第五十三話 魔性
玉座の奥に、もうひとつの出口があった。
王を先頭に、俺たちはそこから外へ出た。
外はひんやりとしていて、夜の気配が濃くなり始めている。
出口からは、石を敷き詰めた細い参道が丘の方へと続いていた。
その先――
白い建物が、薄闇の中にぼんやりと浮かんでいる。
「……あそこが、御子様の神殿」
ヒミコが囁くように言った。
神殿へと至る道の両脇には、等間隔に小さな火鉢が置かれていた。中で火がくすぶり、煙が細く立ち上っている。
ヒミコと王は口を開かず、ただ黙って、ゆっくりと歩いていく。
俺達も何となく声を発するのが憚れて、静かに後をついていった。
やがて丘の傾斜がゆるやかになり、前方の木々の間から建物の全体が見えてくる。
白い布で囲まれた長方形の建物。
「ついた、ここ」
ヒミコが立ち止まり、静かに言った。
建物の前には石でできた浅い壇があり、
中央には青銅の香炉が据えられている。
「この先は、父上と私だけ……。他の人は、外で待って」
「そういう決まりか?」
「うん…。中に入れるのは、限られた者だけ…」
「御子の姿を見れるのもな」
最後に王がそれだけ言って、2人は神殿の中へと消えていった。
「スゲーなここ……。普通の人間が踏み込むことを拒んでいるような……、まさに“聖域”って感じだ」
2人が中に入ったのを確認して、俺は呟いた。
「ああ。さっきまでいた村の中とは思えない……」
タケルも驚嘆しているようだった。
「なあ、持衰。やっぱり、ここには神様がいるのか?」
「え、何で俺にそんなこと聞くんだ?」
普通の人間である俺にそんなことわかるはずがない。
いや、違うか。この世界に神様はいないんだった。あるのは“そういう風にできてる”っていう理だけ。
「だってお前、持衰じゃん。普通の人間には見えないものが見えたり、感じたりできるんだろ?」
「あ、いや。それは」
俺は言葉を探す。
漢にいた時、幾度か俺は自分のことを“神の化身だ”と言った。“持衰は神の声が聞こえる”って、人々の言葉も特に否定はしてこなかった。
でも、それは皆の士気を高めるためであったり、ナビとの会話を誤魔化すために致し方なくだ。
当然、タケルの思うようなスピリチュアルな力はない。
「いや、ほら。こっちの神様と俺の神様だと別の神様っていうか……。まあ、神様って一口に言っても?色々なんだよね〜」
俺は必死に誤魔化す。別に、持衰っていう自分の立ち位置に執着はないが、みんなをがっかりさせたくない。
騙しているようで胸が痛むが、人に見えないものが見えるってのは、まるっきり嘘ではないから……許してほしい。
「あれ? この音……」
神殿の奥から、突然――鈴の音が響いた。
微かに、けれど確かに耳に届く。
風の音、木の葉のざわめき、虫や鳥の声。
そのすべてに鈴の音が溶け込み、神域全体が静かに揺れる。
ひとつ、またひとつ。
その音が重なるたび、空気が澄んでいくようだった。
そして、その奥から――
かすかに、女性の声が聞こえた。
「これは……祝詞か?」
おそらくこの声が、ヒミコと王が言っていた“御子”の声なのだろう。
言葉の内容までは聞き取れない。
けれど、鈴の音と風のさざめき、虫や鳥の声が溶け合い、その中に御子の祝詞が重なって響いていた。
それは祈りというより、ひとつの歌のようだった。
この時代に来てから、音楽に触れることはほとんどなかった。
だからだろうか。
この歌声を、ずっと聴いていたいと思った。
俺とタケルは目を閉じ、ただ無心に耳を傾けていた。
やがて声が止み、鈴の音の残響だけが耳に届く。
その音も――
少しずつ、少しずつ、遠のいていき、
やがて、完全に消えた。
