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7.察さない男の後悔Ⅰ

*****


彼女に、あんな顔をさせるつもりではなかった。


クライドは彼女が部屋にはいるのを見届けることもできずに、来た道を引き返していた。


彼女と出会ったのは軍の訓練生時代ーークライドが18、アミエットが16の時だった。

 

『 あなたには絶対に負けない…!』


あんなに真っ直ぐに敵意を顕にこちらを見てきた女性なんて生き物は初めてだったから、純粋に面白いなと思った。彼女は観察対象として非常に興味深い存在だった。


皮肉を言えば顔を真っ赤にして怒り、少しからかうように触れれば嫌悪感も顕に振り払われる。そのくせ、訓練でクライドに勝てば、澄んだ紫の瞳を自慢気に輝かせる。何もかもが新鮮だった。


彼女の非言語的行動は非常に読みやすい。

喜怒哀楽があんなにころころと変わる生き物は初めて見た。子犬くらいではないだろうか、あんなに感情を顕にするのは。


アパートの前で、彼女が見せた感情は〈深い悲しみ 〉だった。彼女の触れてはいけない一線を勝手に踏んだのだと、気がついた。

謝らなければならないと思ったのに、それさえうまくできなくて。気がつけば、曖昧で意味不明な気遣いの言葉を吐き出していた。


「ーーあぁ、くそ 」


夜闇に吐いた言葉は自分が思ったよりも汚い悪態だった。


今は無性に酔いたい気分だった。溺れるくらい、現実を忘れるくらいに酔ってしまいたい。自分の失態を忘れてしまいたい。


不意に目を向ければ、橙色の明るいランプを軒先にかかげた小さな店が目にはいる。

〈赤い錆を食う店 〉ーーひどい名前だが、れっきとしたバーである。陸軍に所属していたときに、何度か足を運んだことがある。


気がつけば、その店へと歩みだしていた。



店内には明るい光が飽和している。カウンターテーブルは親しみのあるブラウンウッド。丁寧に髪をなでつけた店主が、こちらを見て軽く会釈をした。


「 お久しぶりのお客様ですね、本日は何を?」


それに会釈を返し、背の高い椅子に腰を下ろした。


「 ーー一番度が強いものはありますか?」


「 度が強い?ええまあ、ありますがーーどうされました?」


「 いえ、極めて個人的事情です」


店主は首を傾げつつも頷くと、しばらくしてグラスに注がれた琥珀色の液体を目の前に押し出してくる。


「〈女王の一撃QueensShot 〉ーー最近出てきた強烈な一杯ですよ」


「 ……ありがとうございます」


「 ま、酔いつぶれない程度にお願いしますよ、お客さん」


店主はそれだけ言うとまた仕事に戻ってしまう。美しいグラスに注がれたその液体をぼんやりと眺め、ひと口飲み込む。


「 ーー!」


喉が焼けるように熱い。〈 女王の一撃〉確かにその名に恥じない強烈さだ。

これならば記憶が飛ぶくらい酔えるかもしれない。


そう思いながら二口目を仰いだ瞬間、カランコロンと店の扉に取り付けられた鈴が可愛らしい音を立てた。


入ってきた男は質のいい外套を被っている。わざわざクライドの隣に腰を下ろすと、肘をついた。


「 マスター、なんか美味しいやつ頼みますよー」


聞き覚えのある声だ。

好奇心に抗えず、ちらりと横を見てーーすぐに後悔した。


相手も驚愕に目を見開いている。


「ーーおま!お前、あの顔だけ野郎じゃねぇか 」


「…これはどうもこんばんは、バーンズさん 」


「 うっげぇ、俺も酔ってんのか。最悪だよ、背の高い美人な姉ちゃんがいるんだと思って隣に座ったのによぉ」


言葉から察するに、どうやら先客であるクライドを女性と勘違いして口説くために隣に座ったらしい。いやどんな勘違いだよ、と突っ込みたくなるが、いささかクライドも酔っていたのでそのまま流してしまう。


