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1.最悪なはじまり

****


信じられない信じられない信じられない!

この男と一緒だなんて!


アミエットは受け取った通知書を何度も握りしめ、後ろを歩く男を振り返った。

アミエットがこちらを向いているのに気がついてか、端正な美貌の男性ーークライドは穏やかな笑みを浮かべて小首を傾げた。


「 まさか、偶然ですねチェイスさん。」


「偶然?こんな偶然あるわけがないわ!転属が2人も急にあるわけないでしょう!貴方、上に変な密告でもしたの? 」


「 心外ですね。そんなことしていませんし、上からの命令はつい先程届いたばかり。私だって今日知りましたよ。」


クライドのブルーグレーの瞳が思いもよらないことを言われた、と言わんばかりに瞬く。


手のなかに握りしめた通知書ーーアミエットの所属するミストリア連合帝国王室近衛師団からの転属命令。転属先はわけの分からない王室師団広報局という聞いたこともないような局名だ。

何度も見返したそれには、滲んだインクで確実にアミエットのーーアミエット=チェイスの名前が刻まれている。


転属だけならまだ受け入れられた。憧れだった近衛師団の職場を離れるのは心苦しいが。


よりにもよってこの男と一緒だなんて!専属先までも同じだなんて、こんな不幸なことがあるだろうか。アミエットはこの世の不幸を呪った。


クライド=スタニフォース。アミエットが軍訓練生だった時代のライバルである。アミエットの得意とする射撃以外の成績はすべて彼に負け、卒業時も首席の彼に次ぐ次席。


もう一度盗み見るように振り返れば、やはり穏やかに微笑みを返される。


(ーーくっ!どうしてよりにもよってこの男と…! )


「……ああ、それからチェイスさん。通知書をそんなに握りしめては、せっかくの指名が台無しですよ。シワを伸ばしておきましょうか?」


「えっ、ちょっと……!」


反論する間もなく、彼はアミエットの手からひょいと紙を奪った。すらりと伸びた指先で、皮肉なほど丁寧に、一点の曇りもなく紙面を整えてみせる。その仕草があまりに優雅で、アミエットは一瞬、奪い返すのも忘れて見惚れそうになった自分に激しい憤りを感じた。


「はい、どうぞ。……なんで怒っているんです? 」


「 なんで逆に怒らないと思ったのか知りたいわ」


ふい、とそっぽを向き、クライドが差し出してきた通知書を受け取る。


「……」


「 なに、ちょっと!観察するのは止めてって言ってるでしょ!」


美しいラインの顎に手を添えて、まじまじとクライドがこちらを見つめてくるので、アミエットはクライドの胸を押して歩き出す。


「 やはり何度考えても貴女が怒っている、という以外の非言語行動が見当たりませんね。顔は赤いですし、足も早い、それに口調も荒いーー」


「 ーーねぇ」


アミエットが鋭く睨みつければ、クライドは肩をすくめて押し黙る。


「 あなたって本当にいつもそうよね。訓練生時代を思い出しちゃった」


「 そう、とは?」


いつの間にか隣に並んで歩いているクライドに気が付き、アミエットは足を早くする。


「 だから、そういう理屈っぽくて苛々するところが変わってないって言ってるのよ」


アミエットが足を早くしたというのに、足の長い彼は難なく追いついてくる。クライドがこちらを覗き込み、小首を傾げた。


「貴女も変わっていませんね 」


ブルーグレーの瞳に小馬鹿にするような色を少しだけ混ぜて、彼は小さく笑う。


「 ーーそういう子供っぽいところ」


「 〜〜〜っ!!!」


怒りで顔が真っ赤に染まる。


「 ふふ、今は怒っていますね。いいと思いますよ、貴女は非言語行動が読みやすいので非常に助かります。」


「 っ…この…次の職場では絶対負かしてやるんだから!」


「 はいはい、期待していますよ」


適当にあしらわれたようで、苛立ちがまさる。こちらの苛立ちに気づいているのかいないのか、彼は「 どうやら、ここのようですね」とある扉の前で立ち止まった。

まじまじと通知書を確認している。


「 何を見ているの?早く開けましょうよ」


クライドを押して脇にどかし、扉を何度かノックする。


「 ーーそうですね、貴女はそんな人でしたね」


呆れた様子で通知書から目を離したクライドが、従うようにアミエットの後ろに控えた。


重厚なドアノブをゆっくりと回しーー


「あら、どうもこんにちは。新人さん方? 」


そこは、小さな執務室のようだった。

アミエットがかつて住んでいた安いアパートより少し狭いくらいか。三人掛けのソファが2つ、肩を縮めるようにして置かれており、その周囲には雑多にものが散らばっている。


部屋の最奥には窓を背負うようにして、小さな執務机と椅子が置いてあり、そこに一人の女性が腰掛けていた。顎のあたりまでの短いショートカットは烏の羽に似た艷やかな黒。こちらを見つめる灰色の瞳は、泥濘んだ地面に似ている。


