第二百十話 魅せる剣
出雲国の盟主・出雲振根は、屋敷の中ではなく、外で待ち構えていたようだ。
そのまま中に招じ入れられることなく、杵築の社を目指しているみたいだ。
みたいだ。という曖昧な表現なのは、俺が彼らの状況を正確に把握できていないからだ。
傍にいない訳ではない。
寧ろ凄く近くにいる。
ただし、米の詰まった麻袋に突っ込まれた上でだが。
出雲振根の集落に入る直前、俺は宿禰によって、大きな麻袋の中に押し込まれた。
米の中に身体を沈めて、頭だけ袋の中で出している状態だ。
その袋を宿禰が担ぎ、もう一つ同じ大きさの、こちらは本当に米で満たされている袋を、探湯主が持ち運んでいる。
「痛て」
突然衝撃。
おそらく袋ごと放り投げられたみたいだ。
そして、ぎしぎしと揺れるような感覚。
社に向かう舟に乗り込んだのだろう。
袋の外から、軽く二回叩かれた。
“静かにしていろ”ってことだ。
だったら、もう少し丁寧に扱ってもらいたいもんだ。
やがて揺れが収まり、俺の身体、もとい袋が持ち上げられた。
向こう岸に辿り着いたようだ。
そしてしばらく待っていると、再び俺は地に降ろされた。
「しかし大した量だな宿禰殿」
「なんの、出雲の大神に捧ぐ品としては、これでも足りぬ程です」
そう宿禰が返すと、男の下卑た笑い声が聞こえた。
この声の主が、おそらく出雲振根なのだろう。
「どれ、少し中を拝見させて頂いても」
「もちろん」
ヤバい。
俺は大慌てで米の中に頭まで沈めた。
頭上を弄られるような気配が伝わってくる。
まずい、息が保たない。ただでさえ袋の中は息苦しくて、軽く酸素欠乏状態なんだ。
頼むから早くしてくれ。
もう限界というところで、袋が二回叩かれた。
俺は急いで頭を出し、僅かに緩んだ縛り口に向かって、何度も何度も空気を吸い込んだ。
やがてもう一度、今度はゆっくりと袋が降ろされた。
ぎしぎしと人が動く気配が、床を通して伝わってきた後、聞き慣れた探湯主の声で、神に奏上する祝詞が聴こえてきた。
ようやく社の中に入れたようだ。
しかし暇だ。
祝詞の意味もさっぱりだし。
長々とお経を聞いているみたいで、何だかどんどん眠くなってきた。
緊張から解放されたことに加え、横たわっていることもあるのだろう。
俺はいつしか本当に、爆睡を初めていた。
「んあ?」
意識が戻った時、辺りはかなり静かになっていた。
念のため耳をそばたてたが、人の気配は感じられない。
俺は慎重に袋から頭の半分を出し、周囲を窺った。
真っ暗だ。
僅かに日取り窓から月明かりが差し込んでいるだけだ。
寝てる間にすっかり夜になってしまったようだ。
袋から這い出る。
その中から更に、細長い袋を引っ張り出した。
中身は銅剣だ。宿禰がどこからか調達してきた、何の変哲もない青銅剣。
これをカモフラージュで、天叢雲剣と差し替える。
いずれはバレるだろうが、少しでも騒ぎになるのを遅らせようって腹積もりだ。
「さてと、天叢雲剣はっと」
宿禰には見れば分かると言われたけど自信が無い。
俺は暗闇に浮かぶ祭壇に、必死に目を凝らした。
木製の棚には神饌が並んでいる。
その奥には僅かな鏡と、大量の銅剣。
その右側の端に、二本の木の足台に掛けられた、長細い絹の袋が据えられていた。
「あれは」
俺は祭壇に近づき、その絹袋を手に取った。
ずしりとした重みが、俺の手に伝わってくる。
絹の袋には紅く染めた紐が結び付けられていた。
剣を仕舞ってあるというよりは、厳重に封印しているように、俺には見えた。
何かに誘われるように、自然と紅い紐に手をかけていた。
紐を解き、袋の中に手を入れた。
硬い感触。
間違いなく剣の柄だ。
ゆっくりと、袋の中から滑り出させた。
顕になった刀身が、月光を青白く弾き返している。
柄頭は左右に少し伸び、波打っているようにも、雲のようにも見える。
刀身の長さは柄を含めて65センチほど。一応この時代では、長剣に分類される。
ただ、両刃以外は厚みと幅があり、ちょっとやそっとじゃ折れないような、頼もしい印象を受ける。
それ以外は特に変哲の無い剣だ。
なのに、目が離せない。
魂が吸い寄せられるような。
「……ねえ、ねえってば」
「え」
ナビに声をかけられ、俺はふっと我に返った。
「何だよ。どうした」
「どうしたも、こうしたもこっちのセリフだよ。いつまで間抜け面で呆けてるんだよ」
「はあ」
ちょっと眺めてただけじゃないか。そんなに慌てなくても、まだ時間はたっぷりある……、って、え?
