第二百八話 悔恨と本気
「手合わせ。野見と」
俺は呆れ半分、驚き半分で声を上げた。
何を言い出すんだ宿禰は。
「野見と約束したのだ。サイに一本入れられたら、お前と同じように手解きをするとな」
「何でまたそんな……。時間の無駄だろ」
俺は台与と筑紫のみんなの為に、少しでも強くならないといけないんだ。
餓鬼のチャンバラごっこに付き合ってる暇はない。
「土器作りは無駄な時間じゃないの?」
ナビが横から口を出す。
「あれは、その、何だ。精神統一兼、身体を休める為の必要な時間っていうか」
鸕濡渟から学ぶ時間は、今の俺にとって、台与たちの次に大切なんだ。
子供のお守りと一緒にして欲しくない。
「サイ、野見は中々やるぞ。お前などよりも、余程武の才に恵まれている」
「へん、こんなガキが俺の相手になるかよ」
「それ、宿禰と探湯主が、普段キミに思ってることだよ」
ナビ、うるさい。
「俺だってお前みたいなガキには用がないんだ。俺は宿禰殿に稽古をつけて貰いたいんだから、ごちゃごちゃ言わずにさっさと付き合え」
「ガキがガキって言うな」
「お前だってガキだろ」
「あ〜ん? じゃあお前、何個だよ?」
「俺は十歳だ」
「はい、ガキ。やっぱ、ガキ。俺は十二歳です。ザマーミロ」
「変わんねえじゃないか」
勝ち誇る俺を、野見が忌々しげに見上げる。
まったく子供は本当に生意気だな。
幼い頃の穂北彦を思い出すよ。
「口で戦っても仕方がないだろう。俺と手合わせしたいなら、つべこべ言わずに戦ってみろ」
「……わかったよ」
もうこうなれば、速攻終わらせる。
鸕濡渟の息子だろうと関係ない。怪我しない程度に叩き伏せてやる。
「サイ、木剣を用意した。野見とやる時はお互いそれを使え」
「ああ」
いつの間に用意したのか、宿禰は二振りの木剣をそれぞれ、俺と野見に手渡した。
野見の方は若干短く、剣というより小刀に近い。
俺たちの身長に合わせたのだろう。
そしてご丁寧に漆まで塗ってある。
角度によって滑らかな光沢が、陽の光を反射して照っていた。
器用なもんだ。
「よし、始めろ」
合図と同時に、野見が一気に踏み込んできた。
その姿が、少しだけ宿禰と重なった。
素直すぎる突進を躱して、野見の背後をあっさりと奪った。
後頭部への一撃。これで終わりだ。
木剣振った瞬間、野見の身体が沈み込んだ。
俺の斬撃が空を斬る。
偶々(たまたま)転んだのか。
運のいい奴め。
俺は更に追撃をするべく、下段蹴りを見舞った。
野見は倒れたまま地べたを転がり、蹴りを避けて跳ね起きた。
けっこう身軽だな。
俺はすかさず突きを繰り出した。
鳩尾。
野見は防げないと見たのか、今度は後ろに転がって躱した。
ちょっと意表を突かれたが、これで終わりじゃない。
更に接近して右袈裟斬り。
今度は逆に、野見の方から突っ込んできた。
斬撃をくぐり抜け、懐に潜り込む。
俺が宿禰にやったのと同じ事を、今度は野見に仕掛けられた。
ならば、宿禰と同じようにすればいい。
俺は下がりながら蹴り上げを繰り出した。
だがそれを読んでいたように野見がまた飛びつき、俺の蹴り足にしがみついた。
態勢を崩され、その勢いのまま背中から地に倒れた。
野見は俺の上に跨っている。
まさかこんな子供に、マウントポジションを取られるなんて。
「く……、ああ……」
俺に一撃を見舞おうとした野見が、中途半端に剣を振り上げたまま動きを止めた。
苦しそうな声が、喉の奥から漏れ出る。
俺は倒されながら、剣の柄頭を野見の鳩尾にめり込ませていた。
息がうまくできず、野見の顔が青黒くなっている。
俺は野見を強引にどかして立ち上がった。
「それまでだな」
宿禰の低い声が聞こえた。
野見は未だに、地べたに転がったまま悶え苦しんでいる。
「宿禰、何でこんなことやらせたんだよ」
「お前の修練にもなる」
「まともな相手にならない」
「そうか? 少しだけ、肝が冷える瞬間もあったんじゃないのか」
「それは……」
確かに、十歳の子供として考えると、驚かされる場面もあった。
そして、自分が汗を流していることに気がついた。
「クソ、クソ、ちくしょう……」
いつの間にか野見が四つん這いになり、何度も地面に拳を打ち付けていた。
雨粒が落ちたような跡が、幾つか広がってもいた。
「野見、約束は約束だ。今日俺は、サイと立ち合う。お前は邪魔だ。どいていろ」