「 ……ここが、王室師団広報局?」


思わずつぶやいた言葉は、女性にきちんと拾われていたようだ。女性は立ち上がると、くすりと笑う。


「 いいえ?それは仮称のもの」


「… 仮称?」


隣に立つクライドを振り仰げば、彼も分からないといった調子で首を振った。


「ミストリア枢密情報局…その傘下にある女王直属組織ーー〈QSS〉へようこそ。可愛いお嬢さんとお坊ちゃん方」


思わず息を呑む。情報局ーー!?


「聞いたことはーー勿論ないわよね。忠実な女王陛下の下僕であるなら」


女性がゆっくりと歩んでくるにつれて、長い影がアミエットへと落ちる。


「 女王陛下の命令を忠実にこなし、表にはでない裏の仕事を処理するーーそれが私たち〈QSS 〉の仕事。君たちは選ばれたのよ、陛下の尊く賢明な瞳にね?」


「……どういうことです 」


アミエットが何も言えずにいる中、クライドが一歩前に出て、掠れた声で尋ねた。彼もアミエットも動揺していた。ただの転属だと思っていたのに。これは国家機密ではないのか。


クライドの言葉に女は肩をすくめ、その拍子に黒い髪が影のように踊った。


「〈QSS〉に増員の指令があった。ただそれだけよ。生憎だけど、私だってそれぐらいしか知らない。ーーまあでもね」


目にも留まらぬ速さ。


気がつけば、アミエットの額に冷たいものが当たっている。


「 チェイスさんーー!」


拳銃だ。その感触には覚えがあった。


目の前の女性は、特段何も気にした素振りを見せずに笑う。


「 申し訳ないけれど、断るなら国家機密に触れたとして君たちを女王陛下の名のもとに処分しなくちゃいけないの。ーーこの誘い、乗ったほうが賢明よ」


それだけ言うと女は拳銃を下ろし、掌で弄ぶようにぽーんと放り投げる。


「私の名前はテス。テス=ナイチンゲール。君たちの良き同僚になれるか、それとも君たちの命を狩る死神になるかはーー君たち次第ね」


それだけ言うと女性ーーテスは踵を返し、デスクへと戻ってしまう。


気づかぬ間に緊張していたのか、肩の力をゆっくりと抜く。隣からも、深い息を吐いたのが聞こえてくる。


「 …ねぇ」


「…なんです? 」


「あなたはこの仕事を受けるの? 」


こそこそと耳元でささやき合う。小声で喋ったところでテスには聞こえているだろうが、なんとなく小声で話してしまうのは、本能的な恐怖からだった。


「受ける以外の選択肢はないでしょう。私たちを処分すると言った彼女の言葉に嘘はありませんでした 」


嘘を見破るのが得意な彼が言うならばそうなのだろう。


「なんで私たちなの?もっと優秀な人は一杯いるでしょ?軍で現役で活躍していたあなたとは違って私は近衛師団として儀礼的な活動しかしてないんだけど 」


「 さあ…私にも分かりません。ただ、貴女の射撃の技術はこの国でも有数ですから」


「 …ふうん?」


「 なんです…得意げな顔になりましたね。本当に分かりやすい方だ」


真剣な顔から一転、クライドは笑いを噛み殺すような表情になる。


「 もう…!馬鹿にしないで」


「 馬鹿にはしていませんがーー」


こちらを見下ろすクライドに無性に腹が立ってアミエットは脇腹に肘を突っ込んだ。


「 ーーそれじゃあ、〈QSS 〉に入るってことでいいのかしら、お二人さんたち? 」


執務椅子に座っていたはずのテスが、いつの間にかアミエットとクライドの目の前にいる。


先程まで冷たげに見えた瞳は、今はどこか穏やかにアミエットを見下ろしているように感じられた。


「 ……はい」


くちびるを引き結び、アミエットは頷く。

胸元に落ちたネックレスのチェーンが、アミエットに存在を知らせてくる。


楽しげな笑みを浮かべたテスは傍らに立つクライドに視線をずらすと尋ねるように小首を傾げた。


「 君は?」


「 ーー私も、この組織に加入させていただきます。よろしくお願いいたします、ナイチンゲールさん」


「 そう。私も君たちを殺さずに済んで良かったよ。優秀な新人を殺すのは多少気が引けるからね」


テスは妖艶に笑うと、椅子を勧めるようにソファを指さした。

アミエットはクライドと目を合わせて、それからソファに腰掛ける。


アミエットはクライドと距離を保つために、ご丁寧にクライドとの間に通知書を置いておく。


アミエットとクライドが腰掛けたソファの対面にテスも腰を下ろす。


「 ええっと…?何から話そうか。私もこういう事務会話は面倒だから好きじゃないんだけど。馬鹿共に押し付けられちゃってね」


「 …馬鹿共?」


こういう場面で口を開いていいのかよくわからなかったが、気になる言葉に思わず尋ね返してしまう。クライドが呆れを含んだ眼差しを向けてくる。それに気がついて、アミエットはクライドの磨き抜かれた長靴の先を思いっきり踏んで誤魔化すように微笑んだ。


「 ええと、ごめんなさい。ちょっと気になってしまって…」


「 ああ、いいのいいの。馬鹿共っていうのはうちのーー〈QSS〉 の男ども。今は任務で出てるからいないけど、そのうち会ったときには紹介するわね」


テスが手に持っていた紅茶に手をかけたとき、ぎぃっと音がしてドアノブが押し開いた。


一人の男が髪を掻きながら扉を跨ぐと、テスの隣にドカリと腰を下ろす。眠たげに欠伸をしてーーそこで初めて対面に座るアミエットとクライドに気がついたように目を見開いた。