「……終わったのか?」
ゆっくりと目を開ける。
「す、凄かった……」
タケルも感嘆の声を漏らす。
強烈な余韻のせいで、俺たちはそれ以上、言葉を発することができなかった。
しばらくして、神殿の奥からヒミコと王が姿を現す。
「――神託を得たぞ」
出てきて最初の王の一言がそれだった。
俺はその後の言葉を待つ。
「お主たちを住まわすことを、神はお許しになった」
その言葉にほっとして、肩の力が抜ける。
「それは、良かった。仲間、連れて来る。いいか?」
「勿論だ。お主達を受け入れることは、邪馬壹国にとって益となるだろう。待っておるぞ」
俺は王に礼を告げ、神域、そして王の宮を後にした。
外まではヒミコがついてきてくれた。
「もう、帰るの……?」
「ああ、目的、果たした。仲間に、伝える」
王女様にいつまでもガイドさせるわけにもいかないしな。
それに、そのせいであの侍女集団に詰められるのもごめんだ。
「でも、夜だよ。くらい……。泊まる場所、あるよ?」
顔は無表情だけど、心配してくれているのだろうか。
「いや、今日、月が出てる。大丈夫」
「そう…じゃあ、また。サイ、タケル」
「サイ?」
「じさい。は、言いにくいから。サイ……」
「そ、そうか」
急なあだ名に戸惑いつつも、俺はヒミコと距離が縮まったような気がして、少し嬉しくなる。
……嬉しい?
次にヒミコは、タケルの方に向き直る。
「これ、あげる……」
そう言ってヒミコは腰に提げていた皮袋を外し、タケルに手渡した。
タケルはぎこちない動作でそれを受け取る。
「いいのか?」
何も言えないタケルに代わって尋ねる。
「うん……。この子は、山の恵み。あなた達に受け取ってほしい」
あ、そうか。中身ウサギだった……。
年頃の女の子からのプレゼントにしては中々厳ついな。
けど、タケルは顔を紅潮させ、肩を震わせている。
……嬉しそうで何よりだ。
「あ、あの。ああと、あ、ありが、とう……。ヒミコ……殿……」
「ヒミコで、いい……」
背はタケルの方が頭一つ分は大きい。
ヒミコがタケルを見上げる。
「は、はい。えと、ヒミコ……」
「うん……」
ほんの一瞬、ヒミコが微笑んだ。
注意して見ないと気づかないほどの、かすかな笑み。
でも確かに、ヒミコは笑った。
まずいな……。
「えと、じゃあ、俺たち、これで」
俺はタケルを引っ張り、ヒミコに背を向けて歩き出す。
タケルは茹でダコのようになっていた。
無理もない。
俺も今のヒミコの笑顔には、思わず見とれてしまった。
彼女と離れがたくなる前に、さっさと別れた方がいい。
「――流石は、後の邪馬台国の女王だ……」
邪馬壹国でもらった松明と月の灯りを頼りに、自分達の船に戻った。
北に向かって岸に沿って進めば、自然と細島に行き着く。夜でも何とか帰れそうだ。
「あのまま泊めて貰っても良かったかもしれないけど……」
まだ、ヒミコに情を移しすぎるのは危険だ。
「まだ、邪馬壹国に腰を落ち着けると決まったわけではないしな……」
「な、なんだって」
タケルが大声で叫んだ。
……びっくりした。
「何を驚いているんだよ。元々そういう話だろ?他の人たちも別の国を調べてるんだ。まず、みんなの情報を持ち寄って、話し合ってからじゃないと」
「神託まで受けといて、そんなこと許されないだろ」
「そうなんだよな……。それが、ちょっと気まずいんだよ。あれよあれよと話が進んじゃって、言い出せなかったんだよな」
それにまだ倭国語に慣れてないから、ちゃんと説明できる自信も無かった。
「勿論、不義理になるようなことはなるべくしないよ。邪馬壹国に移住できなくても、技術提供はなるべくさせて貰うし、同盟だって……」
