第二百四話 土師師
意宇の里と一括りに言っても、それなりの広さはある。
幾つもの家々や畑、倉などが垣で囲われて区切られており、それらが小径で繋がっている。
程よい距離感のもとに共同体が寄り合い、一つ、或いは複数の集落を形成している。
それが古墳時代に多く認められる集落の形だった。
飯入根に出会った翌日。
俺は探湯主と二人きりで、宍道湖から伸びる支流に沿った、集落の南端当たりにまで歩いてきていた。
「ここに飯入根の息子、鸕濡渟がいるわけか」
「ああ」
天叢雲剣に魅入られた男。
それがどんな男なのか、正直興味がある。
いや、実は剣のことはあまり関係ない。
俺が最も気になるのは、その男が五十狭芹彦に渡された、この見事な埴輪を作った人物だということだ。
俺は腰に下げたポシェットの中身に目を落とした。
「鸕濡渟に会うのは吝かではないけどさ、正直台与のお使い的には必要なのか」
「豊鍬入媛様だ。どうせ暫くは出雲に留まらなければならないからな。環濠を埋めておくのも悪くはないというのが、宿禰殿の考えだ」
「ああ、それで宿禰は出雲に向かったわけか」
今、宿禰は宍道湖の西側にある、出雲国の中心である出雲の里に向かっている。
“ちょっと出雲振根と仲良くなってくる”
本人はそう言っていた。
「天叢雲剣を手に入れる為か。けどどうせ盗み出すつもりなんだろ。だったらその必要もないんじゃないか」
「盗むにしても、ここを出る直前だ。雪が溶け、身動きが出来るようになってからな。それまで振根に挨拶もせぬのは、賢明とは言えんだろう」
そういうことね。
俺は空の半分ほどを覆う、出雲の山々を眺めた。
落葉は殆ど終わって、山肌がかなり露出している。
山頂付近は白く染まりはじめていた。
間もなく、出雲は雪で閉ざされるはずだ。
秋が短いのは、古墳時代も変わらない。
これでは山を抜けるのは困難だし、荒れる冬の海に舟を漕ぎ出すお人好しもそうそういないだろう。
慌てて天叢雲剣を盗み出しても、筑紫に向かって逃げることは出来ない。
「要するに盗んだ直後にトンズラこくわけか。その後で俺たちが疑われようとも、後の祭りってわけだ」
「仮に今すぐにそれが出来たとしても、豊鍬入媛様に課せられたお前の修練は完了していない。どちらにせよ、この地での刻は必要となる」
また宿禰にボコボコにされる毎日がはじまるのか。
ここ数日は無かったけれど、落ち着いたら冬の間はみっちりと修行させられるんだろうな。
力は欲しいけど、ちょっとげんなりはする。
それに剣なんて放っておいて、今すぐにでも筑紫に向かいたいのが本音だ。
難升米たちのことを思うと、気が気じゃない。
けど、今の俺が行っても足手まといにしかならない。
それが分かるから、何とかこうして踏み止まっている。
「それにしても、振根のご機嫌取りに宿禰がね。ちょっと意外だな。人に阿るような真似はしない奴だと思ってた」
「私が行こうと思ったのだが、宿禰殿に止められた」
「え、なんで」
「お前には向いていない、と言われた」
「あ〜」
確かにそうかも。
こいつ顔はいいし、普通に笑ってりゃ好青年なのに、やたら無愛想なんだよな。
冷静と思いきや意外と短気だし。
そこでいくと宿禰の方がまだ良いかも。
粗野なところはあるけど、鷹揚だし、他人の言葉や態度で取り乱したりすることはないからな。
ふと探湯主を見ると、どことなく憮然としている。
少し拗ねているのかもしれない。
台与の為に働けないのが悔しいのかも。
「お、見えてきたんじゃない」
垣の影が浮かび上がった。
そこから幾つかの白煙が昇っている。
俺も一年以上、土器作りに明け暮れていたから分かる。
あれはきっと土器や埴輪を焼く、野焼きの煙だ。
鸕濡渟はあの小さな垣の中で、たった一人で焼き物に没頭しているという。
朝鮮への交易はおろか、里長の息子としての仕事は、一切行っていないという。
