表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
倭国大乱 観測者は全ての歴史を見届ける  作者: 明石
第四章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

213/215

第二百七話 野見と宿禰


その日、いつものように何度も立ち合った。


サイにまともに攻撃が当たり、膝を着いたらそこで止める。


立ち上がっても立ち上がらなくても、宿禰がそれまでと決めた頃合いなれば殴りかかる。


最近では殴りかかる前に立ち上がることが殆どだ。


膝をつく回数自体も減っている。

同じ加減で。いや、寧ろ少しずつ加減を強めながら戦っているが、大怪我をして次の日は動けなくなることなど、最近では全く無くなっていた。


宇治を出たばかりの頃は、動けなくなったサイの回復を待つため、一日中立ち往生する日もよくあった。


旅が遅れた理由もそこにある。


「よし、ここまでで良いだろう」


宿禰はサイに声をかけた。

サイは肩で激しく息を繰り返している。


近くで観ていた久志宇賀くしうかが力を抜くのが分かった。

宿禰がやりすぎた時に、いつでも止めに入れるようにしているのだ。

次の日に立ち上がれなくなったサイに、無理矢理稽古をつけようとした時、久志宇賀が密かに止めに入ったこともあった。


サイはそのことを知らない。


冷たく接しているがその実、久志宇賀はサイのことを大切に思っている。


サイは鸕濡渟うかつくぬの住処の近くに建てた、宿禰たちの家に向かって歩いていった。

その後ろからこっそりと、久志宇賀が追っていく。


「また見ていたのか」


二人の背中が遠くなったところで、宿禰は衣を正しながら、もう一人の見物人に声をかけた。


「仕方ないだろ。家の前で毎日騒がれたら」


見物人。

野見のみは動揺を誤魔化すようにそっぽを向いた。


年齢は十歳。

サイより二つ下だ。


子供らしくあどけない顔立ちだが、少し目を引くほどに、意志の強そうな精悍さが垣見える。


サイは父親の鸕濡渟に惹かれているようだが、宿禰はこの少年に興味があった。


「親父殿の食事は良いのか」


「うるさいな、これから用意しに行くつもりだったんだ」


鸕濡渟は取り憑かれたように、埴輪を作り続けている。

食事や睡眠など忘れてしまっているようだ。


息子の野見が面倒を見なければ、本当に死ぬまで土に向かい続けそうな気配まである。


「俺も付き合おう」


「は?」


「いい狩場を見つけたんだ。親父殿も毎日魚では飽きるだろう」


宿禰は軽く笑って歩き出した。途中家に立ち寄って、狩猟用の弓も持ち出した。

後ろを見ると、野見はちゃんと着いてきていた。


山に分け入った。


「近くにいろ。獣に気づかれたくない」


野見にそう言うと返事は無かったが、素直に言うとおりにした。


「猪の足跡を見つけてな。大体の行動範囲は掴んだ。こういう時の為に、手を出さずにしておいたんだ」


冬山は静かだが、全ての獣たちが眠りにつくわけではない。

猪は冬でも餌を求めて動き回る。


「豚も良いがな。やはり山の獣の方が旨い。喰っているという気にさせてくれる」


小声で野見に話しかけ続けるが、やはり返事はない。

だが、宿禰の言葉にはしっかりと耳を傾けているようだった。


「いたな」


途中足跡を追い、その先で三頭の猪の群れを見つけた。


「やってみろ」


宿禰は弓を野見に手渡した。

生唾を呑み込み、野見は受け取った。


震える手で弓を番え、構えを取った。使うのは初めてではないようだ。だが、猪を狩ったことはないようだ。


「首から上を狙え。もし外れたら、すぐに次の矢を番えろ」


野見は黙って頷いた。


「気息を整えろ。集中しろ。矢を当てる。今はそれだけを考えろ」


何度か呼吸を繰り返した。

猪たちは餌を見つけたのだろう。何度も繰り返し、地面の中に鼻面を押しつけている。


放った。

矢は一頭の胴体に吸い込まれた。


猪の叫び声が、静かな山を震わせる。

だが、致命傷ではない。一頭の猪は逃げ出したが、矢が刺さった一頭ともう一頭が、宿禰たちに突進してきた。


「二の矢を番えろ」


そう言って宿禰は茂みから飛び出した。


僅かに先を走る一頭。

牙を突き立て、宿禰に向かってくる。


すんでのところで宿禰は左に避け、すれ違いざまに顳顬こめかみを右肘で打った。

猪は数歩ふらふらと進んだあと、盛大に横倒しになった。


一頭は取りこぼした。

野見に向かった、矢が刺さった猪。

逃げ出さず、野見はその場で二の矢を構えていた。


「射て」


叫んだ。

放った矢は、見事に眉間に突き立った。


野見に届く前に軌道が逸れ、彼のすぐ隣でゆっくりと力尽きた。


「良くやったな」


野見の方へと近寄った。

目を見開き、何度も激しく呼吸をしていた。


「外した」