「だ、ダメだ。ヒミコ殿は俺たちに“また”って言ったんだぞ」
タケルが興奮して立ち上がろうとする。
舟が激しく揺れる。
「こら、動くな。ちょっとヒミコに入れ込みすぎだぞ、タケル」
俺がタケルに注意すると、憮然としながらも座り直した。
「確かに、ヒミコは魅力的だし、お前が異性として意識するのはわかるけど……」
「いせ、異性としてなんて」
また舟が揺れる。
「やめろ。落ち着け。でも相手が悪い。小さいとは言え、向こうは一国の王女なんだから」
「わかってる。そもそも俺は、ヒミコ殿とどうにかなろうなんて……」
タケルにしては歯切れが悪い。
めちゃくちゃ意識してるな、思春期さんめ。
「だったら、冷静になれ。まずは話し合いだ。それに、邪馬壹国で暮らさなくても、日向の地に住み着くのは間違いない。また会える機会もあるさ」
タケルは返事をせず、月明かりに照らされた海を見つめている。
俺は軽く溜息をつく。
少しときめくくらいなら、いいだろう。
タケルだって若者だ。
突然出会った美しい少女に、憧れを抱くのはむしろ健全だ。
でも、彼女はよくない。
ゆくゆくは邪馬壹国の女王となる人物。
そして卑弥呼は、生涯、誰とも結ばれることがなかったと言われている。
どう考えても、タケルと結ばれることはない。
いや、それだけならまだいい。
ほろ苦い青春の一ページで済まされる。
だけど、ヒミコが最後に見せた、あの笑顔。
あの瞬間、タケルだけじゃない。
俺までもが、心を鷲掴みにされたような感覚に陥った。
彼女は、人を惹きつけすぎる。
このままでは、タケルは、
ヒミコのためなら死をも厭わない、信奉者になってしまうかもしれない。
いや、タケルだけじゃない。
多くの人間が、やがてヒミコのために血を流す。
そんな予感がした。
だからこそ、無理矢理にでも、ヒミコと別れたんだ。
孫堅から聞かされた、黄巾の乱での地獄。
狂信に駆られた者たちが、何万人もの命を奪い合った。
俺は、人の盲目なまでの信奉心を、無意識のうちに、嫌悪してしまうのかもしれない。
細島に辿り着いた頃には、空が白み始めていた。
自分達の大型船に、舟を横付けして岸に立った。
あの後、タケルとは終始無言だった。
少し、気まずい。
「なあ、持衰。腹減らないか」
「……減る」
俺が答えると、タケルは舟の中を漁り、石で造った小刀を探し当てる。
腰に大事そうに提げた皮袋から、ヒミコにもらった野ウサギを取り出し、石のナイフで器用に皮を剥ぎ始める。
「燃やせるもの、探してきてくれ」
「わかった」
俺は周囲を見回して燃やせそうなものを集めた。浜に打ち上げられた細い流木、枯れた海草、乾いた藻。
石で作った小刀は、予想以上に切れ味がよく、毛皮を剥ぐ作業がみるみる進む。皮と脂のにおいが風に乗ってきて、腹の虫が鳴く。
「燃えやすいやつ、ここらへんにまとまってる」と俺が言い、タケルは小さな山を作る。火打石と金属片から出る火花を受け止めるため、布を細かく裂き、細い藁を用意する。
火花が散り、藁がくすぶる。ゆっくり息を吹き入れると、小さな炎が立ち上がった。炎はあっという間に流木に移り、やがて安定した焚き火になる。火の上に石を並べ、平たくした石で簡単な受け皿を作る。そこへ切り分けたウサギを置くと、肉がじゅうっと熱を受け、旨そうな匂いが立ち上った。
枝で肉を刺し、黙々と口に運ぶ。脂の甘みと野性の香りが広がる。
「持衰、俺やっぱり、住むなら邪馬壹国がいい。だってこの肉、すげえ美味えもん」
「わかったよ」
こんなに美味い肉があるなら、仕方ない……。
焚火と朝日に照らされながら、俺とタケルは笑い合った。




