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もう戻れない――奪われた、あの時間 。 ~あいつは、俺の前ではあんな顔をしなかった~  作者: 遠崎カヲル


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もう戻れない

パーダロとチョキーナは、寄り添うように歩いていた。

パーダロの足取りにはいつもの軽さがなく、歩幅を落とし、チョキーナに合わせるように進む。

ときおり横目に、その様子を確かめるように視線を向けていた。


「……寒くないか」


「……大丈夫です」


短く答え、チョキーナは前だけを見ていた。

隣にパーダロがいる――その意味を、理解している。

理解していながら、足を止めることができない。


グーダスの隣には立てない。アッチムには届かない。

行き場を失った感情が、胸奥で、沈みながらゆっくりと渦を巻いている。


「……無理しなくていいぞ」


低く、やわらかな声だった。


無理などしていない、と言いたかった。だが、それは違う。

ここにいるのは踏みとどまったからではなく、ただ抗う力が抜け落ちてしまったからだ。

拒む言葉も、引き返す意思も、すでにどこかへ沈んでいた。


「……もうちょっとだ」


その声には軽さがない。

ただ、寄り添うための響きだけが、静かに残っている。

チョキーナは何も言えないまま、歩き続けた。


パーダロ部屋は、思っていたよりも整っていた。

削ぎ落とされた空間には、何かを隠すような静けさだけが満ちている。

チョキーナはソファの端に腰を下ろし、視線を床へ落とした。


言葉が出てこない。


ここに来てしまったという事実だけが、重さを持たず、沈むでもなく、ただ胸奥に滞っている。


パーダロはしばらく何も言わず、隣に腰を下ろした。

急かすでもなく、ただそこに在る。

その距離が、じわりと内側へ入り込んでくる。


「……グーダスのこと、すまなかった」


低い声が落ちると、チョキーナの肩がわずかに揺れた。


「あいつとお前の仲を見てて……俺、嫉妬してたんだと思う」


わずかに間を置き、パーダロは続ける。


「あの時は、軽く聞こえたかもしれないけど……お前だから、だったんだ」


チョキーナは顔を上げられない。

脳裏に浮かぶのは、背を向けたグーダスの姿だった。

拒絶の形をした沈黙と、耳の奥に残る言葉。

それでも――


「……お前のこと、ずっと気になってた」


パーダロはそう言いながら、距離をつめてくる。

届かないもの、越えられないもの、そのあいだに残された隙間へ、声が差し込まれてくる。


「……ずっと、ですか……」


零れた声はかすれていた。


「ああ」


パーダロの視線はまっすぐで、そこには疑いを差し挟む余地がない。

胸の奥に空いた場所が、その言葉に引かれて、静かに形を変えていく。


「なあ……いいだろ」


低く落とされた声が、逃げ場のない距離で触れてくる。

だめだ、とチョキーナは思った。思ったはずだった。

だがその判断はどこか遠く、身体のほうが先に反応していた。

呼吸はわずかに浅くなり、胸の内側にかすかな熱が灯る。

触れられてもいないのに、触れられる位置だけが先に意識され、そこへ向かって感覚が集まっていく。


拒まなければならない。

そうわかっている。

それでも、完全に嫌ではないと感じてしまっている自分がいる。

胸の奥に空いた場所が、その声を受け入れるように揺れ、埋められるかもしれないという期待が、否応なく立ち上がる。


グーダスには届かない。アッチムには及ばない。

それでも、いまここで自分を見ている視線がある。

求められているという錯覚――それだけで、足りてしまいそうになる。


だめだ、と思う。

だがその否定は言葉にならず、内側でほどけていく。

視線を逸らすこともできず、ただその距離を受け入れている。


パーダロの手が、ゆっくりと持ち上がる。

その動きに、記憶が重なった。

薄暗い資料室、向かい合った手、終わらなかったあいこ、そして最後に触れた感覚。確かにあったもの。

何度も否定してきたもの。それでも、それは本当に、なかったことにできるのだろうか。


(……パーダロさんと、また……)