「 ーーーんあ!?」


「 ……ウォルト、タイミング最高だわ」


皮肉めいた調子でテスが言う。男は金茶髮の髪をガシガシとこすると、そこで何かに気がついたように慌てて手を離した。


「 危ねえ危ねえ…あんまり掻くとまたハゲる…」


ぎし、とソファを揺らしてこちらに身を乗り出すと興味津々と言った様子でターコイズブルーの瞳を見開いた。


「 おー、こいつらが新人か?」


「ええ、そうよ、あんたが私に押しつけてきた新人たちよ、ウォルト! 」


テスが素早く投げた何かをウォルトと呼ばれた男は難なく掴む。


「 うおー、流石に鋭利な刃物は死ぬって…テスさんよぉ」


その手には銀のナイフがしっかりと握られている。


「 よ、新人たち。俺はウォルト。ウォルト=ハーディング。お嬢ちゃんと同じで軍出身だ。よろしくな」


「34歳、ハゲ予備軍よ 」


隣からテスが付け加えるように言えば、若干傷ついた様子でウォルトが頬を引きつらせる。


「……その年齢でハゲを気にされるようなら、もう少し副交感神経を優位にする生活を心がけてはいかがですか、ハーディングさん」


静まり返る執務室。

ウォルトは掴んだナイフを握ったまま、ポカンと口を開けてクライドを凝視した。


「……あ? ふ、ふくこーかん……? お前、今、さらっと俺の毛根を侮辱したか?」


「事実を指摘したまでです。毛髪の健康は血流とストレス管理に直結しますから」


クライドがブルーグレーの瞳を瞬かせると、ウォルトはテスの方を振り返り、縋るように叫んだ。


「おいテス! こいつ可愛くねぇ! なんだよこのスカした坊ちゃんは! 」


クライドは心外そうに眉を寄せている。この男は人の感情を読み取るのが得意だが、時折親切心から凄まじい煽りを繰り出しているときがある。親切心かどうかは知らないが。

アミエットはウォルトに同情した。

穏やかで優しい笑みを浮かべ、八方美人。ただし、気を使う部分が若干ズレているときがある。それがクライドの欠点である。


「ーーまあ、いいわ。喧嘩は現場でやりなさい」


テスがパン、と乾いた音を立てて手を叩く。


「 ウォルト、そういえばレオンは?もう紹介しちゃいたいんだけど」


「 んー?あー、レオンね。なんか今日は疲れたから女の子たちと遊ぶって言ってたような?」


「 …あんのクズ」


テスが小さく舌を打つ。

アミエットは先ほどの爆弾発言を気にした風もなく飄々とした表情を浮かべるクライドを盗み見、それから気怠げにソファに身を預けているウォルトを見た。


〈QSS 〉ーー思ったよりも怖くない、というか明るい職場である。勿論、隣に座るクライドがいなければもっと心地よいことは間違いないだろうが。


「 …今、良からぬことを考えましたね?」


「 ちょっと、また私の表情を読んだ?」


問い詰めるようにクライドの鼻に人さし指を突きつける。無駄に高い鼻筋に苛立ちが増す。


クライドは面食らったように目を瞬いて、苦笑とともに両手を顔の横に上げた。降参の意を示すように手まで振ってみせる。


「 ーーすみません、つい癖で」


「 貴方の癖は本当にたちが悪いから、早々にやめてもらいたいわね。次やったら天才アミエット様の銃があなたを撃ち抜くから」


と、正面から笑い声が聞こえてきて、アミエットははっと我に返る。


ウォルトが口を開けて笑っていた。何が面白いのか膝を何度も手で叩いている。


なんという馬鹿なことをしていたのだろうか。羞恥で顔が赤くなる。そろそろと下ろした人さし指は、行き場をなくしてアミエットの膝の上で縮こまる。


「 ははは!面白い!いいねぇ、アミエットちゃん!」


「 …その、すみません……っ」


謝罪しながら、お前のせいだという恨みを込めてクライドを睨み上げる。


