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倭国大乱  作者: 明石辰彦
第ニ章

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第五十四話 王の子たち

あれからさらに一日が経ち、

他の国を調べに行っていた者たちが戻ってきたところで、船団の面々による会議が開かれた。そして、それぞれからの報告を纏めた。


警戒心が強く、まともに話すことすらできなかった国。

小さすぎて、150名もの受け入れが現実的でない国。

いずれも厳しい結果ばかりだった。


そこへいくと、俺たちが訪れた邪馬壹やまい国はおあつらえ向きだった。


王も住民も、外からの人間を完全に拒む様子はなく、土地も肥えていて、船の出入りもできる。海にも山にも近く、水も豊富。

暮らしていく上で、これ以上の条件はなかなかない。


だが、内心複雑な心境だった。

細島に帰った時、タケルに対し、邪馬壹国で暮らせるように、皆に打診することには同意した。

客観的に見ればあの国は好条件だし、邪馬台国成立の過程を間近で見れるのはこの上なく魅力的だ。

それに正直、タケルだけでなく、俺自身もヒミコにまた会いたいと思っている。


けど、それが問題なんだ。


邪馬壹国はこの先、おそらくヒミコを旗頭にして急速に大きくなっていく。

そこに俺たちの漢の技術が加われば、より拍車がかかることになる。

邪馬壹国は強くなりすぎてしまう。


俺は孫堅と約束した。

“奪うための戦いではなく、守るための戦い”をすると。


だが、ヒミコは人の心を奪いすぎる。彼女に魅入られた人々は、自分の命を喜んで投げ打つだろう。

……喜んで、人を殺すだろう。

それが、怖い。


だが結局、他に候補地もなく、定住の地を邪馬壹国に定ることとなった。

とは言え、いきなり150名でぞろぞろ乗り込むわけにはいかない。

まずは中型船1隻で向かい、あちらと段取りを組まなくては。

邪馬壹国に初めに行った俺とタケル、そして宮崇が代表として先に赴くこととなった。


中型船には水夫かこもいるが、彼らには船に残ってもらい、俺たち三人だけで邪馬壹国の港に上がった。

村に辿り着き、訪いを告げると、すでに話が通っていたのだろうか、すぐに使者が現れた。


案内されたのは、王の宮でも神殿でもなく、丘の中腹にある大きな建物だった。

説明によると、祭事とまつりごとの両方を執り行う場だという。つまりは政庁せいちょうのようなものと考えられた。


中に入ると、中央に炉が据えられ、ゆるやかに煙が昇っていた。

炉の周囲には丸太を削って作った長椅子が並び、客人はその外側に座る決まりのようだ。

火を挟む形で向かい合えば、相手の顔が明るく照らされ、声も自然と通る。

俺たちは炉の手前の席に案内され、王の到着を待つことになった。



やがて数人の兵を伴い、王がやってきた。

炉を挟んで俺たちの奥側に腰を下ろす。護衛の兵たちは背後に控え、静かに槍の石突を床に立てた。

そして王の左右には、身なりのいい二人の人物がいた。


一人は三十前後と思しき男。

浅黒い肌に切れ長の目、髪は肩まで伸ばして革紐で束ねている。

立ち姿は無駄がなく、鋭い眼光は知性と冷徹さを感じさせた。

衣は上質な麻に深い青の染料が入り、腰には革の帯。胸には翡翠の勾玉が下がっている。


もう一人はまだ少年だった。

俺はその姿を見て、思わず息を呑んだ。

その幼さに驚いたのではない。


――ヒミコ?


一瞬、見間違えたと思った。

顔立ちはまだあどけないが、瞳や口元、頬の線に、あの少女の面影が確かにあった。

何よりも髪色がヒミコと同じ特徴的な灰褐色

だ。まず間違いなく、ヒミコの弟か親族だろう。

その髪は肩で切り揃えられ、細い麻紐でもう一人の男と同じように後ろに束ねている。


男が王の左、少年が右側に座った。


都萬彦つまひこ穂北彦ほきたひこだ。前回お主たちが出会ったヒミコちゃんの兄と弟に当たる」


兄弟?


