第7話 帰還猶予札は、まだ使わない
いつもと違う、はずです
少なくともコストは違います。
灰色のヘルメットを被るか、黄色いヘルメットを被るか。
頭はひとつしかないので、朝から少し悩んだ。
結局、黄色いほうを被った。
衝撃を一度だけ防いでくれるなら、探索中はこちらが優先だ。父さんから届いた灰色のヘルメットは、リュックのいちばん上に入れる。
《帰還猶予札》は、内ポケット。
落とさない場所。
迷った末に、そこへ決めた。
◇
「使い方の確認、ですね」
管理センターの装備窓口で、昨日のお姉さんが銀色の札を手袋越しに持ち上げた。
「はい。いざというときに使えなかったら困るので」
「それは正しいです。ただ……これ、便利な予備の出口ではありませんよ」
お姉さんは札を端末にかざした。
画面に、注意書きが並ぶ。
『帰還猶予札』
『使用条件:設置済みの本人帰路が消滅する三分前』
『効果:帰路の消滅を三分間遅延』
『消滅後の帰路は復元不可』
「白い扉が消えたあとには使えないんですか」
「使えません。帰路そのものが残っているうちに使う物です。それと、真壁さん以外の人を通すこともできません」
「ですよね」
《帰路設置》で出せる白い扉は、私しか使えない。
父さんの手紙には、他人を助けるなという意味ではない、と書いてあった。
でも。
私が帰れなければ、次に誰かを助けることもできない。
その順番だけは、間違えないほうがいい。
「今日はB1だけにします。白い扉から百メートル以上は離れません」
「いい判断です」
お姉さんは少しだけ笑った。
「昨日の報告もありましたから。無理をしないでくださいね」
「はい」
今日は、深く潜るためではない。
帰る練習をするために潜る。
そう決めて、私は入場ゲートを通った。
◇
地下通路の空気は、外よりずっと冷たい。
ヘッドライトを点ける。
黄色いヘルメットの上に固定したライトは、我ながらかなり変な見た目だと思う。でも、両手が空いているだけで気持ちが落ち着く。
B1の入口から少し進んだところで、私は《帰路設置》を使った。
白い扉が、コンクリート壁の脇に現れる。
古びた非常扉みたいな見た目。
取っ手に触れると、頭の中に文字が浮かんだ。
『帰還可能』
『残り時間:五十九分』
「五十九分。今日は三十分で戻る」
スマホのタイマーも三十分にセットする。
白い扉を一度見返してから、私は通路の奥へ進んだ。
石灰キノコを三個。
壁の隙間から生えていた鉄灰苔を一束。
どちらも高値ではない。
けれど、危ない場所に行かずに稼げるなら、そのほうがいい。
私は白い扉からの距離を、何度も確認しながら歩いた。
六十メートル。
七十メートル。
八十メートル。
そこで、足を止める。
「ここまで」
壁に残った古い塗装の線を目印にして、引き返そうとした瞬間だった。
通路の奥で、金属が擦れる音がした。
ぎい、と。
細長いものを、無理やり床から引きずったような音。
私は短槍を構えた。
ライトの先に、青い矢印が浮かぶ。
『出口』
「……また?」
矢印は、私が来た方向とは逆を向いていた。
しかも一枚ではない。
壁。
天井。
床。
通路のあちこちから、古い案内板が生えている。
『出口』
『避難経路』
『立入禁止』
『迂回路』
最後に、通路の角から本体が現れた。
錆びた標識の柱を胴体にして、何枚もの青い案内板を背負った魔物だった。下には黒い脚が六本。歩くたびに、板同士がぶつかって金属音を鳴らす。
昨日の案内板の怪物より小さい。
けれど、私のリュックを見た瞬間。
すべての矢印が、灰色のヘルメットへ向いた。
『回収予定品』
「これは、返さない」
相手が言葉を理解するかはわからない。
でも、私は一歩も下がらなかった。
「父さんから、私に届いた物だから」
青い板の文字が、ゆっくりと変わる。
『返却先未登録』
魔物が走った。
「っ!」
私は横へ跳ぶ。
黒い脚がさっきまでいた場所を踏み抜いた。コンクリート片が飛び、リュックの肩紐が引っ張られる。
狙いは、私ではない。
