また繰り返すのか
グーダスが、ゆっくりとチョキーナの方へ振り向いた。
その視線は、まっすぐにチョキーナへと向けられていた。
チョキーナは、息を呑んだ。
予想していた反応とは、違った。
期待していたものとは、かけ離れていた。
その瞳に込められていたのは――怒りだった。
静かな、それでいて確かな怒り。
燃え上がるのではなく、奥底で凍りつくような、そんな怒りだった。
「……お前」
グーダスの声は、低かった。
抑えつけられていた。
感情を、必死に押し殺しているのがわかった。
「今、何をしようとした」
チョキーナの手が、宙で止まる。
チョキの形をしたまま、動かせなくなった。
「あ……わたし、は……」
言葉が、出てこない。
グーダスの目から、視線を外せない。
「また、繰り返すのか」
その一言が、静かにチョキーナに刺さった。
チョキーナの心臓が、跳ねた。
繰り返す。
その言葉の意味を、チョキーナはすぐに理解した。
パーダロのこと。
あの夜のこと。
流されて、間違えて、グーダスを傷つけたあのこと。
それを、また繰り返そうとしているのか、と。
「ち、違います、わたしは、ただ……」
「お前には、グリコがいるだろう」
グーダスの声が、被さる。
「……っ」
「グリコが傷つくとは、思わないのか」
その瞬間、チョキーナの全身が冷たくなった。
グリコ。
いつも隣にいてくれる人。
守ってくれる人。
真っ直ぐに向き合ってくれる人。
その人を、今、自分は裏切ろうとしていた。
「わたし……」
何も言えなかった。
グーダスは、しばらくチョキーナを見ていた。
そして――
その表情が、ゆっくりと変わっていった。
怒りが、消えていく。
代わりに浮かんだのは、悲しみの表情だった。
何かを諦めたような、どうしようもなく疲れたような、そんな、悲しい顔だった。
「……もう」
グーダスは、静かに言った。
「俺にかかわらないでくれ」
その一言は、怒鳴り声よりもずっと深く、チョキーナの胸に突き刺さった。
グーダスは立ち上がり、チョキーナに背を向けた。
そして、ゆっくりと歩き去っていった。
その背中を、チョキーナはただ見送ることしかできなかった。
手は、まだチョキの形のまま。
下ろすことも、握り込むこともできず、宙に浮いている。
何も言えなかった。
追いかけることも、できなかった。
ただ、その場で固まっていた。
そのとき――
「先輩」
不意に、声をかけられ、チョキーナは、びくりと肩を震わせた。
振り向くと、そこにはグリコが立っていた。
中庭の入り口に立ち、静かにこちらを見ている。
「……見てたの?」
「はい」
「いつから……」
「最初からです」
グリコは、静かに答えた。
その声に、怒りも、責める色も、なかった。
ただ、静かだった。
「……グリコ、わたし……」
「先輩」
グリコが、言葉を遮る。
その目が、まっすぐにチョキーナを見ていた。
「俺じゃ、先輩に届かないんですかね」
その問いに、チョキーナは答えられなかった。
何か言わなければ、と思った。
違う、と言いたかった。
そんなことない、と言いたかった。
でも――
言葉が、出てこなかった。
嘘を、つけなかった。
グリコは、その沈黙を、静かに受け止めた。
「……失礼します」
それだけ言って、グリコは頭を下げた。
そして、踵を返すと、ゆっくりと遠ざかっていった。
グーダスが去り、グリコも去った。
中庭に、チョキーナだけが残された。
手は、まだチョキの形のままだった。
風が、通り抜けていく。
やがて、チョキーナの目から、涙がこぼれ落ちた。
「ごめ……ごめんなさい。ごめんなさい」
そう言いながら、顔を覆う。
その言葉が、誰に向けられたものなのか――
自分でも、わからなかった。
グーダスは、一人で歩いていた。
チョキーナのことは、すでに意識の外にあった。
あの場を立ち去った瞬間から、頭にあるのはアッチムのことだけだった。
いつからだろう。
アッチムが、急に避けるようになったのは。
最初は、気のせいだと思った。
たまたまタイミングが合わないだけだと、そう思った。
でも、違った。
メッセージを送っても、返事がない。
既読すら、つかない。
講義の前後にいたはずの場所にも、もういない。
避けられている。
それは、もう疑いようがなかった。
なぜだ、と思う。
何か、悪いことをしただろうか。
気づかないうちに、傷つけてしまっただろうか。
考えても、答えは出なかった。
そして、戸惑っているうちに――噂が流れ始めた。
アッチムが、パーダロとじゃんけんをした、という噂。
パーダロが、自慢げに話していた、という噂。
それを聞いたとき、グーダスの中に最初に湧いたのは、怒りでも、失望でもなかった。
(……そんなはずがない)
それだけだった。
アッチムを、知っている。
じゃんけんは好きな人としかしたくない、と言った。
先輩じゃなきゃやだ、と泣きながら言った。
あっち向いてホイだってできる、と顔を真っ赤にして言った。
あの言葉が、嘘だったとは思えなかった。
あいつは、そんな奴じゃない。
噂がどれだけ広まろうと、その確信だけは揺るがなかった。
だから――ただ、話がしたかった。
何があったのか。
なぜ避けるのか。
噂は、本当なのか。
直接、聞きたかった。
それだけなのに、その「それだけ」が、できない。
連絡がつかない。
会えない。
ただ、すれ違っていく。
(……アッチム……)
胸の奥が、締めつけられる。
チョキーナのときとは、違う。
あのときは、見てしまった。
あいつは俺の前ではみせない顔をしていた。
だから、信じることができなかった。
でも今回は、何も見ていない。
ただ、噂が独り歩きしているだけだ。
そして何より――
今の自分は、あのときの自分とは違う。
アッチムを、信じたい。
いや、信じている。
たとえ何があっても。
あいつの口から、ちゃんと話を聞くまでは。
「……あの」
不意に、声をかけられ、グーダスは、足を止めた。
振り向くと、一人の女の子が立っていた。
その顔に見覚えがあった。
確か――アッチムの、友達だ。