その思考が浮かんだ瞬間、手のひらに熱がにじむ。


拒んでいない。むしろ、わずかに望んでいる。


その事実に気づいたとき、息がわずかに乱れた。

止めなければならないのに、指先はわずかに持ち上がり、触れようとする動きを抑えきれない。


その瞬間――扉が、開いた。


「よー、パーダロ。来たぜ」


軽い声だった。チョキーナは反射的に顔を上げる。

見知らぬ男が二人、迷いもなく室内へと踏み込んでくる。


「早いよ、お前ら」


パーダロが笑った。


「もうちょいで一回できる所だったのによー」


その声音は軽く、先ほどまでの響きは跡形もなく消えている。

パーダロがチョキーナへ向き直る。

その表情には、もはや取り繕いはなかった。

目的を隠そうともしない笑みだけが残っている。


「こいつら、俺のダチで、ナニーツとクロウだ」


二人の視線がチョキーナに向く。

舐めるように測るように、値をつける目だった。


「……へえ、これが例の」


「ずりーよパーダロ、俺達にも回せよ」


「……え?」


言葉が崩れる。


例の。回せ。


意味が遅れて輪郭を持つ。


「押せばすぐいけるって言ってたじゃん」


笑いながら距離が詰められる。

胸奥が、すっと冷えていく。

押せばすぐ――そういうものとして、話されていたのだ。

最初から。


「そんな……」


立ち上がろうとした瞬間、退路が塞がれていることに気づく。


「四人で楽しもうぜ」


どこか遠くで声がした。


逃げ場がない。


(……どういうこと……)


理解が追いつかない。

優しかった声も、寄り添っていた距離も、すべてが意味を変えていく。

最初から整えられていたのだと。


「……やめて……」


震える声。


それでも――


浮かんだのは、グーダスの背だった。

振り向かないまま遠ざかっていく姿。拒絶された側に立つ、自分。


(……ああ)


理解してしまう。


(……これは、償いだ)


傷つけたのは自分で、選んだのも自分。


その結果が、ここにある。


(……私なんて、もうどうなってもいい)


力が抜けていく。

立ち上がりかけた足が止まり、逃げる理由が消えていく。

抵抗は、形になる前にほどけていった。




部屋の中に、荒い息遣いが満ちていく。


一人分ではない。


二人分でもない。


混ざり合い、重なり合い、狭い空間を埋めていく。

チョキーナの呼吸も、その中に溶けていった。


選んでいるのか、選ばされているのか。

抵抗しているのか、応じているのか。


その境界は、とうに溶けていた。

ただ、荒い息だけが、部屋の中で生き物のように揺れていた。




誰かの声が響く。


「グーチョキパーで」 「グーチョキパーで」


「なにつくろー」「なにつくろー」


「右手はグーで」「左手はチョキで」


「かたつむりー」


チョキーナは、うつろなまま手を差し出し続けた。

ただ応じるように、ただ流されるように、同じ形を繰り返し続ける。


(……さよなら、グーダスさん)


胸の奥で、言葉が落ちた。


(……さよなら、昔のわたし)


胸の奥が、からになった気がした。


「グーチョキパーで、何作ろう」


誰かが歌った。

チョキーナは、流されるままに手を差し出し続けた。


(……わたしは今、どんな顔をしているんだろう)


チョキーナは心の中でつぶやく。


もう戻れない――奪われた、あの時間。


第二部 完 

ここまでお付き合いいただきありがとうございました!

第二部はここで終わりですが、たぶん第三部も書きます。


遠崎カヲルの別作品にも良かったら遊びにきてくださいね。

『呪いを受けた精霊使い、魔法が効かない剛腕少女と旅をしたら世界がバグりはじめた 〜ゼリアス神話〜』

『もふもふにだけモテる勇者は、自分の価値がわからない』



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