意外だった。

弟、穂北彦ほきたひこの方はわかる。どっからどう見てもヒミコと同じ血が流れている。

だが、兄である都萬彦つまひこはとてもそうは見えない。

ヒミコと穂北彦は線の細い、秀麗な顔立ちだが、都萬彦は知性的な目元以外は、荒々しく男らしい印象を与える。

妹達とは全くタイプの異なる風貌だ。


肩幅が広く、手の甲には厚い皮膚。

けれど、腰を下ろす所作には無駄がなく、眼差しには確かな理性が宿っている。

一見、戦士のようでいて、言葉を選びそうな知恵者の顔だ。


「たぶん、異母兄妹なんじゃないかな?歳も離れすぎてるし」


ナビが耳元で囁く。

そうか、確かにこの時代では珍しくないか。

言われてみれば都萬彦の顔は、父親とだったら少し似ているようにも思える。


つまりヒミコと穂北彦はお母さん似か。相当な美人なんだろうな。


俺とタケルは、王の紹介に合わせて軽く会釈をし、宮崇は恭しく頭を下げた。


都萬彦は一言も発さず、ただ俺たちを値踏みするように見ていた。

穂北彦の方も警戒の籠もったような目で俺たちを見据えている。ヒミコと違って、あまり友好的ではないようだ……。


「ヒミコ殿はいないのか」


タケルが遂、という感じで口に出してしまう。

その言葉に反応して、都萬彦がタケルを睨む。その目には明らかな不快感が宿っていた。

穂北彦は憤った様子で、


「お前ら、やっぱり姉上目当てでこの国に来たんだな」


と立ち上がって怒鳴り散らした。


「い、いえ。俺は、その、えと……」


タケルがしどろもどろになる。


「王族の方々がお見えになっているのに、ヒミコ様だけがいらっしゃらないのが不思議に思えましてな。他意はありませぬ」


宮崇が目を伏せたまま静かに言い放った。あまりにも堂々としており、穂北彦はそれ以上の言葉を失い、鼻を鳴らして座り直した。

というか宮崇、いつの間にそんな流暢な倭国語を。相当母さんと練習したんだな……。想像して、少し嫌な気分になる。


「ヒミコちゃんは女の子だからな。さいの場には姿を出してもらうが、こういったせいの場には参加させぬのだよ」


タケルの疑問に、王が答えてくれた。

ピリついた空気が少し和らぐ。


「して、そちらの御仁は初めてだな」


王が宮崇の方に目を向ける。


「漢の道士、宮崇と申します。我らは皆倭人ですが、私のみ漢人の血を引く者です」

「ほう、漢人か。道士というのは?」


王が興味深そうに眉を上げる。


「神仙と、地のことわりを学び、病を癒し、人の運命を読む者でございます」

「地の理、それに病を癒すか。それは、神に祈りを捧げてということか?漢の教えは、我々の遥か先をゆくものではあろうが、異国の神を奉じれば、我らの神の怒りに触れかねん」

「ご憂慮はもっともですが、私が奉じる神仙は、私の心の中だけの問題……。邪馬壹国の神を差し置いて、我が神を人々に崇めさせようなどとは、一切思っておりませぬ」

「だが、神に祈りを捧げずして、どうやって病や怪我を治すのだ」


王の問いに、宮崇は少し間を置いて答えた。


「神に祈ることは、心を鎮め、病を遠ざける第一の法にございます。ですが、神は人に“理”も与えました。草木の性、水と火の加減、血の巡り、すべては天地の理に通じております」

「その天地の理とは」


王が眉をひそめる。

そして、先程まで興味のなさそうだった都萬彦が、宮崇を注視していた。


「はい。たとえば、傷を負ったときには“血の道”が乱れます。乱れた血を止め、腐らせぬようにするには“熱”と“草”が要る。草には“すがし”と“毒”がありましてな。“清”なる草は熱を鎮め、“毒”の草は膿を散らす。それを煎じて塗り、包み、幾日かすれば膿は収まり、皮が再び生まれます」

「……煎じて塗る、だと?」


王が驚いたように呟く。


「はい。他にも、内なる病を抱えし者には薬湯を飲ませます。火で水と草を温めることで、草の“気”が水に移るのです。その気が、体の中の邪を払い、病を消し去るのです」


そう。宮崇の師である于吉が著した“太平清領書”。俺もそこから少し学んだが、あれは宗教書でありながら、学術書的な側面も強かった。迷信やまやかしなどではなく、科学的な知見に基づいた知識が殆どだった。……ように思える。


