第3章―8
影は闇に、闇は異形の化け物へと、その姿を変えていった。体は人のそれ、足には蹄、背中にコウモリのような飛膜が生えている。そして、なによりも魂がその罪深さを――この世に存在していいはずがないと――絶叫せずにいられなかったのは、化け物の頭部が山羊そのものであったからだろう。
滅んだんじゃないの……?
にやっと、まるで心を読んだかのように化け物が笑った。山羊の面をしていながら、表情豊かに目を細め、口を歪め――やけに粘っこい笑みをそいつは浮かべたのだ。
体の奥底から、ぞわぞわっと悪寒がこみ上げてくる。気を抜けば、マリルはその場にへたりこんでしまったかもしれない。
「――悪魔族ってやつらしい」
できれば聞きたくなかった。何かの間違いであると、自分の下した判断を否定したかった。だが、ソラの言葉で確信したのだ。
――やっぱり、そうだ……。
「大昔に、白の魔導士が滅したって……」
「そうらしいね。白の魔導士を讃えるお祭りだってあるくらいだから。でも、やっぱり特徴をいろいろと当てはめてみると……」
のんびりとお喋りをしている暇はなかった。いや、それはソラだからできたことだ。元からそんな悠長な思いなどマリルが持てるはずもない。ずっと切羽つまった状況に、魂も体もからめ取られていたのだから。
それほど悪魔という存在の恐ろしさは、時を越え、伝承を通して人々の胸に刻みこまれていたのだった。黒の魔導士が世界の半分を滅ぼした後、残りの世界を悪魔族が蹂躙していった。奴らは人がもがき苦しむ姿を楽しむ。いろいろな趣向を凝らし、自分たちの享楽的な欲望を満たしていったのだ。
「そんな説明、今はいい! ――って、来るっ!」
デーモンと呼ばれた悪魔は地を蹴ると、あたかも瞬間移動のごとく通路を滑翔し、ソラたちに――おそらく久方ぶりであろう獲物に――嬉々として襲いかかってきた。
マリルは腰に挿した短剣を引き抜く。この矮小な武器に、昔話の中からよみがえった悪意にどれほどの効果が期待できるのか……。
できるはずもない――。
備わった防御本能がとらせた、咄嗟の反応であった。
「いや、なによりもね――」
――まだ説明なんてしてやがる!
マリルは向かってくる悪魔より、隣で呑気にかまえているソラに対し――その一瞬だけであったが、だが本気で――殺意を覚えたのだった。
この状況をなんとかしのいだら――。
あの野郎の背中をぶっ刺してやる!
ソラはマリルの気持ちなどお構いなしに講釈をたれ続ける。
「――聖なる光に圧倒的に弱いんだ」
次の瞬間――
横一閃、ミスリルの剣が眼前を薙ぐ。光の軌跡が宙に描かれる。それはキャンバスに筆をさっと払うような気軽さであった。
悪魔はすでに斬り裂かれていた。現れたときとは逆に、蒸発するように黒い粒子となって雲散霧消していく。
目の前で起きた出来事を理解できず、マリルはちょうど悪魔が消滅した辺りをしばらく眺めていた。
「アンデッドみたいな霊的な魔物や低級の悪魔なら、聖なる光を浴びせただけで蒸発しちゃうんだ。だから――ほら、今まで出てこなかったでしょ」
マリルは通路を煌々と照らす魔法の光を思い浮かべた。自分の知らないところで、ソラは前もって脅威を排除していたのだ。通路のはるか先、角を曲がった向こう、至る所に聖なる光を飛ばし、そこに潜んでいた悪魔を消滅させていた。
「あれが全部、その聖なる光だっていうのか?」
そんな簡単なはずがない。昔話に語られる、あの悪意の権化のような種族が、これほど容易く退治されていっていいわけがない――。
「じゃあ、強い奴はどうなのさ? さっき出てきた奴は、光では蒸発してなかったじゃん」
「そうなんだよ、やっぱり上級の悪魔とかになってくると光だけでは無理みたいでね。表面を焦がすだけって感じなのかな。だから――」
ソラはミスリルの剣を引き寄せ、呪文を唱えた。ミスリルは、ただそこにあるだけでも構造色の七色の光をぼんやりと放っている。それが、まるで内側にため込んでいた光を放出するかのごとく、まばゆく輝きだしたのである。
「こんなふうに、剣とか武器に聖なる光を宿らせてやるんだ。それで斬りつけてやれば、内部の奥深くまで光が届くんだろうね、簡単に悪魔とかは消滅してくれるんだよ。もう本当に、そこら辺の魔物を倒すより圧倒的に楽なんだ」
ソラは簡単に言うが、そしてマリル自身も真実を知るよしもないが、実は悪魔族を滅するには聖職者を含めた精鋭の部隊が必要となる。本来なら、たやすく倒せる相手ではないのだ。
「もっと下の層に行けば、さっきよりも強そうな悪魔と出くわすことになるんだろうけど――」
さらっとソラは言ってのけた。
「相性がいいんだろうね。きっと大して違いはないと思うよ」
さらに続けて、信じられないことを口走る。
「この先にちょうど良い部屋がありそうなんだ。そこで、今日は一泊しよう。お腹も減ってきたしね」
この悪魔の住まうダンジョンで、一晩を過ごそうと言い出したのだ。マリルはふたたび絶句するしかなかった。




