民を危険にさらす」という不祥事を起こしたために、退職処分となったのだ。
騎士として国民を守ることを信条としてきたフレデリックは落ちこんだ。が、定期的な給金目当てで騎士団にいたアドニスは、実入りは不安定になるものの、「冒険者稼業でも、騎士の頃とやることは変わらないし。なんとかやっていけるだろう」と高をくくった。
そして失意の底にいたフレデリックをパーティに誘い、ギルドの依頼を受けおって日銭を稼いできた。
――実際。冒険者と騎士団は、食事と寝床が保証されていたという点をのぞいて、ほかは変わるところがなかった。
敵と戦い、報酬をもらう。
運がよければ一カ月のギャランティが、騎士の三ヶ月分の給料に匹敵することもある。
それはアドニスにとっては魅力的だった。フレデリックも、依頼人や被害にあっていた町の人々から感謝の声をかけられるようになってからは、気分が向上しはじめた。
これなら、おたがいに冒険者として充分にやっていける。
そんなふうに、風むきがよくなってきた頃だった。
フレデリックの身体に、異変が起きはじめたのは。
「そう」
獣のものに変わりつつあるフレデリックの手を老人がはなす。
「魔物のひとつに数えられる、グールじゃ。おまえたちもいちどくらいは戦ったことがあるじゃろう。猿のようなみなりをして、鈍器をふりまわす、人によく似たばけもの」
暖炉の薪がぱちりと爆ぜた。
山の手の空気はすでにさむくなりつつあり、夕焼けの外もまた、つるべおとしのいきおいで暮れようとしていた。
拳をテーブルにフレデリックが打ちつける。
「そんな。オレが……。化け物に? どうして」
「噛まれでもしたか?」
ひょうきんにアドニスは言ってみたが、目は真剣な光を湛えたままだった。
「魔に魅いられたな。若いの」
ほっ。ほっ。と老人が笑う。
「すでに知っているかもしれんが、教会の連中はおまえさんのようなものをして異端と断じ、焼き討ちにしているようだ。人がグールになるなど、最近ではもうめずらしいことではないのじゃよ」
「……じいさん。オレたちを教会に突き出すか?」
腰の剣にアドニスは手をのばした。
柄を握り、鞘から白刃をのぞかせる。
村長宅に仕える手伝いの女が、傷んだ抜き身に映りこんだ。
そのしとやかな像が、不安に目を見ひらいている。
「敵をまねくような真似はせんよ」
よちよちと椅子からおりて、村長は杖を支えにあるいた。
まがった腰を、もう片方の手でおさえて。
「やつらをよべば、この村もろとも消滅じゃ」
窓の外をながめてつぶやいた。
鞘に剣をアドニスがおさめる。
浮かせていた身体をスツールにしずめると、帷子がカチャリと鳴った。
「じいさん。オレたちは、ここいらに万病にきく薬があるって聞いてきたんだ。なにか知らないか」
「くすり?」
ひげのないあごを老人はなでた。
ずっと客人のかたわらに控えていた手伝いのむすめが、主人のかわりに受けあう。
「泉のことではありませんか。薬なんて、久しくこの村では調合も服用もされていません」
「頑丈なこって」
皮肉っぽくアドニスは二十代ほどの女性に笑ってみせた。
茶色い髪をふたつのおさげにした素朴なむすめで、村長のターバンと似たデザインのエプロンをつけている。バンダナを頭にまいて、ほこりよけにしている。
「ふうむ。泉か……。しかし。あそこは精霊さまの領域。よそものが立ちいるのは……」
「そこをなんとか。たのむ」
ぐいっ。と頭をさげるアドニスに、村長はふりむいて手をふった。
「誤解してくれるな。仮にわしが許可を出したところで、おまえさんたちが泉に行くことはできんよ。精霊さま本人か妖精か。……でなければ、巫女さまにでもみとめられなければな」
「そんな……」
かぼそい声だった。フレデリックが出したものだ。
いらだたしそうに、アドニスもまた頭を掻く。【妖精】にみとめられるとは、すなわち【気術】という神秘の技が使えるのが条件というこだ。
しかしフレデリックもアドニスも、気術はもとより、ドワーフ以外の妖精をみたこともなかった。
「んな妖精つったって。……はなしじゃあ、光妖精のことだろ? オレたちのまえにあらわれたことなんてないぜ。ましてや精霊なんて……。おとぎばなしの世界だ。となりゃあ……巫女。ってのは? どこにいるんだ?」
ほっ。ほっ。と老人はまた笑った。
なにがおかしいのか。アドニスはこっそり歯がみする。
「今世の巫女がだれかはわしらも知らんでな。どこにどうやって生まれるのかも知らん。我々が知ってるのは、この地におわす精霊ビビアンさまのことだけよ」
「そうかい。なら、せめてそいつの領域とやら……。泉の場所だけでも教えてくれ」
ひょうひょうと宣う老人に、アドニスは静かな声で言った。
この村長のくちぶりから、似たような用件で来たのは、自分たちだけではないのだろうと察する。
そしてその者たちが助かったかどうかは、わからない。
「もういいですよ。アドニスさん……。だから、オレがまだ人間であるうちに――」
失意の眼をむけて、フレデリックが蚊の鳴くような声で言った。
青年の肩を組むようにして、アドニスは腕で彼の首をしめる。
「なに情けねえ声だしてんだ。こーなりゃいけるとこまでいって、だめだったら全財産使って残念会でもやろうぜ」
「ううっ。……」
まだ無事なほうの腕――篭手をつけっぱなしの左腕で、フレデリックは涙をぬぐった。
「で。どこにあるんだ。なるべくはやく出発したい」
ぐりぐり。アドニスはフレデリックの頬に拳をいれながら、老人にきいた。
村長はかぶりを振るう。
「そこのむすめに明日案内させよう。今日はもう暗いでな。ゆっくり休みなさい」
ふたりの冒険者に約束して、手伝いのものに、夕食と寝床の準備をたのんだ。




