第20話 風の止む場所で、戦わない
こんにちばんわ!!
B2へ入る前に、私は入口の案内板をしばらく見ていた。
『B2第一区画 風抜け』
『送風周期:おおむね四〜七分』
『開始表示後、壁際手すりへ退避』
前回は、送風を一度見ただけで戻った。
今日は、送風が来るまでの時間も、少しだけ見てから帰るつもりだった。
「三十分。最初の部屋の外周だけです」
受付で、朝倉さんに伝える。
「送風が一回終わったら、採取量に関係なく戻ります」
「いいと思います」
朝倉さんは、B2の地図を指した。
「中央の格子溝には入らない。壁の風穴の正面にも立たない。風が止まっている時間ほど、油断しやすいので」
「止まっているから、次が来るんですよね」
「その通りです」
私は頷いた。
B1なら、静かな通路は安全なことが多かった。
でもB2の静かさは、風が来る前の静かさかもしれない。
◇
B1北側の通常階段脇に、白い扉を置く。
『帰還可能』
『残り時間:五十九分』
スマホのタイマーは三十分。
階段を下り、B2第一区画へ入った。
今日は、風が止まっている。
壁の穴からは、かすかな冷気だけが流れていた。
私は手すりの位置を確認しながら、外周を歩く。
一つ目の風冷石。
壁際。
二つ目。
格子溝から遠い場所。
三つ目。
手すりのすぐそば。
採取袋に三個入れてから、私は一度手を止めた。
周りを見て、壁の表示を見る。
『送風停止中』
前回と同じ文字。
でも今日は、あと何分で変わるかを待つ。
手すりから二歩離れた場所に、風冷石が一個落ちていた。
薄い水色で、傷もない。
拾ってもいい場所だ。
私はしゃがみ込んだ。
そのとき、格子溝の中で金属が擦れる音がした。
しゃり。
私は、石に触れる前に手を止める。
格子の隙間から、細い脚が一本出てきた。
次に、銀色の平たい体。
手のひらくらいの虫が、溝の中から這い出してくる。
羽は薄い金属板みたいで、動くたびに小さく鳴った。
初心者講習の冊子に、似た写真があった。
「風針虫」
風の通る場所にいる、小型の魔物。
追いかけて倒す必要はない。
でも、近づきすぎると、薄い羽で手や顔を切る。
私は立ち上がり、短槍を構えた。
風針虫は、格子の縁へ登る。
逃げるなら、手すりのほうへ下がればいい。
でも、その前に虫が跳んだ。
銀色の体が、採取袋へ向かってくる。
「っ」
私は半歩横へずれ、短槍の柄を前へ出した。
虫は柄に当たり、床へ落ちる。
穂先は使わない。
倒すためじゃない。
近づかせないためだ。
風針虫はすぐに起き上がり、もう一度だけ羽を鳴らした。
しゃり、しゃり。
私は後ろへ下がる。
手すりまで、あと三歩。
そのとき、案内板が鳴った。
かん。
『送風開始 あと十秒』
風針虫も、その表示を見たように、格子のほうへ向きを変える。
私は手すりを掴んだ。
虫から目を離さない。
風が来る。
ごう、と壁の穴が唸った。
格子溝の上を、冷たい風が走る。
風針虫は羽を開いた。
飛ぼうとしたのかもしれない。
でも、風は虫の体を持ち上げ、そのまま部屋の奥へ流していった。
銀色の羽が、暗い格子の向こうへ消える。
私は手すりを握ったまま、息を吐いた。
戦わなくて済んだ。
送風が止まるまで、動かない。
採取袋に入れた三個も、拾いかけた一個も、もう気にしない。
案内板が『送風停止中』へ戻ったとき、私はすぐに階段へ向かった。
スマホを見る。
タイマーは残り十四分。
今日の予定は、もう終わり。
◇
B1へ上がり、白い扉の前まで戻る。
『帰還可能』
『残り時間:四十三分』
タイマーは、残り十四分。
最初に決めた三十分を、半分以上残していた。
それでも、私は扉を開けた。
◇
「風針虫に会いました」
管理センターで言うと、朝倉さんがすぐに端末を開いた。
「距離は」
「格子溝の近くです。短槍の柄で一回だけ離して、送風中は手すりに掴まっていました」
「怪我はありませんか」
「ありません」
「それなら、対応として問題ありません」
朝倉さんは、風冷石を数える。
三個。
「倒さなくてよかったんですか」
「風針虫は、格子溝から離れれば追ってこないことが多いです。真壁さんが今、戦うために中央へ入る必要はありません」
「だから、手すりまで下がった」
「はい」
今日の風冷石は、三個で二千百円だった。
前回と同じ金額。
でも今日は、風が来る前に戻ったんじゃない。
風の中で、手すりを離さずにいられた。
魔物を追わずに、距離を作れた。
次にB2へ入るときも、戦う場所は自分で選ぶ。
風の止む場所で、無理に戦わないために。
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