「 すみませんマスター、もう一杯お願いします」


隣りにいる女好きの男は酔うと話し上戸になるのか、べらべらとしゃべり続けている。それに適当に相槌を打ちながら、四杯目を注文する。


「 あ、マスター俺も」


ちらりと横を見れば、レオンの横には軽く数本の酒瓶が転がっている。


「 貴方…流石に飲み過ぎでは?あのキャバレーでも相当飲んでいたでしょう」


「 ん?お坊ちゃんに言われたくないね。激辛の〈 女王の一撃〉 を四杯飲んでまだ思考能力があるだけすげぇよ」


「 …そんなに強いんですか、これ?飲み慣れれば美味しいですよ。貴方も飲みます?」


「 俺は酒は安くていいから遠慮する。金を使うなら可愛い女の子だ」


「 そこまで突き抜けてると、いっそ尊敬しますよ」


マスターがデスクに置いた五杯目の〈 女王の一撃〉を手に取ると、そのまま仰ぐ。


レオンのバーガンディの瞳は陶酔しているように見えるが、どこが冷静にも見える。


「 よく飲むねぇ、お坊ちゃん」


「貴方には言われたくありません 」


「 意外と酒好き?それともなんかあったの?」


軽薄そうな美貌を手のひらに乗せたまま、レオンが瞳だけをクライドに向けてくる。その目には心配というよりは、好奇心のようなものが見える。


普段のクライドであれば冷静にあしらっただろうが、いささか酔っていた。


「 …個人的事情です」


「 へぇ?個人的、ねぇ」


「 言うなれば、百点満点の筆記試験で科目を間違えた挙句に、問題を読み間違えて解答し、採点者の心証を著しく落とした受験生の心境です」


「ん?ごめん、ちょっと何言ってるかわかんねぇわ。酔っぱらいに小難しい言葉は相性悪いぜ 」


「 …もういいです」


顔を背け、グラスに残った琥珀色の液体を喉元に流し込む。

不覚なことを口走った気がする。この貞操観念の消失している男にとんでもない弱点を見せた気がしてならない。


「マスター、もう一杯お願いします 」


「 あー、じゃあ俺も」


「 …貴方、さっきから私の真似をしているんですか?」


いよいよ視界がどろりと甘く酔いだして、

肘をついて隣の男を睨めつけた。


「ん?いやいや、男と一緒のタイミングで酒頼んで何が楽しいんだよ。そういうのは女の子に言ってもらわないと困る 」


「 …というか、貴方全然酔っていませんね」


クライドの視線の先には相当のグラスが転がっているが、レオンは薄い酔いに身を委ねているくらいのもので、いたって平静そうだ。


「逆にすぐ酔えるほうが羨ましいぜ。酒はすぐに酔いが覚めちゃうんだよな 」


「 は?何を言ってるんです?」


「 んー?あんま酔わない体質ってこと」


薄く紅に染まった頬のまま、レオンが小さく笑う。


「あ、俺の笑顔は男には有料だからな。あとで払えよ 」


「それは冗談ですか?本気ですか? 」


目の前で不敵に笑う男の非言語的行動を読み取ろうとするが、上手くいかない。彼の言葉の真偽さえ掴みかねて、クライドはくらくらと酩酊する頭を押さえた。


レオンはグラスを一気にあおると、面倒臭いそうな顔を作る。


「 男から金もらっても困る」


「 …冗談だったんじゃないですか」


「は、知らねー 」


隣に座る彼は鼻で笑うと、酒瓶からグラスにこぽこぽと酒を注いだ。半透明の薄い液体がグラスを満たし、室内ランプの橙色の光を取り込んで淡く輝いた。


「…本当によく飲みますね 」


「 ん?なんだ、やらねぇからな」


そう言うとレオンは自分が注いだ酒を守るように手のひらの中に囲い込んでしまう。

だんだん視界が白い光に満たされていっている気がする。大分酔ってきた。


「 …いりませんよ、あなたの酒なんて」


というか、この場所には記憶を飛ばしに来たはずなのに一向に記憶が消える気がしない。


彼女の非言語的行動が示した〈深い悲しみ〉がーー


焼け付くような後悔を思い出し、慌てて〈女王の一撃 〉を流し込む。喉元に鋭い痛みが走り、一瞬すべての感覚を失う。


もう一杯、グラスに手を伸ばそうとした瞬間骨ばった指先がクライドの腕を掴んだ。


「……なんです 」


「 おいおい、さすがにそれ以上飲んだら物理的に心臓止まると思うぜ?」


レオンがクライドの手のひらからグラスを奪い、楽しげにそれをあおって、バーガンディの瞳でクライドを見下ろした。


「 お前の代わりにこれは俺がもらってやるよ」


「…なんのつもりですか 」


「 あんまり酔うと明日に響くしな」


「 …あなたに……かんけいないでしょう」


レオンが獅子の牙のように鋭い歯を見せて笑い、虐めるみたいにクライドの頭を軽く押した。


ぐらりと目眩を感じて慌ててデスクに肘をつく。


「 ……なにするんですか、やめてください」


「 ほら、もう限界だろ?酒に酔って無様な醜態さらして、俺に家まで送ってほしくなければまだ意識があるうちに帰ることだな」


酔った前頭葉が、最適な解を弾き出せずにくるくると回る。ややあって、この男に借りを作るよりはましだと遅れて判断が返ってきた。


「 ……わかり、…ました」


半ばデスクに身を預けるように体を起こし、胸元から幾らかの金貨を店主に差し出した。


「 ………あなたに、かりは、ないですから」


それだけをレオンに言いつけて、ふらふらと店を出る。若干足はふらつくが、おおよそ真っ直ぐに歩けている。何も問題はない。


記憶を飛ばすくらいに酔おうと思ったのに、あの男のせいで台無しだ。

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