第4章―1
「久方ぶりの贄よ。心ゆくまで絶望の叫声をあげ、我を楽しませ……」
玉座の悪魔が言い終わらぬうちに、壁に掛けられた燭台という燭台に光が灯っていく。まばゆい青白光がそこかしこを照らし、闇に沈んでいた大広間を一瞬で染めあげていった。
「ぐっ……」
悪魔が呻いたような気がした。筋骨隆々のどす黒い体の表面から、うっすら蜃気楼のように煙が上がりだす。聖なる光に炙られているのだ。
ソラは詠唱を続ける。間髪入れず、聖なる光を帯びた六振りの剣が、獲物を狙う猛禽類のごとく大広間を滑空していった。
――容赦ないな……。
無意識にそう思っていた。そう思うこと自体、屈辱以外の何ものでもなかったはずだ。だが、知らず思ってしまっていた。当の本人も気づかぬうちに。
思ってしまった……よりにもよって悪魔の王たる我が――。
あとは容易かった。六振りの聖なる光を帯びたミスリルの剣が、ソラを前にしては虚実のごとき悪魔の王に襲いかかり、その身を切り刻んでいったのだ。鮮血のように黒い粒子が噴き出し、じわじわと切断面が蒸発していく。
『――正気なのか!』
こんな状況下で――いや、こんな状況だからこそかもしれない――不意に、アークデーモンでさえ忘却していたあの日の光景が鮮明に想起されていった。むしろ、そうなるように最初から仕向けられていたと言ってもいい。
――魔女め……。
『あら、私の力はよく知っているでしょ。この程度の雑魚、時空の檻に永遠に閉じ込めておくなんて造作もないことよ。それに、こいつらのしてきたことには罰を与えないとね、それもとびきりの――』
魔女は悪戯っぽく笑ってみせた。悪魔でさえ思わず身震いしてしまう、奥底の見えない冷えきった笑みであった。
『たばかる相手のいない場所よ、愉悦を求めることなんてとんでもない。無為永劫の時をこいつらは過ごすの、惨めったらしくね――』
『君の力を疑ってなんていない。でも、永遠にダンジョンを守らせるために悪魔を使おうだなんて……。そのときが来たら、彼はどうやって奴らと対峙するんだ?』
『取り憑く人間がいないんですもの、あいつらは簡単に姿をさらすことになるのよ』
『そういうことじゃない。私が言いたいのは、どうやって奴らを葬るのかっていう……。――もしかして、君には見えているのか……』
『――ねえ、お願いがあるの。あなたのお父さまと同じように、あなたの因子を私に分けてほしいの』
魔女は甘えるような表情をつくってみせた。
『ね、いいでしょ。――白の魔導士さま!』
男は天を仰いだ。どこか遠い景色を眺めているようだった。
『――父は、君に渡したのか……』
『お父さまは快く分けてくれたわ。だって、娘の頼みだもん。断ることなんてできない――って、ちょっと卑怯な言い方だったよね。ごめん……』
『それはいい……。父もそう思っていた。私だって、君の頼みを断ることなんてできるはずがない……』
『どうしても必要なものなの』
『シーナ……君はそれでいったい何をするつもりなんだい?』
『……英雄をつくるのよ』
『それは誰にとっての英雄なんだろう……。世界にとっての? ――それとも、君のための……』
魔女は、ふふっとはにかんだ。
「くそっ! くそっ! あの忌々しい魔女め――!」
アークデーモンは呪詛の叫び声をあげていた。断末魔だ。
――!
不意に剣の動きが止まる。
――魔女だって……?
今、あいつは魔女と言ったのか――。
そのわずかな間隙をアークデーモンは見逃さなかった。
――奴は、魔女という言葉に反応したな……。
そうか、これが奴につけ入る隙か――。
「ぐははは――お前は魔女のことを知りたくはないのか!」
「何を知ってる、悪魔!」
だが、そのときソラの袖を引っ張る者がいた。マリルだ。
「なあ、おい――気をつけないといけない、たった一つのことはどうしたんだよ?」
はっとして、ソラは詠唱を再開する。
「そうだよね。危ない危ない――」
聖なる光を帯びた剣の群れは、先ほどよりも獰猛に、そして残虐にアークデーモンを切り刻んでいった。
――あの女め……。
もはや自分が消滅することは免れない。またしても女に――悪魔は苦痛にゆがむ顔でマリルを睨みつけた。最後に呪いのひとつでもかけてやろうとしたのだ。
――!
だが、そのとき、悪魔の王は見た。そして、ひどく満足な気持ちになったのだ。
――ふははは、我が手を下さなくとも……!
「魔導士! お前はその女に――」
そっと、ソラの手が伸びてマリルの耳をふさぐ。驚いた少女は青年の顔を見た。優しく微笑んでいた。
「気をつけないといけない、たった一つのこと――悪魔の声に耳を貸さないこと」
最後の最後まで思い通りにいかなかった。悪魔の王は、苛立ち、絶望し、怨み、憎しみ、また絶望し、そのとりとめもない感情がまとまる間もなく、やがてぷっつりと途絶えたのだった。
地上から最後の悪魔が消滅した瞬間であった――。