ぱちぱちと目を瞬いて、クライドは生暖かい笑みを浮かべ、何かを察したように目を眇めた。


「 調子に乗ってしまってすみません、チェイスさん。それに、ハーディングさん」


「ん?ああ、気にすんな。面白いもんが見られてよかったしな 」


腕を組んだテスが疲れたように首を回す。笑い転げているウォルトを呆れたように眺めると、アミエットに視線を向けて微笑んだ。


「 そろそろ任務について話そうと思うけれど、大丈夫?」


気がついた時には笑い声は止まっており、ウォルトの頭は細身のテスの腕の中にある。ぎりぎりと音がしそうなほど首を締め付けられ、ウォルトは苦しげに呻いた。


「 煩くてごめんなさいね、この人は直ぐ黙らせとくから」


アミエットは急いで頷く。この人には逆らってはならないと脳裏に刻みついた気がする。


ぱっと手を離したテスの横で、苦しそうにウォルトがソファへと倒れ込む。


「〈QSS〉の任務は基本的に女王陛下が命じられたことしか行わないわ。予め言っておくけれど、私利私欲のために〈 QSS〉の権力を乱用した瞬間、私が君たちを殺すから。あとこの場所で語られる情報はすべて国家機密よ。話した瞬間ーーね、分かる?」


鮮やかな赤いくちびるが笑みを浮かべ、アミエットはもちろんだと言わんばかりに大きく頷いた。


「そう、よかった。〈QSS〉の任務はどれも高難度かつ絶対に知られてはならない秘密裏の工作が多い……新任の君たちには申し訳ないけれどまだ任せられないわ。だから、ちょっとだけ実力を見せてもらって、その後は訓練しましょう」


細い指先をくちびるに添えて、テスは妖艶に笑った。


「 …おぃ、テス…まさか俺を実験台にする気か?」


「 まさか?貴方より適任がいるでしょ。酒と女に酔ってるだろう男がね」


テスの言葉にウォルトは微妙な顔をして頷いた。


「 …流石にあいつでも死なねぇか?……いやまあ俺じゃないならいいんだけど…」


それからウォルトはソファに転がると、気怠げにアミエットとクライドに手を振る。


「んじゃまあ、いってらっしゃい。俺はここにいるからーーテスも行くんだろ? 」


「 ええ。実力を見せてもらわないとね」


テスの瞳がアミエットを捕らえ、それから可愛らしく笑う。女性らしい愛らしい仕草なのに、背筋がゾッとするのは何故なのだろうか。


もしやとんでもないことに参加させられそうになっているのではーー思わず隣に座るクライドを見つめてしまう。


「……?なんです、チェイスさん 」


相変わらず平然と穏やかな笑みを浮かべ、テスが注いでくれた紅茶を飲んでいる。

一瞬怪訝そうにしたものの、直ぐに微笑むあたり、相変わらずの八方美人さである。


「 あなたっていつっも変わらないのね、羨ましいわ」


わずかに皮肉を込めて言う。上から振ってきたくすりという笑い声に思わずアミエットは顔を上げる。


ブルーグレーの瞳の下に落ちた泣きぼくろが、嫌味なくらいに整っていて無性に腹が立つ。


「 不安、緊張、軽度の恐怖…ですか?言ってくだされば心理的療法を試しますよ?これでもカウンセリングは得意ですから」


「 ーっ!結構よ!」


「 そうですか?」


「 緊張なんてしてないし、怖くなんてないわ!あなたも大分耄碌したみたいね、ご自慢の審美眼が腐ってきてるんじゃない?」


「…そうですか 」


アミエットもクライドも立ち上がって、歩き始めたテスに続く。


クライドに苛立ちをぶつけたからか、本当に少しだけ感じていた恐怖心が和らいでいるのを感じる。


(…別に、クライドのお陰なんかじゃないんだから )


*****

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