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『異聞 ―怪異伝―』  作者: ニカオ


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第一部 第二話 葬式の怪異

夢を見ていた。


線香の匂いがする。


白い菊。黒と白の幕。低く響く読経。

喪服を着た人々が、静かに頭を垂れている。


誰も夕陽を見ようとしない。視線は皆、祭壇へ落ちていた。


「……葬式?」


乃木夕陽は、その中に立っていた。


祭壇へ目を向ける。

花に囲まれた遺影。その中で笑っていたのは――自分だった。


息が止まる。


「……俺?」


自分の葬式だった。


遺影の前、参列者の中心に喪服姿の男が座っている。


「……親父?」


乃木賢太。夕陽が十二歳の時に姿を消した父だった。


会いたかった。ずっと、会いたかった。


その傍らにいる女を見て、今度こそ動けなくなる。


乃木楓。

夕陽が七歳の時に姿を消し、死んだと聞かされていた母。


二人とも、そこにいる。


懐かしい。駆け寄りたい。

なのに――怖い。


賢太と楓が同時に夕陽を見る。

昔と変わらない、優しい笑顔だった。


だからこそ、どうしようもなく恐ろしかった。


「夕陽――」


――チリン。


*


「――っ!」


夕陽は跳ね起きた。


板張りの床へ手をつく。息が荒い。

道場だった。


「俺……寝ちまってたのか」


田んぼでの一件以来、時間を見つけては道場で身体を動かしていた。


黒い穴。消えた町並み。現れては消えた老人たち。犬のような化け物。そして自分と同じ顔をした何か。


右手を見る。木刀を握っていた。


「なんで寝ながら握ってんだよ……」


父が姿を消した日に残されていた一本の木刀。十二歳だった夕陽が拾い、それ以来ずっと父の形見として持ち続けてきた。


――チリン。


夕陽の表情が固まる。


「……またか」


この音が鳴ったあとには、決まって怪異が現れる。


「ほんと、ろくなことがねえな……」


顔を上げた。


道場の中央に、一人の男が立っていた。


九年間、何度も夢に見た。


「……親父?」


「夕陽」


その声まで、記憶のままだった。


「あんた……今まで――」


どこにいた。

言葉が喉まで出て、止まる。


木刀が鳴った。

父が普通に帰ってきたのなら、鳴るはずがない。


会いたかった気持ちを押し込めるように、夕陽は柄を握り直した。


「……親父も、あの老人たちと同じなのか?」


「察しが良くなったな」


「質問に答えろよ」


「ああ。俺はもう死んでいる」


覚悟していたはずなのに。

本人の口から聞かされると、胸の奥へ重いものが落ちた。


けれど悲しむより先に、十二歳のあの日から行き場を失っていたものが込み上げる。


「……だったら親父。あの化け物共のこと、知ってるのかよ」


賢太は黙っている。


「あの田んぼも。あの穴も。あの老人たちも。親父は知ってたんじゃねえのか?」


また、答えない。


その沈黙が腹立たしかった。


「何も……何も教えずに消えやがって」


声が震えた。


「俺は十二だったんだぞ」


賢太は言い返さなかった。

ただ、夕陽の言葉を受け止めている。


もっと何か言え。

理由があったと言え。

仕方なかったと、言い訳でもしてくれ。


「……悪かったな」


「それだけかよ」


「ああ。今の俺には、それしか言えん」


夕陽は視線を逸らした。


九年ぶりに会えた。

こんなことを言いたかったわけじゃない。


それでも、何事もなかったように笑うことなんてできなかった。


「じゃあ……今ここにいるあんたは何なんだよ」


「幻みたいなもんだ」


「幻?」


「俺が残したものに、まだ少しくらいは俺が残ってるらしい」


賢太は木刀を見る。


「それだけじゃない。田の怪異だ」


「あの穴……」


「ああ。あいつは人に試練を与える。そして、それを越えた者と契約する」


「俺、契約した覚えなんかねえぞ」


「向こうにはあるんだろ」