都萬彦が腕を組む。


「道士殿。あなたの言は実に理に適っているように思える。ですが、その効果の程を見せて頂けぬことには、にわかには信じられませぬな」


都萬彦が宮崇を見据える。

だが、宮崇はあくまで冷静だった。


「いくらでもお見せ致しますが、病を治すにはある程度の時が要ります。怪我を治すにしても、そう都合よく怪我人が現れるはずもない……」


宮崇は少し思案をする。


「致し方ありますまい。病の者を訪ね、我が治療を施しましょう。程度によりますが、二、三日もすれば……」

「あ、はい。はいはい」


宮崇を遮って、俺は手を上げて声を出す。

閃いたぞ。

一同の視線が俺に集まる。

俺は立ち上がって、衣の帯を緩めて腹を見せる。


「じ、持衰。何を」


タケルが慌てるが、俺は構わず言葉を続ける。


「これ、これを見てよ。この腹の傷」


俺の右脇腹には、大きな傷の縫い痕があった。

洛陽で呂布と戦った時に、戟で刺された時の傷痕だ。


「俺はここ、風穴を空けられた。でもピンピンしてる。宮崇が治した」

「馬鹿な…」


都萬彦は信じられないという様子だ。

王と穂北彦も目を丸くして、俺の傷痕を眺めている。


「これほどの大きな傷であれば、血を失い、臓物を傷つけ絶命するはずだ。道士は死んだ者を生き返らせることが出来るとでも言うのか」


都萬彦が宮崇に詰問する。


「死者に再び命を宿らせることなどできませぬ。ですが、死の淵に立たされている者を、現世に引き戻すことは十分可能です。

この男の場合は――深く刺さった傷を焼き、血を止め、腸を整え、絹糸で閉じました。

その上から薬草を煎じた膏を塗り、三日三晩、熱を見張りました」


「……傷を縫う? そんな方法があるのか」


王が眉を上げる。

確かに、織物じゃないんだから、人間の身体を縫うなんて信じられないだろう。


「ホント、ホント。ここ、縫ったあと」


俺は都萬彦たちの方に歩み寄り、腹の縫い痕を見せた。

近くで見ると、うっすらと白く筋が残っている。


「なるほど……確かに縫い合わせた痕のようにも見える。

少なくとも、これほどの傷を負って生還したのは事実だな」


都萬彦はようやく納得したように頷いた。


「恐れ入りましたよ、宮崇道士。

何より私が気に入ったのは、神の手に頼らず、人の手で命を救うという点だ。

祈りだけでは人は救われぬ。神は多くの場合、慈悲を与えてはくださらぬからな」

「都萬彦、またお主はそのようなことを……」


王がやれやれと首を振る。

どうやら都萬彦は、何でも神に委ねるこの国の風習にあまり好意的ではないらしい。

この時代にしては珍しい――理屈で動く男だ。


宮崇のお陰で、その後の話はとんとん拍子に進んでいった。

邪馬壹国は奴国などの強国ほどではないが、周辺の幾つかの集落を束ねる国力を持っている。

150名の俺たちの仲間は、それぞれ分散して村々に住まわせてもらい、代わりに労働力と技術を提供する、という形に落ち着いた。


「しかし驚いたぞ。倭人を率いるのが、まさか漢の道士とはな」


話がまとまったところで、王が顎髭をしごきながら呟く。


「長は私ではありませぬ。隣にいる、この男です」


宮崇が、静かに俺を指し示した。


「はあ? こんなガキが? 冗談だろ」


穂北彦がすぐに声を上げる。


「なんだと? お前のほうがガキだろうが」


思わず俺も言い返してしまった。


「お、おい。持衰、落ち着け」


タケルが慌てて止めに入る。


「持衰……? 先ほどから気になっていたのだが、“じさい”というのは、北の方の慣習で、舟の守り人のことを指すのではないか?」


都萬彦が、俺と穂北彦の口論を意にも介さず、興味深そうに問いかけてきた。


「あー、その……えっと……」


どう説明したものか、言葉に詰まる。

そんな俺に代わって、宮崇が口を開いた。


「代わりにお答えいたします。いかにも都萬彦様の仰る通り。もとは、本来の意味での“持衰”でございました」


救われた……。

慣れない倭国語でどう言えばいいか考えていたところだった。


そして、宮崇が掻い摘んで説明をしてくれた。

伝説的な働きをした先代の持衰。

宮崇の師・于吉と行動をともにするうち、“持衰を継ぐ者”として、二代目となった現在の俺の話。

それに、タケルの武勇、漢での経験。


「なるほど、そのような経緯いきさつであったか」


王が納得したように大きく頷く。

火の光がその顔を照らし、深い皺の間に優しい笑みが浮かぶ。


「しかし、医術に長けた漢人の道士に、倭人の神の化身。一騎当千の若武者に、漢の文化を知る民たち。……思っていた以上に、面白い者たちであったな」


王は豪快に笑った。


「良いんですか、父上。

確かにコイツら、色々役立ちそうだけど……

もしこの国を乗っ取ろうなんて考えられたらどうするんです」

「そ、そんなこと、しない」


穂北彦の言葉に慌てて反応する。

ほんと、余計なことしか言わないガキだ。


「安心しろ穂北彦。既に神意は得ておるし、ヒミコちゃんも問題ないと申しておる。お前も知っているだろう」


王が穏やかに言うと、穂北彦は不満げに舌打ちし、そっぽを向いた。

ヒミコと同じ整った顔立ちなのに、性格はまるで正反対だ。


「兎に角だ。持衰、宮崇道士、タケル。お主たちが来てくれたことを、儂も嬉しく思う。ともにこの国を、より豊かに、平和にしていこうぞ」


王がにこやかに笑みを浮かべた。

その言葉に、俺たちは深々と頭を下げる。


……ようやく、住む場所が決まった。

これからやることは山ほどあるが、まずは一歩前進だ。

だが、気になるのは……。


俺は頭を下げたまま、そっと目だけを横に動かした。


都萬彦――

その冷たい眼差しが、炎の奥でじっと俺たちを射抜いていた。


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