第二百五話 産み出せぬ命
「痛って〜、畜生」
「自業自得だ」
俺の額に細く切った麻布を巻き直しながら、探湯主が冷たく言い放った。
甕をぶつけられた額はぱっくり切れて傷になっていた。
気を失ってる間に探湯主が手当てしくれて、幸い血は止まりかけているが。
今は探湯主が運び込んでくれた、鸕濡渟の住処の近くで、二人で座り込んでいた。
「あのクソガキ、いきなり投げつけてくるか普通」
「自業自得と言ったろう。父親が掴みかかられていれば、助けようとするのは当然だ」
布を巻き終えた探湯主は、俺から少し離れた場所に座り直した。
「野見って言ったっけ。鸕濡渟の息子なのか」
俺は野見に甕をぶつけられたあと、すぐに気絶してしまった。
その後のことは探湯主に尋ねないと分からない。
「ああ。つまりここ意宇の長、飯入根の孫に当たるな」
「俺たちのことはなんて」
「父親がああだからな。息子に私達の素性を伝えたが、まともに取り合ってはもらえなかった。出ていけの一点張りだ。嫌われたものだ、誰かさんのせいで」
「うぐ……」
しっかり刺してくるなこいつ。
言われなくても、俺だって反省してるよ。
「まあ、良いだろう。どんなものか見に来ただけだ。あとは宿禰殿に任せて、私たちは住まわせてもらえる所でも探そう」
そう言って探湯主が腰を上げた。
もう既に、鸕濡渟に興味を無くしたようだ。
「ちょっと待て」
探湯主が良くても、俺の気が収まらない。
野見って子供にひとこと言ってやらないと気が済まないし、鸕濡渟のことも気になる。
「何だ」
「どうせ宿禰が戻るまでやる事ないんだろ。だったらもう少し、あの親子のことを調べてもいいだろ」
「調べてどうする。それに、あいつらは私たちをまともに相手にするつもりは無いんだぞ」
「ちょっと試したいことがあるんだ。任せてくれ」
そして俺たちは再び鸕濡渟を訪ねた。
だが、作業場に鸕濡渟の姿はなかった。
隣の家から微かな湯気が上がっている。
中を覗き込むと、鸕濡渟と野見が座っていた。
「邪魔するぞ」
「お前……」
野見が敵意と警戒を全開にした眼差しを向けてくる。
俺も俺で、土器をぶつけられた怒りが再燃してきたが、今はこんな餓鬼に構うつもりはない。
俺はそのまま狭い家の中に入り込み、無理矢理腰を落とした。
探湯主は離れた場所で外から様子を見守っている。
「何しさに来たんだ。また怪我したいのか」
野見のことは無視して、俺はじっと鸕濡渟を見つめた。
相変わらずそばに誰もいないように、感情を感じさせぬ顔で食事を口に運んでいる。
俺は更に鸕濡渟にじり寄った。
そして彼に向かい、思い切り頭を下げた。
「弟子にして下さい」
「はあっ?」
声を上げたのは野見だった。
「何考えてんだお前」
「頼む、鸕濡渟。あんたの腕に惚れ込んだんだ。俺を一人前の土器職人にしてくれ」
「いや、なってどうする」
外から顔だけを入れ、探湯主も突っ込みを入れてきた。
二人が色めき立つ中、鸕濡渟は未だ何の反応も示さない。
だが、ここまでは想定通り。
「なあ、鸕濡渟。これを見てくれ」
俺は樹皮を編み込んだポシェットから、五十狭芹彦に貰った舟型の埴輪を取り出した。
それを強引に鸕濡渟の目の前に差し出した。
「……何処でこれを」
初めて、鸕濡渟の瞳に興味の光が灯った。
「五十狭芹彦、いや吉備津彦から託されたものだ」
「吉備津彦……、殿」
更に反応が強くなった。
思った通りだ。
鸕濡渟の父親、飯入根は確かに言っていた。俺が手にした埴輪は息子が作ったものだと。
そしてこれを託した吉備津彦は、鸕濡渟が心を開いた人間であると。
「父上?」
「野見、離れていろ」
「え」
「離れていろ」
「……わかりました」
そうして野見は不承不承立ち上がり、家の外へと出て行った。
その際に俺たちを睨みつけることも忘れなかった。
野見と入れ違うように、探湯主が中へと入り込み、鸕濡渟が座っていた場所に腰を落とした。
「鸕濡渟殿、吉備津彦様とはどういったご関係で」
「息子を、野見を救われた……」
「ご子息を。ご自身ではなく」
鸕濡渟がこくりと頷いた。
「どこまで知っている」
「金官伽耶国へと渡り、そこで天叢雲剣を手にされた。そして戻られてから、貴方は人が変わったようになってしまわれたと」
鸕濡渟は暫く何も言わなかった。
ぼんやりと、だが何かを睨みつけるように、火の消えた炉に視線を向けていた。
「鸕濡渟殿、お教え頂きたい。天叢雲剣を手にした時、一体あなたに何が起こったのかを」
長い沈黙のあと、鸕濡渟はようやく口を開いた。闇の中に手を差し入れるように、深く沈み込んでいく声だった。
「三年前だ。私は金官伽耶へ渡り、王より天叢雲剣を賜わった。悍しく、美しい剣だった。私は元は刀工だ。並の剣ではないと、一目でわかった」
鸕濡渟の身体が微かに震えていた。
冬の寒さは関係ないだろう。
天叢雲剣を思い起こすだけで、鸕濡渟の精神は掻き乱される。
