第二百九話 出雲
実際、野見の成長速度は異常だった。
打ち込まれることは無かったが、時間一杯使っても、俺が有効打を当てられない日も出てきた。
いつの日か野見に対して、意識などする必要もなく、自然と本気を出すようになっていた。
「随分と、手を焼かされるようになったものだな」
川原で汗を流している俺に、探湯主が声をかけてきた。
まだ肌寒いが、ちょっと動けば汗が噴き出すくらいには暖かい時期になっていた。
山頂に残った雪が解け出すのも、もう僅かの内だろう。
「宿禰が見込んだだけのことはあるってことだな。俺が強くなる倍くらいの早さで、あいつは腕を上げている」
ぎりぎり歳上の威厳は保っているが、このままではあいつに一本を入れられるのは時間の問題だ。
正直このまま勝ち逃げして、筑紫に入りたいくらいだ。
「だが、お前も確実に強くなっている。宿禰殿だけを相手にしていた時よりもな」
「そうなのか?」
「強すぎる相手からでは引き出せぬ自分というのも、あるような気がする。私は武術については、よく分からんがな」
よく言うよ。
宿禰ほどではないにしても、探湯主も相当な腕前だ。
山籠りのような鍛錬と、ならず者との実戦で、他人に頼らず強くなったんだ。
「そろそろだろうな」
「ああ、ようやくだ」
その夜、住居に集まった俺と探湯主は、宿禰からその意思を耳にした。
「明日、出雲振根に会いに行く。と言っても、それはいつもの事だがな」
黄昏時前から日没までの時間に、宿禰は俺との修練にかかずらっている。
それより前の時間には、足繁く出雲振根の元へ通い、ご機嫌窺いを続けていた。
歓待の酒肴は頂戴しているようだが、宿禰が小出しにした献上品でかなりのお釣りがでる程度だ。
振根が宿禰を気に入りるのも当然だろう。
「ただし、明日は三人で行く」
「俺と探湯主も」
「会うのは俺と久志宇賀だけだ。大和から神事を司る一族の者を招いたと、振根には伝えてある。是非、杵築の社にて祈祷を捧げさせて頂きたいとな」
「振根は、首を縦に振ったのですね」
「ああ、信用させるのに骨が折れた。女王から賜り、俺が元々持参した物品のほぼ全てを吸い上げられた」
「それだけで、振根は宿禰殿を信じたのですか」
「いや、最後の一押しは動機だよ」
「動機?」
俺は宿禰の言葉を反復した。
「偉大なる出雲の神に祈祷を捧げれば、友人に箔がつく。大和での立場も、違うものになる筈だと、振根に伝えた」
「邪念に満ちた者は、人の欲を何よりも信ずるということですね」
「そういう事だ。だから骨は折れたが、扱い方は簡単だったよ。俺が振根に数々の品を献上した理由にも、勝手に納得してくれた」
友人の大和での立場が上がれば、宿禰にも恩恵がある。
その“得”の為に宿禰が動いていると、振根は解釈したのだろう。
「んで、俺は何をすれば」
「盗み出せ」
「俺が」
驚いて思いっ切り叫んでしまった。
狭い家の中なので、叫び声が響き渡った。
探湯主は迷惑そうに耳を押さえている。
「でもどうやって」
「祭壇の中にまでなら入り込める。少なくとも俺と久志宇賀なら。それ以上は流石に許されないだろう。通常、社の中への立ち入りは禁じられている」
「じゃあダメじゃん。俺入れないじゃん」
「仮に共に入れたとしても意味はない。祭壇までは、出雲振根も一緒なのだからな。奴の前で天叢雲剣を盗み出すなど不可能だ」
「じゃあ、どうすんのさ。こっそり忍び込むのか」
「それも難しいな。社の場所は分かるが、海で隔てられている。参詣は平民でも許されているが、舟に乗る際に必ず監視がつく」
「それってもう、手詰まりじゃない?」
社に潜り込むのが不可能なら、天叢雲剣を盗み出すのも不可能だ。
ここはやはり剣には拘らずに、そのまま筑紫を目指した方がいい。
俺は二人にそう提案したが、あっさりと拒否された。
「まあ、任せておけ」
そして宿禰は、何やら含みのある笑みを浮かべた。
すげえ不安なんですけど。
早朝、俺たちは意宇の里を発ち、宍道湖の西側に位置する、出雲の里へと向かった。
「どうだ二人とも、八雲立つ出雲。その名に相応しい、見事な景観だろう」
俺たち三人の中で唯一、宿禰は何度も出雲に通っている。
宿禰はこの出雲で見える景色を、とても気に入ってるようだ。
確かに圧巻の眺めだ。
巨大な宍道湖も凄かったけど、その北側から西側にかけて連なる、出雲北山山系の雄大さも中々のものだ。
その連山に寝そべるように長大に伸びる白雲は、まさに“八雲立つ”という表現が相応しい。
「まあ、籠り甲斐のありそうな山は多いようですね」
探湯主はあまり興味がないようだけど。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻込みに 八重垣造る その八重垣を〜」
ナビが気持ち良さそうに出雲の風に当たりながら、歌を諳んじた。
「何だっけ、それ」
「出雲で八岐の大蛇を倒した、素戔嗚命が詠んだとされる歌だよ。日本最古の和歌として伝わってるね。スサノオは神話上の人物だけど、この歌を作った人は、この出雲の景色と、スサノオの思いを重ねて歌ったんだろうね」