「無茶苦茶だな」


「怪異ってのは、そういうもんだ」


ほんの一瞬、昔の会話に戻った気がした。


その時、賢太の輪郭が薄くなる。


「おい」


まだ聞きたいことがある。九年分ある。


「田の怪異に会え」


「なんでだよ」


「聞きたいんだろ。俺が、どうしていなくなったのか」


夕陽の顔から怒りが消えた。


「……知ってるのか」


「俺のことだからな」


「だったら今ここで――」


「俺から聞くより、自分の目で見ろ。行け。今のお前なら、あいつは応える」


「待てよ!」


夕陽が手を伸ばす。


届かなかった。


賢太は消えた。


「ほんっと……勝手だな。昔から」


吐き捨てた声は、怒っているというより寂しそうだった。


*


風が稲を揺らしていた。


夕陽は田んぼの畦道に立つ。


「田の怪異。いるんだろ? 親父に言われて来た」


返事はない。


「怪異の呼び出し方なんか知らねえぞ、俺」


――ぽちゃん。


水面に波紋が広がる。

田の水が黒く染まり、その黒が人の形を作った。


現れたのは夕陽自身の姿。ただし全身が黒い水ででき、目だけが穴のように黒い。


「また俺かよ」


『お前の理解しやすい姿を取った』


「俺の声で喋るな。気持ち悪い」


『別の姿がよいか』


「変えられるのかよ。……いや、もういい。話が進まねえ」


いつもの調子で返しても、胸の内側は落ち着かなかった。


「親父に何があった」


『見たいか』


「ああ」


『知れば、知らぬ頃には戻れぬ』


「構わねえ」


『後悔するやもしれぬ』


夢の中の父と母が浮かんだ。


それでも。


「知らねえままの方が後悔する」


黒い指先が夕陽の額へ触れる。


『ならば――見よ』


世界が沈んだ。


*


夜。


今より少し古い道場。

障子越しの月明かりが、板張りの床へ淡く落ちている。


床には十二歳の夕陽が眠っていた。鍛錬で使った普通の木刀が傍らに転がっている。


少年の横には賢太。


賢太の腰には一本の木刀。


現在の夕陽は無意識に、自分の腰へ手をやった。

今、自分が父の形見として持っているもの。

あの夜までは、父が持っていた。


――チリン。


賢太の顔つきが変わる。


眠る少年を見る。

ほんの少しだけ立ち止まり、それから静かに外へ出た。


現在の夕陽は黙って後を追う。


呼び止めたい。

だが、これは過去だ。

ただ見ることしかできない。


月明かりの下に、一人の女が立っていた。


賢太の足が止まる。


「な……? 楓……お前……」


夕陽も息を呑んだ。


乃木楓。

夕陽が七歳の時に姿を消し、死んだと聞かされていた母。


「母さん……」


声は届かない。


賢太は腰の木刀へ手をかける。


「……誰だ」


「ただいま」


「誰だと聞いている!」


楓の顔が歪んだ。


困ったように。

悔しそうに。

それでも、嬉しそうに笑おうとしている。


涙が頬を伝った。


「大分、遅くなっちゃったもんね。夕陽は元気? 大きくなった? ちゃんとご飯、食べてる?」


夕陽の胸が締めつけられた。


最初に聞くのが、自分のことだった。


賢太の警戒が少しずつ崩れていく。


「かえで……なのか……?」


「あなたも少し老けた?」


風が庭木を揺らす。


二人とも、しばらく何も言わなかった。


賢太は木刀から手を離し、腰へ戻した。


「あぁ。五年も経ったからな」


楓が近づく。


一歩。

また一歩。


賢太は避けない。


最後に一度だけ、道場を見る。


眠っている十二歳の息子を見るように。


「……夕陽。達者でな」


現在の夕陽の胸が強く鳴った。


「親父……?」


楓が賢太の胸へ飛び込む。


賢太は避けなかった。


抱き合ったように見えた次の瞬間、賢太の身体が揺れた。


楓の手の刃物が、賢太へ深く刺さっている。


「……っ」


夕陽は反射的に駆け寄ろうとする。

けれど過去には触れられない。


楓の手は震えていた。


賢太を殺している。

それなのに、顔は泣いていた。


「……どうしようも無いの」