「二の矢は当てた。それでいい。俺と一緒にいるサイなどは、何度教えても、まともに当てることすら出来なかった。あいつよりは余程見所がある」


宿禰は猪の傍らに膝をつき、懐から石を削った刀子を取り出した。それで血を抜いて腑分けをした。

もう一匹も終わったところで、猪の肉を二切れ切り取った。


「喰ってみろ」


一切れを野見に手渡し、宿禰は肉を口に入れた。

血の味の奥から、脂の甘みが溢れてきた。

サイと久志宇賀は血を洗ってから食べたがるが、宿禰はそのまま喰らうのが好きだった。


野見は嫌な顔をせず、猪の肉を咀嚼していた。


「暗くなるまでは時間がある」


宿禰は野見と協力して火を熾し、猪の肉を焼きながら、二人で囲った。


夏場であれば、すぐに沢などで獲った獲物を冷やさなければならないが、冬であればその必要はない。


ここで腹を拵えてから、山を下りても問題ない。


「そろそろだな。良い物もある」


宿禰は麻を縫って作った小袋から、塩を取り出して焼けた肉にふった。


「喰え」


野見は串に刺さった肉に、おずおずと喰らいついた。

二口目からは、堰を切ったようになった。

そしてすぐに、二本目に取り掛かった。


宿禰はその様子を眺めながら、野見に負けないほどの勢いで、肉を喰らった。


最初の分では足りなくなり、すぐに焼き足した。


「……強いんだな」


ふと、肉を口に運ぶ手を止めて、野見が呟いた。


「まあ、そこそこな」


「あんた位に強ければ、父上を助けられたんだろうな」


「どういう意味だ」


野見は残った肉に思い切り喰らいついた。

一心不乱に串に刺さった肉を平らげると、手に残った串を放った。


「父上がからから戻って、おかしくなって、山に籠もられた。最初は見つからなかったけど、俺だけはすぐに見つけた」


野見と鸕濡渟の親子の間で、何があったのかはサイ達から聞いている。

だが宿禰は黙って、野見の言葉に耳を傾けた。


「山で見つけた父上は、何か訳の分からないことを呟いたり、叫んだりしていた。時々、滅茶苦茶に剣を振り回してもいた。怖かった。鬼みたいだった。止めたかったけど、出来なかった。

父上は俺なんかよりも大きくて、強くて。俺が何をしたって敵いっこないって。そしたら別の大人たちが父上を見つけて、連れ戻しに行って……、それで、それで」


「皆、殺されたか」


野見は震えながら頷いた。


「俺は怖かった。父上が人を殺すのもだけど、父上がいつか、あの剣に殺されてしまうかもしれないって。それが一番怖かった。だから、俺は」


そしてようやく幼い勇気を振り絞り、父の前に立ったのか。

大した気概ではある。

そして、殺されかけた。


「俺が強くて、すぐに父上を止めていれば、こんな事にはならなかった。俺は弱くて、臆病で。今だって本当は、父上と一緒にいるのが怖いんだ」


鸕濡渟うかつくぬと関わるようになって数日。その間、父親の飯入根いいいりねは、一度として顔を出すことはなかった。


おそらくあの男も、野見と同じように鸕濡渟を恐れている。


怖いと言いつつ傍を離れない野見は、寧ろ優れた胆力の持ち主だ。

だがそれを言っても、何の慰めにもならない。


「だから、強くなりたかったのか。だから、俺とサイの立ち合いを、ずっと眺めていたのか」


野見が頷いた。


「眺めているだけで、強くなれるのか。縮こまって、父親を見ているしかなかった時と、何も変わらんな。

父のために、他人に頭を下げることも出来んのか」


「俺は……」


「言え。お前はどうしたいんだ。何を求めているんだ」


「あんたは、父上を救えるかもしれないって、言ったよな。本当なのか」


「ああ」


「強いから、そんなことが出来るのか」


「そうだ」


「だったら、俺も強くなりたい。あんたなんかに頼らなくても、自分で父上を救いたい。あんたよりも、強くなりたい」


叫びにも似た声だった。

自分の全てを、悲痛な響きに乗せている。


「宿禰殿。頼む、俺に力をくれ」


答える代わりに、宿禰はもう一本、串を野見に手渡した。

野見は黙って、それに喰らいついた。


涙を流し、悔しそうに。

自分の非力を、呪いながら。


そんな感情が人にはある。

知っていはいる。だが、理解はできない。


宿禰は今まで、自分の無力を呪ったことはない。

悲しい、悔しい。

そんな感情とは無縁だった。


大叔父である吉備津彦との別れ際、宿禰は彼に言われた。


“お前は強いだけだ”と。


それは宿禰にも分かっている。

だが、どうしようもない。

弱い人間は強くなれるが、強い人間が弱くなるのは難しい。


人の弱さを知らぬ事が、宿禰の欠落であり、ある意味、弱さなのだろう。


ならば弱さを知り、それでも尚、強さを渇望して涙を流す目の前の少年は、もう自分よりも強いのかもしれない。


宿禰はそんな事をぼんやりと考えながら、自らも肉を喰らい始めた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