そう言ってナビが、また出雲の山々の雲を見上げた。
歌はよく分からないけど、この美しい景色と、その時に感じた思いを、大切に残したいって気持ちは、なんとなく俺にも理解できた。
ナビにつられて、もう一度山を仰いだ。
この景観で感じた俺の気持ちも、しっかりとした言葉で表したいと思った。
「うん。めっちゃ綺麗」
だめだ。俺に詩的なセンスは皆無のようだ。
「山と雲もそうなんだけどさ、気になるのはあれもなんだよね」
俺の伸ばした指の先には、あるオブジェクトのような物があった。
土を盛り上げて丘のようにして、その周りを葺石で覆っている。
おそらく古墳なんだろうけど、その奇妙な形が俺にその判断を躊躇させていた。
「なんだ、あのヒトデみたいなのは」
四隅から脚が生えたように見える。
それが地面にペタリと引っ付いて、地面にしがみついてるような。
俺からすると、当にヒトデのように見えてしまった。
「お、あれに目がいくとはお目が高いね〜」
ナビが目を輝かせている。
今日は活躍出来そうなのが嬉しいのかもしれない。
「あれは四隅突出型墳丘墓って言ってね、出雲を中心とした山陰地方のみに見られる珍しい形の古墳なんだよ」
「お、やっぱり古墳なんだ」
「古墳は東海地方を発祥として、大和を経由して進化、そして西日本にも広がっていった。出雲も例外では無いんだけど、この地域はとにかく独自性が強い」
ナビの言葉に力が籠る。
ちょっと俺の質問の答えから逸脱しそうだが、遮ると臍を曲げるので、黙って耳を傾けることにした。
「出雲は他地域との繋がりは持っていたんだけど、吉備のように大和に服属するのは大分先になるの。それには、確立した信仰と軍事力が影響しているんじゃないかな」
「信仰と軍事力」
「そう。例えば今はさ、大和の御眞木彦、つまりは崇神天皇が大和の神である天照大御神を、影響下にある国々に祀らせようとしているでしょ」
「そうだな」
同じ神を祀るということは、政治的な意味合いにおいてかなり大きい。
臣民にわかり易く、大和の傘下に入ったという事を、知らしめることが出来る。
勿論それを可能にさせる背景には、大和の圧倒的な物流量が、物を言わせているのだが。
「けど出雲は、自分たちの神に対する拘りが強い。その神様って言うのが、今キミが向かっている、出雲大社に祀られている大国主神だね。
今はその名前は付いてないみたいだけど、大国主神に対する絶大な信仰心は存在している。到底、他国の神様を迎えるなんて、承服しかねるんだろうね」
そう言えば、古事記にもそんな記述があった気がする。
国譲りとか何とか。詳しくは忘れたけど。
「そして軍事力。キミも知ってると思うけど、神の国というイメージからは想像もつかないほど、出雲の国はゴリゴリの武闘派なんだよ」
ああ、知ってる。
そもそも倭国大乱の火種を大火へと発展させたのは、出雲や吉備の連中だ。
前世の、そのまた前の前世の俺は、そのお陰で倭国から漢へと逃げ出す羽目になった。
戻ってきてからも、出雲と筑紫で戦ったこともある。
「ほら見て、丁度今わたしたちが横切ってる集落、あれは神庭荒神谷遺跡だよ。あ、もちろん今は遺跡じゃないけどね」
右を向くと、緑と畑の奥に、家々が建ち並ぶ集落が目に入る。
その奥には針葉樹が生い茂る斜面が広がっており、中ほどに木を伐り倒して開いたような場所がある。
遠目で分かりにくいが、銅鐸などが見えるところを考えると、祭壇なのかもしれない。
「あそこでは後年、358本の銅剣が一括で出土するの。それってね、その当時までに見つかった銅剣の総数よりも多かったんだよ」
「あの集落一つで、日本中の銅剣の数を上回ってるてことか」
「勿論、他の地域でまだ見つかってない分を含めたら分からないけどね」
それにしたって、とんでもない物量だ。
下手したら筑紫や大和にも匹敵するんじゃないのか。
「見つかった銅剣は、全て祭祀用だったのかもしれない。でも、祭祀具にはその地域の性格が現れる。大和は銅鐸ばかりだけど、戦の激しかった九州では、銅剣の出土が目立つ」
「なるほど、そこから出雲国が、古代における軍事大国だったって窺えるわけか」
「炯眼だな、サイ。この国の本質を見抜いたか」
俺の独り言。と、傍からは思われるナビとの会話に、宿禰が反応した。
「如何にも、出雲の軍事力は計り知れん。盟主である出雲振根は凡庸な男だが、奴が抱えているものは強大だ」
「つまり我らが下手を打てば、大和と出雲の間で何が起こるか分からんと言うことだ」
探湯主が思い詰めたような表情で、そう付け足した。
「出雲との戦も楽しそうだが、筑紫を片付けてからでないとな。流石に苦しいだろう」
宿禰が愉快そうに笑った。
マジでこいつの神経はどうなってるんだ。
一つも面白いことなんてない。
こんなリスクを冒してまで、天叢雲剣は必要なものなのだろうか。
「さあ、着いたぞ。そのご本人様がおわす場所に」
目の前に映る集落を目にした俺は、一度生唾を呑み込んだのだった。