拒絶しているようには聞こえなかった。


賢太は刃物を見た。

それから楓を見る。


腰には木刀がある。

手を伸ばせば届く。


それでも動かなかった。


妻を見て、笑った。


「分かってる。でも俺は……お前を斬れねぇよ」


「親父!!」


夕陽は叫んだ。


届かない。


景色が黒く染まった。


*


夜明け。


賢太も楓もいない。


地面に残されていたのは、昨夜まで賢太の腰にあった一本の木刀だけ。


道場の戸が開く。


十二歳の夕陽が出てきた。


「親父? 親父ー?」


返事はない。


少年は辺りを見回し、地面の木刀に気づいた。


拾い上げる。

そして、胸に抱いた。


現在の夕陽は何も言えなかった。


あの日。

何も知らない自分は、父が残したものを抱えて待っていた。


帰ってくると思っていた。


夕陽の手が、自分の木刀へ触れる。


同じものだ。


九年間、ずっと持っていた。


過去の景色が闇へ溶けていった。


*


夕陽は田んぼへ戻った。


風は変わらず稲を揺らしている。


目の前には黒い水でできた自分。


夕陽だけが、戻る前とは違っていた。


「……母さんが、親父を殺した」


口にした瞬間、それが事実になった気がした。


「なんでだ。母さんはその五年前にいなくなってたんだぞ。死んだって聞かされてた。なのに、なんであそこにいた」


『我は見たものを見せた』


「だったら見てただろ! 母さんがどこから来たのか! 何があったのか!」


『田は多くを知る。されど、すべてを知るわけではない』


欲しかった答えは返ってこない。


まただ。


父に会えば分かると思った。

田の怪異なら分かると思った。


知るたびに、分からないことが増えていく。


「……じゃあ俺はどうすりゃいい」


握った拳が震える。


「親父に会えば何か分かると思った。お前に会えば分かると思った。結局、分かんねえことが増えただけじゃねえか」


田の怪異の身体が崩れ始める。


『探せ』


「……また、それか」


あの日、田で出会った老人も言った。


探せ。


「何を探せってんだよ」


田の怪異は答えず、水へ戻った。


*


家へ戻っても、過去の光景は頭から離れなかった。


「……母さん」


父を刺した母は泣いていた。

父は抵抗しなかった。


「どうしようも無い……か。何がだよ……」


分からない。


母が何者だったのか。

なぜ父を殺したのか。


それなのに、二人が互いを愛していたことだけは嫌というほど伝わってきた。


――チリン。


夕陽が顔を上げる。


「……また?」


ピンポーン。


静かな家に呼び鈴が響いた。


「誰だ?」


「夕陽。今帰ったぞ」


身体が固まった。


「……親父?」


玄関へ向かいかけて、足が止まる。


父は死んでいる。

ついさっき、その最期を見た。


夕陽は窓から玄関前を見る。


黒い葬式の装いをした賢太。

その傍らに楓。


夢の光景と重なった。


「……そうか。親父の前に現れた母さんも……怪異だったのか」


「夕陽? いるんだろ?」


夕陽は返事をしない。


裏口から外へ出た。


「悪いな、親父。家でやるのは勘弁してくれ」


向かう先は田。


*


田まで来た夕陽が振り返る。


賢太と楓がついてきていた。


日常の田を挟んで、三人が向き合う。


「おい! 化け物共! 姿だけ親父達に似せても――俺は騙せねーぞ!」


強く言った。


そう言わなければ、自分の方が騙されそうだった。


「夕陽。俺は俺だ。あの日……帰れず悪かった」


その声。

その言い方。


記憶の中の父と同じだった。


楓が一歩前へ出る。


「喪主様。ここは私が」


「……喪主?」


楓は夕陽を見る。


「夕陽。母を……覚えてる?」


胸が痛んだ。


「あぁ……夕陽。大きくなって……会いたかった。会いたかった……」


夕陽は日本刀へ手をかける。


抜けばいい。


怪異だ。

分かっている。


それなのに。


指に力が入らない。


手が下がった。


「……親父。お袋……」


――チリン。チリン。


