第17話 何も起きない日にも、帰る
こんにちばんわ!!
その日は、入口の掲示板に新しい注意書きがなかった。
B1東通路の天井補強は終わった。
南側の保全搬送も終わった。
黄色い線の内側は、いつもの通行範囲に戻っている。
何も起きていない日だった。
「今日で最後ですね」
受付で、朝倉さんが端末を見ながら言った。
「安全行動記録の十回目」
「はい」
十回目だからといって、特別なことをするわけじゃない。
今日も予定を立てる。
入る前に装備を確認する。
危なかったら戻る。
帰ったら報告する。
今までと同じことを、最後までできるかどうかだ。
「今日は二十五分。東側の最初の分岐まで行って戻ります」
「採取袋は?」
「小さい物を一袋だけです」
「灰色のヘルメットは」
「持っていきます。でも、表示だけでは動きません」
朝倉さんは頷いた。
「わかりました。行ってらっしゃい」
「行ってきます」
◇
B1に入る。
いつもの壁際へ、白い扉を置いた。
『帰還可能』
『残り時間:五十九分』
スマホのタイマーは二十五分。
黄色いヘルメット。
灰色のヘルメット。
短槍。
発煙筒。
水。
救急セット。
採取袋。
順番に確認する。
「欲しい物より、帰る時間」
小さく言って、歩き出した。
東通路は、前より少しだけ明るくなっていた。
天井の金具が新しくなり、壁の案内板も新しい物に取り替えられている。
青くて古い案内板は、一枚もない。
通路の奥まで、まっすぐ見える。
最初の角で、鉄灰苔を一束採った。
次の角で、石灰キノコを二個。
上を見る。
足元を見る。
壁を見る。
何も変なところはない。
灰色のヘルメットも、ずっと静かだった。
分岐の手前でスマホを見る。
残り十六分。
まだ行ける。
分岐の向こうにも、黄色い線は続いている。
石灰キノコが、壁の奥で白く光っているのも見える。
でも、今日は最初の分岐までと決めた。
危ない物が出てきたから戻るんじゃない。
予定に書いた場所まで来たから戻る。
私は立ち止まり、来た道へ体を向けた。
「折り返す」
声に出すと、少しだけもったいない気持ちが小さくなる。
戻る道にも、何も起きなかった。
留め具喰いはいない。
水も流れていない。
青い案内板もない。
誰かが助けを求める声も聞こえない。
白い扉の前まで、普通に戻れた。
『帰還可能』
『残り時間:四十三分』
スマホのタイマーは、残り九分。
まだ探索できる。
でも、戻ると決めた。
私は扉を開けた。
◇
管理センターの窓口で、採取袋を出す。
鉄灰苔一束。
石灰キノコ二個。
買取は、八百円だった。
朝倉さんが、探索記録を確認する。
「異常なし。予定した地点で折り返し。帰還時間にも余裕あり」
「はい」
「それで十分です」
端末に、十個目の印が並ぶ。
『B1安全行動記録 十回確認済み』
『第二層単独許可 基礎実技申請可能』
胸の奥が、少しだけ熱くなった。
B2に行けるわけじゃない。
まだ実技がある。
でも、申請できるところまで来た。
「申し込みます」
「いつにしますか。今週末なら、日曜日の午前に枠があります」
「日曜日で」
朝倉さんは、申込用の端末をこちらへ向けた。
『第二層単独許可 基礎実技確認』
『日時:日曜日 午前九時』
『場所:江東第七ダンジョン B1実技確認区画』
『所要目安:四十分』
「何をするんですか」
「当日、区画内に入ってから説明します。事前に伝えられるのは、戦闘試験ではないことと、危険な場所へ入らないことだけです」
「灰色のヘルメットは、持っていっていいですか」
「持ち込みはできます。ただし、表示が出ても、何を意味するかを自分で説明して判断してください」
それは、今までと同じだ。
黄色いヘルメットが守ってくれるから、危ない場所へ立ち止まらない。
灰色のヘルメットが鳴るから、知らない道へ走り込まない。
白い扉があるから、残り時間ぎりぎりまで探さない。
道具は、帰るために使う。
帰る判断の代わりにするものじゃない。
私は申請の確認ボタンを押した。
『受付完了』
画面の文字を見て、スマホのカレンダーを開く。
日曜日の午前九時。
初めて、帰ることを試される日が決まった。
ブクマ、評価、感想
お願いします。




