第3章―3
東の空にうっすらと光の帯が渡りはじめた。急がなければ、街道は商人達の馬車の往来で騒がしくなるだろう。
ソラとマリルは、湖の対岸に乗り上げた舟を、協力して砂浜からほど近い岩場へと懸命にロープで引っ張っていた。
「さっきみたいに魔法で動かせないのかよ……」
「試してみたけど、重いものはダメみたいなんだ」
「あんな大きな剣は飛ばせるのに? それに舟を剣で引っ張ってたじゃないか」
「あの剣は見た目より、ずいぶん軽いんだよ。舟を引っ張れたのも、水に浮かんでたからじゃないかな……」
実のところ、その件についてはソラも違和感を抱いていた。湖に浮かんでいようとも、人を二人は乗せられる舟である、それなりの重量はあるし、水の抵抗も無視できない。それにも関わらず、ミスリルの剣は湖水の上をするすると舟を牽引していったのだ。
ところが今は、舟を直接動かそうとしても、びくともしない。
――「あれ」に直接乗ろうだなんて夢物語だったのかな……。
ソラにとっては、そちらの事実の方がショックであった。
ともかく――。
この件は時間があるときにまた考えよう……。
今はそんなに悠長には構えていられない。なんとか岩場までたどり着いたソラは、土魔法で岩を変形させ舟を覆い隠した。
「さあ、明るくなる前に急ごう」
二人は街道に出た。南にはフラモ湖を囲むように迂回してきたクラード山脈の南端がそびえ立っている。その裾野、湖の縁に沿うように街道が東西に伸びていた。西に行けばアプサンという港町がある。目的地である遺跡は東に徒歩で数刻の距離だ。
ソラはマリルに先行して進んでいった。ときおり後ろを振り返る。マリルの歩くスピードを気にかけていたのだ。しかし、それも杞憂に終わる。少女はソラ以上に健脚であったのだから。いつしかソラを追い抜き、どっちだよと彼を引っ張る側にまわっていた。
街道を外れ山に入っていく。巨大な岩の柱が突き出た山肌には、まばらに低木の緑が点在しているばかりだ。だが、誰かに姿を見られる心配はなかった。まさにその大地からのびた巨岩群が天然の迷路を形作っていたのである。ソラたちの姿はすぐにその林立する巨岩の中に紛れていった。
「さあ、ついたよ……」
マリルのあまりのハイペースに、ソラはぜいぜいと息を荒げながら背負子を地面に下ろした。荷物に手をつき体重をあずける。
「え、どこに……?」
ソラは手を上げるのも億劫とばかりに、ゆっくりと目の前の崖を指差す。
「ここだよ……」
口元で呪文をつぶやく。と、崖の一部に裂け目が入り、ごごごと軽い地鳴りを伴いながら、その亀裂が広がっていった。
「ここが探索の拠点にしているキャンプだよ」
マリルは開いた入り口から、そっと中をうかがった。岩をくり抜いてできた一部屋分のスペースが広がっていた。天窓からの採光があるのか、ほんのりと中は明るい。岩でできたいかにも固そうなベッドと、事前に運び込まれた、おそらく保存食が入っているであろう箱が幾つか重なり置かれていた。
「とりあえず休憩しよう。昨日の晩から一睡もできていないし、何かお腹に入れないと。ちょっと早いけど、お昼ご飯を作るよ」
ソラはマリルの横を通り過ぎ、ずんずんと部屋の中へと進んでいった。少女を安心させるために、あえてそうしたのかもしれない。
「とりあえず、そこで休んでいてよ」
ソラは壁際にある、あの固そうな岩のベッドを指さした。自分はというと、難しい顔をして箱から食材を物色しだす。古いものから使っていこうと思案しているのだろう。
――ベッドで休んでて、か……。
よくそんなこと、気楽に言えるもんだ……。
マリルにとって、それは邪な呪いのような意味をもつ言葉だった。
――あいつは宿でも手を出してこなかった……。
少女はベッドに腰かけ、食事の準備をするソラの後ろ姿を睨んだ。屈辱の感情が思い起こされる。
そう、自分は誘ったのだ――。
宿でソラは湯を用意してくれた。体を拭きなよとタオルまで貸してくれて。それはきっと、この後の行為への布石なのだなとマリルは理解した。
――男なんて皆同じだ。期待する方が馬鹿ってもんだ……。
わざわざロープを張って、余ったシーツでカーテンまで作って……。何でそんな面倒なことをする?
――まあいいや……。
たっぷりと期待に応えてあげる。わたしの虜にしてやる。
そして、マリルは体の汚れを落とし、カーテンを開く――。
――!
あいつはもう寝ていたのだった。しかも、床に布を敷いて――。
「ねえ、ベッドで寝ないの?」
布を落とし、生まれたままの姿でソラの肩を揺する。
「ベッドはマリルだけで使ってくれていいよ。床で寝るのは慣れてるんだ」
目をつぶったまま、ソラはそう答えた。
「あたいは……別に……いいんだよ……」
「ダメだよ……」
ソラは目を見開いて、マリルをまっすぐに見つめた。少女の裸体に戸惑っている様子もない。真剣な眼差しで、諭すようにそう言ったのだった。
マリルは急に裸でいる自分が恥ずかしくなり、タオルを拾い上げ胸を隠した。そのまま無言でひとりベッドに潜りこみ、何かいろいろと考えていたような気がするが、いつのまにか眠りに落ちていたのだった。
あいつはまだ女を知らないのかもしれない――。
――それとも……。
好きな女がいるのだろうか……。