木刀が激しく警告する。


頭では分かっている。

目の前にいるのは危険なものだ。


それでも、父と母の顔をしている。


「すまなかった。ろくに親らしいこともできず、まだ十二だったお前を一人にして」


楓も涙を流す。


「私はもっと前……まだ七歳だったあなたを残した。ごめんね、夕陽」


夕陽の目から涙が落ちる。


さっき見た過去が蘇る。


父は最後まで自分を気にかけていた。

母は五年ぶりに現れて、最初に自分のことを聞いた。


ずっと、捨てられたのだと思っていた。


「……いや」


夕陽は首を振った。


「今日、分かった。俺はちゃんと――愛されてたんだな」


「あぁ」


「えぇ。もちろん愛している」


夕陽は涙を拭った。


悲しい。

会いたい。

このまま話していたい。


だからこそ。


「俺もだ。だから――斬る。それで良いんだろ? 親父」


賢太は静かに笑った。


「あぁ」


*


賢太が木刀を構えた。


その木刀は、父が生前使っていた形見によく似ている。

だが本物は今、夕陽の手にある。


「……そこまで真似すんのかよ」


「俺の得物だったからな」


「今は俺のだ」


「なら、使いこなしてみせろ」


賢太が踏み込む。


夕陽が受ける。


乾いた音が田に響いた。

衝撃が木刀から腕へ返ってくる。


一撃。

二撃。

三撃。


父は強い。


十二歳の夕陽なら、受けるだけで精一杯だった。


だが今は違う。


怖さより先に、妙な懐かしさが込み上げる。


何度もこうして打ち合った。


「親父」


「なんだ」


「やっぱ老けたな」


「言うようになったな」


「何年経ったと思ってんだ! 俺だって――成長してんだよ!」


夕陽が賢太の木刀を跳ね上げる。


父の腕が開いた。


「もらった!」


踏み込む。


「喪主様!」


楓が賢太を庇った。


夕陽の木刀が楓の身体へ触れる。


あの犬型の怪異なら、それだけで斬れていた。


だが――何も起きない。


「……え?」


楓には傷一つない。


木刀を握る手が震えた。


怪異だと分かっている。


父を殺した。

今度は自分を殺しに来ている。


それでも。


目の前にいるのは、泣きながら自分へ謝った母だった。


悪だと。

斬るべきものだと。


夕陽は、どうしても思い切れなかった。


「無理だ……斬れねぇ……」


その瞬間。


「夕陽!」


賢太の木刀が夕陽の手元を打つ。


指が開く。


父の形見が宙を舞い、田へ落ちた。


賢太が迫る。


やられる――。


そう思った瞬間。


世界が反転した。


*


田んぼが消えた。


足元の土も、稲を渡る風もない。


巨大な門。

荒れた都。

見たことのない時代。


乾いた風が砂埃を運んでいる。


目の前には一人の青年武士。


「あぁ。また会ったな」


「……誰だ? また会った?」


「俺の相棒は元気か?」


「相棒?」


青年は笑った。


「随分とピンチみたいだな。親父の言葉は覚えてるか?」


「親父の……?」


父の声が蘇る。


『何か困ったことがあって――解決の糸口すら分からない。そんなことが起きたら――あの刀を抜きなさい』


夕陽は息を呑む。


青年は夕陽の腰へ視線を落とす。


乃木家の道場に昔からあった日本刀。

父がかつて指差した、あの一振り。


「……これを」


「そうだ」


夕陽の手が柄へ伸びかけ、止まる。


「でも……親父を斬れってのか」


「それを決めるのは俺じゃない」


「じゃあ誰だよ」


「お前だ」


青年の目が鋭くなる。


「迷ったなら――抜け」


夕陽は柄を握る。


父は『斬れ』とは言わなかった。


抜け。


それだけだった。


何を見て。

何を斬るのか。


決めるのは自分だ。


「それで良い。抜け――現代の契約者よ」


「契約者……?」


世界が再び反転した。


*


「――夕陽!」


田んぼ。


目の前には賢太。


ほとんど時間は進んでいない。


迫る父を前に、夕陽の右手が腰へ走る。


日本刀を抜いた。


澄んだ金属音。


