第18話 帰る判断を試される日
こんにちばんわ!!
日曜日の午前八時四十分。
江東第七ダンジョンの管理センターには、いつもより人が少なかった。
受付の横に、折り畳み椅子が三つだけ並んでいる。
私を含めて、基礎実技を受ける人は三人だった。
誰も話していない。
みんな、自分のリュックと靴を見ている。
私も、黄色いヘルメットの顎紐を触った。
短槍。
発煙筒。
水。
救急セット。
灰色のヘルメット。
忘れ物はない。
「真壁さん」
朝倉さんではない人が、私の名前を呼んだ。
黒い管理局のベストを着た、背の高い男の人だった。
「実技担当の栗原です。説明します」
私たちは、それぞれ別の紙を受け取った。
B1実技確認区画の簡単な地図。
青い線で、通っていい道だけが示されている。
『制限時間:四十分』
『確認地点:A、B、C』
『各地点の現在表示を確認し、必要な物だけを持ち帰ること』
『危険と判断した場合、途中で終了してよい』
「必要な物だけ」
私は、その言葉をもう一度読んだ。
栗原さんは続ける。
「この試験は、遠くまで行く試験ではありません。三つの確認地点を全部回ることも、必須ではありません」
「戻った時点で、終わりですか」
「はい。戻った理由を説明してもらいます」
戦わなくていい。
無理をしなくていい。
それでも、自分で決めなければいけない。
私は地図を折り、前ポケットへ入れた。
「帰還能力は使っていいですか」
「使って構いません。ただし、能力を使ったことで何ができて、何ができないかも確認します」
「わかりました」
九時ちょうど、私は一人でB1実技確認区画へ入った。
◇
いつもの壁際に、《帰路設置》を使う。
白い扉が現れた。
『帰還可能』
『残り時間:五十九分』
試験用の端末には、四十分の数字が出ている。
私は二つの時間を見比べた。
試験の時間より、扉の時間のほうが長い。
でも、長いから最後まで使うわけじゃない。
地図を開く。
Aは、短い直線通路の先。
Bは、その先の左分岐。
Cは、さらに奥の行き止まり。
まずAへ行く。
通路は、普段のB1よりきれいだった。
床に水はない。
天井の金具も新しい。
それでも、私は歩く前に上を見る。
足元を見る。
壁を見る。
A地点には、胸の高さの白い板が立っていた。
『現在表示:通行可能』
その下に、緑の丸。
私は試験端末で写真を撮る。
『A地点確認』
表示が出た。
次はB。
左へ曲がる。
少し歩いたところで、床に小さなケースが落ちているのを見つけた。
手のひら二つ分くらいの、灰色の金属ケース。
誰かの私物に見えた。
でも、上には赤い札が付いている。
『実技用返却物』
『返却先:地上窓口』
私はしゃがみ込む前に、周囲を見る。
天井。
床。
通路の先。
何もいない。
灰色のヘルメットを近づける。
内側に、文字が浮かんだ。
『返却先確認済み』
『携行可』
仮登録はしない。
もう返却先が決まっている物だからだ。
私はケースを拾い、リュックの上のポケットへ入れた。
途中で置いて帰る理由がない場所に入れる。
B地点は、その先だった。
白い板には、黄色い丸が表示されている。
『現在表示:注意』
『前方に通行制限あり』
私の地図では、Cへ続く道はこの先。
でも、黄色い表示の横に、小さく文字が出ている。
『左側の観察窓から状況を確認可』
私は、通路を進まなかった。
壁の左側にある、小さな窓へ近づく。
透明な板の向こうで、通路の床が大きく割れていた。
割れ目の上には、細い金属板が一枚だけ渡されている。
向こう側に、C地点の白い板が見えた。
そこまで行けば、三つ目の確認ができる。
でも、金属板は幅が狭い。
試験用に置かれた物だとしても、私は一人だ。
落ちたときに、誰かがすぐ助けられるとは限らない。
試験端末を見る。
残り二十四分。
時間はある。
だけど、時間があることと、渡っていいことは違う。
私は端末の報告欄を開く。
『B地点よりC地点への通路を確認』
『床面欠損、細い金属板のみ。単独通行は危険と判断』
『C地点の確認を中止し、地上窓口へ返却物を持ち帰る』
送信する。
灰色のヘルメットが、かちりと鳴った。
内側の文字は短い。
『帰還導線 安全』
私は窓の向こうを、もう一度だけ見た。
Cの白い板は、すぐそこにある。
たぶん、渡ろうと思えば渡れる。
でも今日は、渡らない。
私は引き返した。
◇
白い扉の前へ戻る。
『帰還可能』
『残り時間:三十八分』
試験端末は、残り十九分。
余裕はある。
それでも、実技確認区画を出ることにした。
取っ手に触れる。
白い光を抜ける。
◇
地上に戻ると、栗原さんが待っていた。
「終了でいいですね」
「はい」
「C地点には行かなかった」
「行けませんでした。床が割れていて、金属板だけだったので」
「試験区画です。安全は確保されています」
私は少しだけ迷ってから、答えた。
「でも、それは私にはわかりません。わかっていたとしても、一人で細い板を渡る理由がありません」
栗原さんは、何かを端末へ入力した。
「返却物は」
「ここです」
灰色のケースを渡す。
「仮登録はしなかったんですね」
「返却先が書いてあったので。途中で置かずに運べる物だけ、持ちました」
「正解です」
栗原さんは、初めて少し笑った。
「確認地点を三つ回ることが合格条件ではありません。危険の見方と、持ち帰る物の選び方、それから戻る理由を確認する試験です」
朝倉さんが、横から端末を見せてくれる。
『第二層単独許可 基礎実技確認』
『判定:合格』
一瞬、文字が読めなかった。
「……合格」
「おめでとうございます、真壁さん」
胸の奥が、熱くなる。
私は、B2へ行ける。
すぐに深い場所へ行くわけじゃない。
何でもできるようになるわけでもない。
でも、一人で二階へ降りるための許可をもらえた。
朝倉さんが、新しい探索者証を端末から出した。
B2の欄だけ、緑色になっている。
「通常階段からの入場だけが許可対象です。旧・帰還支援庫の連絡階段は、引き続き調査中で立入禁止」
「はい」
「最初のB2は、平日の明るい時間に。入口で予定を伝えてから入ってください」
「わかりました」
私は新しい探索者証を受け取った。
B2は、もう地図の外じゃない。
それでも、最初に行く日は決めてからにする。
行けるようになったからこそ、帰れる準備をしてから行く。
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