もう一度強く拳を叩きつけたあと、野見は黙って立ち上がった。
場所を空けても離れることはせず、俺と宿禰の立ち合いを、いつまでも睨みつけるように眺めていた。
翌日もその次の日も毎日、宿禰との前に野見と立ち合わされた。
未だにまともに攻撃を受けることはなかったが、日を追うごとに野見は戦いに慣れていった。
次第に怪我をさせないように倒すのが難しくなり、野見の身体には大きな痣が全身に増えていった。
それは、宿禰と闘ってる俺も同じだけど。
「宿禰、何であんなに野見に拘るんだ」
夜、探湯主と宿禰の三人で炉を囲って飯を食いながら、俺は宿禰に問いかけた。
「サイ、明日は本気で野見と闘え」
俺の質問を完全に無視して、宿禰が短く呟いた。
「本気でって……」
「それが出来ないのであれば、お前はここに置いていく。筑紫には連れて行かん」
「いや、お前にそんなこと決められる筋合いは無いだろ。そもそも台与にこの旅を任されたのは俺なんだぞ」
「ああ、だから言葉では止められんな。ならば打ち据えて動けなくさせてでも、俺はお前を止める」
背筋が凍った。
宿禰が本気だと分かったからだ。
「探湯主、お前からも何か言ってくれよ」
助けを求めたが、探湯主は何も言葉を発することはなかった。
当たり前のように、一人食事を続けている。
「野見と本気で向き合えないようなら、お前は所詮そこまでの男だ。筑紫に行ってもすぐに死ぬ。それでは、女王に顔向けができん」
「台与との約束は、俺を筑紫まで送り届けることだろ」
「そうだ。だからお前をここに置いていっても、俺は女王との誓いを果たせなかった事になる。狗奴国との戦いが済み、まだ俺が生きていたら、女王にお詫び申し上げて自決しよう」
意味がわからない。
なぜ宿禰がそこまでするんだ。
到底納得はできない。
だけど宿禰の覚悟を見せられ、俺はそれ以上何も言うことが出来なかった。
翌日。
いつものように鸕濡渟と土器作りを行ったあとに、俺は野見との立ち合いを始めさせられた。
鸕濡渟も野見が何をしているのか気付いている筈だが、あいつから何かを言ってくることはない。
「もう良いだろ、宿禰」
肩で激しく息を繰り返しながら、俺は宿禰に切願した。
もう数え切れないほど、今日一日で野見を打ち倒している。
いつもは一度一本を決めれば、そこで止められていた。
だけど今日は、宿禰から待ったがかかる事はなかった。
野見も野見で、どれだけ打ち据えられようとも、何度でも立ち上がってくる。
「いい加減しろ。下手したら死ぬぞ」
「死んでもいい。弱いままなら……」
満身創痍になりながら、それでも俺を見据えながら、野見が俺に言った。
「何でそこまで」
「俺は、臆病者になりたくない。父上から、逃げたくない。強くなる。悔しいのは、もう嫌だ。死ぬよりも、嫌だ」
「野見……、お前まさか」
鸕濡渟から聞いた、二年前の出来事。
その時、野見は父である鸕濡渟に殺されかけた。
そこを、五十狭芹彦に救われた。
ただ巻き込まれてしまっただけだと思ってた。
けど違うのか。
強さに憧れるのも、この年頃の少年には良くあることだと。
幼稚な羨望だと思っていた。
でも、それも違う。
野見は、お前は。
「救おうとしたのか。父親を」
答えの代わりに、鋭い眼光が俺を刺した。
八歳の子供が、止めようとしたのか。
剣を手に持ち、惑い狂う父親を。
そして、殺されかけた。
その無力さを、お前は呪ったのか。
目の前の少年が、かつての自分と重なった。
首長。孫堅。御子様。都市牛利。タケル、日御子。
死んでいった人たち。救えなかった人たち。悲しませた人たち。無力で、何もできなかった自分。
一緒なのか、こいつは。俺と。
「ほう……」
宿禰が声を漏らしたのが聞こえた。
俺は自分の頬を、拳で思い切り殴りつけた。
口の端から、血が流れ落ちる。
「お前、何やってんだよ……」
野見が目を丸くしている。
「野見、済まない」
「何がだよ」
俺は自分を恥じた。
真剣に野見と向き合わなかった自分を。
一人の漢の誇りと屈辱を、侮辱した自分を。
俺は呼吸を整えた。
構えを取り、野見に相対した。
「野見、こっからは本気だ」
「遅えよ、バカヤロー」
前に出た。
ゆっくりと。
野見もそれに応じる。
じりじりと、間合いが詰まっていく。
互いの気が限界まで膨らんで、弾けた気がした。
同時に、木剣を振り上げた。