窓の外を見て愕然とした。いつの間にか月の光は消え去り、空は青黒く染まっていた。
もう直ぐ朝になる。
「な、なんで。さっきまで夜だったじゃん」
「何言ってんのさ、三時間くらいぼーーーーーーーっとしてたクセに」
「三時間?」
嘘だろ。ほんの少し眺めててただけの積りだったのに。
「お母さん、何でもっと早く声かけてくれなかったんだよ」
「お母さんずっと起こそうとしてたわよ」
俺は大慌てでカモフラージュ用の銅剣を絹袋に仕舞い直し、台座に戻した。
代わりに天叢雲剣を麻袋に無造作に放り込んだ。
そうだ。確信した。これは間違いなく天叢雲剣だ。
「くそ、やっぱ表には見張りがいるか」
出入り口の垂れ幕の間から覗き込むと、表には四人ほどの、武器を持った男たちが立っていた。
今の俺なら伸してやれないこともないが、騒ぎは起こしたくない。
俺は神殿の中の日取り窓の下に立った。
子供の背では届かないくらいに高い。
俺は天叢雲剣が入った麻袋を、窓の下の壁に立てかけた。
袋を縛る麻紐を握ったまま、柄頭に脚をかけた。
「痛ててて。痛い痛い。柄頭の突起が痛い」
足の裏にめり込む痛みに耐えながら、何とか俺は窓に手をかけた。
麻紐をひっぱり、踏み台代わりにした天叢雲剣も手繰り寄せた。
「まさか宝剣の最初の使い途が、梯子代わりとはね」
「仕方ないだろ」
窓から上体を乗り出して下を確認した。
「高っか」
高床式の神殿はこの時代にしては立派な造りで、地面とはかなりの高低差がある。
多分10メートル以上。
落ちたら怪我じゃ済まない。
俺は剣を放り投げた。
外の繁みの中に、天叢雲剣が吸い込まれる。
「しゃーなし。やるか……」
俺は窓の縁にぶら下がって、外に身を晒した。
神殿の反対側に当たる。
流石にここには見張りの兵はいない。
懐から黒耀石の刀子を取り出し、窓の下側の壁に突き立てた。
クライミングのハーケンの要領で、刀子を打ち込みながら徐々に徐々に降りていく。
左手は木板の微妙な凹凸を利用して、指先を引っ掛けて踏ん張る。
「あと、少し……」
神殿を支えている高床の柱が見えてきた。
あそこまで辿り着けば、柱にしがみついて滑り降りることができる。
「やべ」
左手が汗で滑った。幸い刀子は壁にしっかりと刺さっている。
俺はそれにぶら下がってなんとか耐えた。
壁を掴もうと左手を伸ばす。
だがその直前。
刀子が根本からぽきりと折れた。
「うっそだろ」
ヤバいヤバいヤバいヤバい。
マジで死ぬ。
背中からはまずい。
幸いというか、“観測者補正”の影響で、落下速度に負けないくらいに動体視力が働いている。
飽くまで体感だが、地面に激突するまでに多少ゆとりがある。
その間に何とかしないと。
俺は辺りを瞬時に見渡した。
「あの藪が使える」
先ほど天叢雲剣を放り投げた藪がある。
あそこに飛び込めば多少はクッション代わりになるかもしれない。
俺は足元にある柱を思い切り蹴り飛ばした。
そして可能な限り身体を捻ろうと試みた。
中途半端な体勢だが、何とか頭から藪に突っ込み、一応受け身も取ることができた。
それでも全身を強かに打ち、藪の小枝で肌が裂かれた。
「大丈夫?」
「なんとか」
それでもしばらくは動けそうにない。
改めて、目の前の社を仰ぎ見た。
俺が落ちた地点でも、ビルの三階くらいはある。
よく死ななかったものだ。
起き上がれるくらいに回復した俺は、傍らにあった天叢雲剣を杖にして、よろよろと立ち上がった。
「ヤバい、完全に遅刻だ」
日は登りきり、完全に朝になっている。
本当なら宿禰たちに合流していないといけない時間だ。
俺は東に向けて急いで走り出した。
山の斜面を横切るように進む。
本当は平地の海岸線まで降りたいのだが、そちらにもちらほらと見張りがいる。
彼らに気付かれない為にも、山の中に隠れながら行くしかない。
「頼む、頼むぞ。まだいてくれよ」
木々の間から、海辺を眺めながら走る。
杵築の社から東に離れた地点まで、宿禰たちが舟で迎えに来てくれる段取りになっているのだ。