「出雲に帰る船上には、出雲の人間以外にも、馬韓の人間もいた。その男が突然、私が手にしていた天叢雲剣を奪い取った。仲間の一人が奪い返そうとしたが、あっさりと斬られて海に落ちた。私は残った自分の剣を振るい、男と斬り合った。気づいた時には、相手の喉笛を刺し貫いていた」
だが、惨劇はそれで終わらなかった。
鸕濡渟の声は、更に深淵に沈む。
「私は男の手から剣を奪い返し、亡骸を海に捨てた。そして船上にいた仲間を全て、私は斬り殺した」
「殺したって……、何でそんなことを」
「瘴気に当てられたか」
探湯主の言葉に、鸕濡渟は肯定も否定もしなかった。
「私はただ、皆を守ろうとしたんだ」
「皆を守る?」
支離滅裂だ。これも剣の影響なのか。
「仲間も天叢雲剣を奪い取ろうとした。あの剣は誰にも渡してはならない。だから守った」
「仲間も、お前を襲ったのか?」
俺の言葉に、何の反応も返ってこない。
「そして私は出雲に辿り着いた。何人かが出迎えにきた。違う。待ち伏せていたんだ。私から天叢雲剣を奪うために。だから斬った」
「斬ったって……お前。あり得ないだろ。お前が天叢雲剣を持っていることなんて、出雲の人たちが知っているわけ……」
「サイ」
探湯主が俺の言葉を制した。
今何を言おうとも、終わったことは変えられない。
そう言いたいのだ。
「意宇の里に戻っても、より多くの人間が、天叢雲剣に魅せられて集まってくるだけだ。私は皆を守る為に、一人山に籠もった。時々剣を探しに来る者が現れたが、そいつらも全員殺した」
それはお前を連れ戻しに来た人間だろう。
そう言いたかったが、俺は言葉を呑み込んだ。
「一年はそうしていたと思う。最後に現れたのが、野見だった」
「野見が」
父の身を案じて、一人山に入ったのだろう。
野見は今でさえ十歳かそこらの少年だ。
当時だったらもっと小さかった。そんな子供が一人で父を探しに山へ入った。
余程その身を案じたのだろう。
「あんな幼子までもが、剣の邪気に魅せられてしまった。憐れに思った」
「おい、待てよ。お前まさか」
「剣から解放してやろうと思った。私は剣を振りかぶった」
実の息子までも、殺そうとしたのか。
「それを止める男がいた。いつの間にか、私と野見の間に割って入っていた。天叢雲剣は、その男の剣に打ち付けられていたのだ」
「それが吉備津彦様だったのですね」
鸕濡渟が黙って頷いた。
「私は必死に戦ったが、勝てなかった。天叢雲剣は、吉備津彦殿の手に渡ってしまった。この男もまた、馬韓の男のように我失する。そう思った」
「けど、吉備津彦は剣に敗れたりはしなかったんだな」
「ああ。あの方は剣の邪気を抑え込んだ。だが、それが限度だった。これは人の手に余る剣だ。だから神にお預けするしかない。そう言った。私も、それが良いかもしれないと思った」
五十狭芹彦は剣を臣下に託し、密かに飯入根のもとへ運ばせた。
飯入根がそれを、兄の出雲振根を通して、杵築の社に奉納させたのだ。
五十狭芹彦が自分の存在を隠したのは、吉備の介入を察せられるのを嫌った為だろう。
「私と野見は吉備津彦殿に連れられて、何もない場所まで連れて来られた。臣下達と家と工房を建て、柵で囲った」
「それがこの場所か」
「土に向き合えと言われた」
「土に」
「土は命だ。それに向き合えと。命を奪い続けた私は、命で何かを産み出し続けろと、吉備津彦殿は言われた」
「それで、土器や埴輪を」
「何度やっても、私の土くれには命が宿らない。作っているだけだ。産み出せてはいない」
感情の浮かばぬ表情、熱のない声。
だけど俺には、鸕濡渟がとても悲しんでいるように見えた。
鸕濡渟は家の奥に目を向けた。
そこには麻布の上に並べられた埴輪と土器が、四つ並んでいた。
二つは円筒の埴輪で、一つは丸底の甕だ。自立しないので横に寝かされている。そして最後の一つは、俺が持っているような舟型の埴輪だった。
さっき鸕濡渟が投げ捨てた土器も凄かったけど、そこに並んでいるのは別格だった。
造形が優れているのもそうだけど、綺麗なだけじゃない。
製作者の執念のような物が、そこに宿っている気がした。
「あれは」
「吉備津彦殿に贈るための物だ。満足いくものは、未だに作れたことはない。それでも、これはと思えるものは、あの方にお贈りするようにしている」
その内の一つが、五十狭芹彦に渡された舟の埴輪なのか。
「土に向かっていれば、私の心は大地に吸われる。剣のことも、考えずに済む」
五十狭芹彦の示した道のお陰で、鸕濡渟は何とか自分を保っているのだろう。
けど、あの五十狭芹彦でも、鸕濡渟を本当には救えなかった。
「私の話しは終わりだ」
唐突に鸕濡渟は立ち上がり、外へと出て行った。
また、土に向かうのだろうか。
父を案じ、声をかける野見の言葉が聞こえた。
自分を殺しかけた父親を、野見は見捨てずに気にかけ続けている。
あいつは一体、父に対して何を思うのか。
俺は天叢雲剣よりも、その事が気にかかった。