灰色のヘルメットだ。
短槍を振る。
穂先は案内板の端を叩いたが、金属音がしただけで止められない。
魔物はすぐに向きを変える。
速い。
このまま戦っても、たぶん勝てない。
私はリュックの外ポケットへ手を伸ばした。
透明な小瓶。
保管庫からもらった《道標糸》。
「使う」
瓶を床へ落とす。
ぱりん、と小さな音がした。
白い糸が、割れた瓶からほどける。
一本。
二本。
何十本もの細い糸が、床の上を滑っていった。
青い矢印とは逆。
私が設置した白い扉の方向へ。
「こっち!」
私は走った。
背後で、案内板の怪物が板を鳴らす。
『出口』
『出口』
『出口』
赤い文字が、私の背中を追ってくる。
通路の角を曲がったところで、青い板が一枚、横から飛んできた。
避けきれない。
私はとっさに頭を庇った。
ごん、と鈍い衝撃。
黄色いヘルメットの縁から、半透明の板が一瞬だけ広がった。
青い案内板が弾かれ、床を滑る。
「助かった……!」
けれど、《衝撃遮断》はもう使えない。
次に当たれば、普通に痛い。
私は走る速度を落とさない。
白い糸は、通路の途中で消えた。
その先。
コンクリート壁の横に、私の白い扉が立っていた。
取っ手に触れる。
『帰還可能』
『残り時間:三十四分』
《帰還猶予札》を使う必要はない。
まだ三十分以上ある。
私は振り返った。
案内板の怪物は、白い扉の十メートル手前で止まっていた。
板に浮かんだ文字が、ひとつずつ消えていく。
最後に残ったのは、ひとつだけ。
『回収保留』
「保留でいいよ」
私は扉を開けた。
「これは、私が持って帰る」
白い光の向こうへ飛び込む。
背後で扉が閉じる寸前、灰色のヘルメットがリュックの中で、かすかに鳴った。
かちり、と。
鍵が合ったような音だった。
◇
管理センターの休憩スペースに戻ってから、私は床に座り込んだ。
心臓が、まだ速い。
内ポケットから《帰還猶予札》を出す。
『未使用』
文字を見て、少しだけ息を吐いた。
「使わないで帰れた」
それは、札を無駄にしなかったという意味だけじゃない。
危なくなる前に、帰る選択をできたということだ。
私は窓口へ行き、今日のことを全部話した。
灰色のヘルメットが狙われたこと。
青い案内板の怪物。
《道標糸》を使ったこと。
黄色いヘルメットの防壁が使えなくなったこと。
お姉さんは途中で何度も端末に入力し、最後に灰色のヘルメットを見た。
「照合結果が、ちょうど届いています」
「このヘルメットのですか」
「はい。内側の製造番号が読み取れました」
画面を私にも見える向きにしてくれる。
『旧・江東第七ダンジョン帰還支援班 標準装備』
その下には、三本の階段みたいな印。
黄色いヘルメットにもあった印だ。
「帰還支援班……」
「かなり前に廃止された制度です。探索者が戻るための導線確認や、非常時の避難誘導を担当していた人たちですね」
「父さんが?」
「名義は、お父様のものです」
喉が少しだけ乾いた。
父さんは、ただダンジョンに潜っていたわけじゃない。
誰かを帰すための仕事をしていた。
「昨日、私が見つけた保管庫も……」
「旧帰還支援班には、回収物を預かる設備があったようです。ただ、所在地は記録上、すでに消えています」
お姉さんは、慎重な声になった。
「B2に存在していた、帰還支援庫です」
黒い手。
棚に並んだ落とし物。
私の黄色いヘルメット。
そして、父さんの灰色のヘルメット。
ばらばらだったものが、少しだけ繋がった。
リュックの中で、灰色のヘルメットが熱を持つ。
取り出すと、内側に今までなかった文字が浮かんでいた。
『返却先登録:真壁栞』
私は、その文字をしばらく見つめた。
父さんの物を、私に返したのは誰なのか。
まだわからない。
でも。
次にダンジョンへ潜るときも、私は灰色のヘルメットを持っていく。
帰るための物なら、ちゃんと自分で持ち帰るために。
ブクマ評価コメント
おなしゃっす!!!
あにめ、ヤニねこ
私にはまだ早かったです。
面白いけど、胃もたれしました。