だが走れども走れども、舟の影すら見えてこない。
置いていかれたのか。胸の中に不安と焦燥が去来する。
「いた」
小さな小舟に男が二人。間違いなく宿禰と探湯主だ。
俺は急いで斜面を駆け下りた。
「良かった、間に合った」
「ふざけるな。待たせすぎだ」
探湯主から冷たい非難を浴びせられた。
「ごめんて。でも滅茶苦茶大変だったんだぞ」
俺は手を広げて自分の姿を見せつけた。
土で汚れ、枝で裂かれた麻服。
傷だらけの身体に顔。
これだけで俺の苦労が分かろうというものだ。
「要領の悪い奴だ」
「労ってくれないだと」
「で、それが天叢雲剣か」
宿禰が手に持った包みをじっと見つめた。
「あ、ああ」
返事をして、俺は宿禰に包みを手渡した。
封を解き、宿禰がゆっくりと剣を抜き出した。
「久志宇賀、握ってみろ」
「はい」
抜き身の天叢雲剣が、今度は探湯主の手に渡った。
「倭国ではあまり見ない意匠ですね。確かにこの剣からは、何か凄みのようなものを感じます」
探湯主は冷静な口調で所感を述べた。
この男には、天叢雲剣の魔力は通じないのか。
流石は神職と言ったところか。
「サイ、お前も握れ」
「俺も?」
宿禰が頷く。
俺は仕方なく、恐る恐る探湯主から剣を受け取った。
また呆けたりしないか不安になる。
まあ、今は宿禰と探湯主も居るから大丈夫か。
ずしりとした感触。
柄を両手で握って、目の前に掲げた。
朝日の下、先ほどよりも鮮明にその姿が目に飛び込む。
あれ、何だ?
急に、剣を支えられなくなった。
切っ先が地面に落ちる。
だけど、天叢雲剣を手放すことは出来なかった。
吸い付いたように拳から離れない。
そしてまた、俺の目はこの剣に釘付けになる。
気持ち悪い。吐き気がする。
なのに剣から離れられない。
息が乱れる。煩いくらいに動悸が響く。
「サイ、何をやっている」
異常に気付いた探湯主が当惑している。
何故俺がこんな状態になっているのか、理解出来ないようだ。
「ふむ、サイの方が“芽”があるか」
そう言って宿禰が、俺の手から強引に天叢雲剣を引き剥がした。
その瞬間、憑き物が落ちたように身体が軽くなる。
だが俺の全身は、水を被ったように汗で濡れていた。
どうにか息を整え、俺は宿禰の様子を窺う。
宿禰は剣を握り締め、瞬きもせず見つめていた。
俺と探湯主は黙ってその様子を見守っていたが、宿禰は石像のように固まって、全く動く気配がなかった。
まさか、俺みたいに天叢雲剣に魅入られたんじゃ。
「宿禰」
無理矢理、剣を奪い取ろうとした瞬間、宿禰の状態に変化が起こった。
微動だにしなかった剣を握る手が小刻みに震えだし、宿禰の額からは滝のように汗が流れ始めた。
「宿禰殿」
探湯主も只事ではないと判断したのだろう。
宿禰の持つ剣に手をかけようとした。
だが、宿禰は左手でそれを制した。
反射的に、探湯主の動きが止まる。
そして宿禰はゆっくりと、一つ深い呼吸をした。
手の震えが止まり、汗が引いていく。
「手懐けることは出来なかった。捻じ伏せるので精一杯だな」
誰に言うでもなく呟き、宿禰は天叢雲剣を袋に戻した。
「大事ありませぬか、宿禰殿」
「ああ。だが非凡な剣だ。現状、天叢雲剣は俺が佩くべきだろう」
「私はこの剣に、何も感じませんでした」
「それならそれでいい。神の匂いが強いお前を、剣の方から忌避したのだろう」
そして宿禰は岸につけていた小舟に乗り込んだ。
俺と探湯主もそれに続く。
「何にせよ、これで豊鍬入媛様に課せられた、筑紫へ向かう為の使命は果たされました」
「じゃあ、こっから一気に西を目指すんだな」
いざとなると、やはり気持ちが逸る。
こうしてる間にも、筑紫の状況は悪くなっているかもしれないんだ。
一刻も早くみんなの元に辿り着きたい。
「久志宇賀、サイ。お前たちは先に向かえ。俺は後から追いつく」
「は? 何言ってんだよ宿禰」
「俺はこの地で、まだやり残したことがある」
「やり残したこと、ですか」
「ああ、漢と漢の約束だよ」