刀身が鞘から姿を現した瞬間、夕陽の視界が歪んだ。


「……なっ」


賢太はそこにいる。


だが、その姿に重なるように別の何かが見える。


黒く歪んだ身体。

異様に長い腕。

人のものではない口。


葬式の装いをまとった、醜い鬼のような何か。


父の顔と、その怪異が重なっている。


声も。

表情も。

記憶も。


父そのものだった。


でも――父ではない。


夕陽は手にした日本刀を見る。


この一振りを抜いたから、見えた。


怪異が何を見せようと、その奥にあるものを。


涙が頬を伝った。


母を斬れなかった。


父も斬りたくない。


それでも、今なら分かる。


斬るのは父ではない。


「あぁ……これなら斬れる」


賢太が迫る。


夕陽も踏み込んだ。


足が土を蹴る。


一閃。


賢太の身体に、一筋の傷が走った。


「……見事だ」


夕陽が振り返る。


「親父……」


もう鬼の姿は見えない。


そこにいたのは乃木賢太だった。


賢太の身体が足元から淡く崩れ始める。


同時に、楓の身体も静かにほどけ始めた。


「……母さん」


楓は賢太を見る。


「……喪主様」


その一言で、夕陽にも分かった。


父が中心だった。

父を斬ったことで、母もまた消えようとしている。


二人から、夕陽を殺そうとする気配は消えていた。


賢太が口を開く。


「……強くなったな」


夕陽は鼻をすすった。


「親父が老けただけだろ」


「言いやがる」


賢太が笑う。


楓も涙を浮かべながら、母親の顔で笑っていた。


夕陽は何も言えなかった。


言いたいことは山ほどある。

聞きたいことだって、まだ何一つなくなっていない。


九年分。


全部話せるなら、いくら時間があっても足りない。


けれど。


今度は分かっていた。


この時間は長く続かない。


賢太の姿がさらに薄くなる。


夕陽は唇を噛んだ。


行くな。


そう言いたかった。


子供の頃みたいに、引き止めたかった。


それでも声にしなかった。


賢太は最後に、昔と変わらない顔で息子を見た。


「達者でな」


あの夜と同じ言葉。


けれど今度は、眠っている十二歳の自分ではない。


二十一歳になった自分へ、まっすぐ向けられている。


夕陽の目から涙が落ちた。


「……あぁ」


それだけで精一杯だった。


賢太が消えた。


楓も、涙を浮かべた笑顔のまま静かに消えていった。


*


静寂。


夕陽は一人、田んぼの中に立っていた。


やがて――風が吹いた。


稲が一斉に揺れる。


鳥が鳴く。


遠くを車が走っていく。


どこかの家から、人の話し声が聞こえる。


世界が、いつもの音を取り戻していく。


夕陽は日本刀を鞘へ納めた。


少し離れた場所に、父の形見の木刀が落ちている。


歩み寄り、拾い上げ、土を払う。


掌に戻った感触は、いつもと変わらなかった。


十二歳の自分も、こうしてこの木刀を拾った。


あの時は何も知らなかった。


今日、父の最期を知った。


けれど、分からないことはまだ残っている。


母はなぜ七歳の自分を残して姿を消したのか。

なぜ五年後、父の前へ現れたのか。

あの青年武士は誰なのか。

なぜ自分を「現代の契約者」と呼んだのか。

そして父の形見である、この木刀は何なのか。


答えは、まだない。


それでも今日、一つだけ確かなものを得た。


自分は捨てられたのではなかった。


父にも。

母にも。


確かに愛されていた。


夕陽は木刀を腰へ戻した。


一度だけ、息を吐く。


「……帰るか」


田んぼをあとにする。


風が稲を揺らしている。


夕陽はもう、振り返らなかった。


第二話 葬式の怪異 了

第二話も最後までお読みいただき、ありがとうございます。

物語は少しずつ、怪異の世界へと踏み込んでいきます。

続きもお楽しみいただければ嬉しいです。


感想もお気軽にどうぞ。

9/30 改稿しました。

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