「うわ、何じゃこれ」
「異常だな」
垣の中に足を踏み入れようとした瞬間、俺と探湯主はそれぞれに声を上げた。
無理もないだろう。
垣の中一面を、割れた土器の破片が埋め尽くしていたのだから。
土器の赤茶色で、地面は殆ど見えない。
それでも場所が足りず、所々には破片が小山のように積み上げらていた。
垣の中はそれほど広くない。
竪穴の小屋が二つ並んでいるだけだ。
おそらくは寝泊まり用の家と、工房用の建物だろう。
とはいえ、それを土器の破片で埋め尽くすなんて容易な事ではない。
野焼きの焚火の傍らに、人影が一つあった。
あれがおそらく鸕濡渟だろう。
幸い一筋だけ、無理やり破片を押し退けて作ったような道があったので、その細い間を歩いて、二人で近づいていった。
鸕濡渟と思しきその男は、黙々と作りかけの土器に対峙していた。
齢は四十手前くらい。
今が三十六の宿禰より、少し年長くらいだろう。
かなり汚れているけど、絹でできた左前合わせの上衣に、下衣を履いている。
庶民が着るような貫頭衣ではないので、それなりの身分だと分かる。
伸ばし放題の無精髭に長い髪。
覇気のない表情。
だけど土塊を持つ手は無骨で、体つきもかなりがっしりしている。
以前はかなり鍛え込んでいたのだろう。
「恐れ入ります。私は大和より参った、久志宇賀という者です。意宇の長、飯入根殿のご子息、鸕濡渟殿とお見受けしますが」
相変わらず俺のことはいない者として、探湯主が名乗りを告げた。
「はいはい。俺はサイって言います」
なので強引に自己紹介を挟んだ。
だけど鸕濡渟は無視どころか、俺たちに気付いていもいないようだ。
虚ろな瞳のまま、手に持った焼成前の土器をの側面を、刷毛でなぜながら紋様を描き続けている。
「おい、ちょっと」
もう一度声をかけても無駄だった。
鸕濡渟からは何の反応も返ってこない。
「なるほどな。飯入根が天叢雲剣を恐れるわけだ。人一人をこのように狂わすのだから」
「ちょっと待てよ、剣を持ったからこうなったってのかよ」
「持った後に何かがあったのかもしれんがな。少なくとも、天叢雲剣が関係しているのは間違いないだろう」
そうして探湯主と話している内に、土器の成形が終わったようだ。
麻布が敷かれた地面の上に土器をゆっくりと置くと、今度はふらふらと立ち上がった。
俺たちの横を素通りし、煙の消えた焚火跡に向かった。
焼成が終わった焼き物を取り出すのだろう。
鸕濡渟が覆いかぶさった灰を素手で掻き分ける。
「こ、これは」
俺は思わず声を上げた。
鸕濡渟の傍らに腰を落とし、灰の中から出てきた数々の土器と埴輪に目を輝かせた。
「美しすぎる。なんて見事なんだ」
中から一つの土器の壺を捧げ持ち、俺は天にかざすように恭しく眺め回した。
「おい、お前」
探湯主の叱声が聞こえ気がしたが、それどころではない。
「この焼き色。完璧に均一な厚み。微細かつ大胆な紋様……」
もう鸕濡渟の奇妙な態度も気にならなかった。
これだけの名品を産み出したというだけで、尊敬に値する。
「確かに見事な土師器だね」
ナビも隣で感心したように頷いている。
土師器というのは弥生土器の次に生み出された土器の種類だ。
弥生土器より薄いため、熱伝導性に優れて実用的になっている。
俺が笠縫邑で作っていた庄内式土器も土師器の一種だ。
「すっかり土器マニアになっちゃっ……た……ね、てアレ?」
ナビが言葉を言い終える前に、俺が持っていた作品は、鸕濡渟に奪い取られた。
鸕濡渟は黙って数秒眺めたと思ったら、それを両手で振りかぶった。
そして、投げた。
「何してんのーーーーーーー」
俺の叫びと共に土器は物凄いスピードで放物線を描き、破片の山へと飛び込んでいった。
そして渇いた甲高い音を響かせ、今の今まで美しい形を保っていたそれは、見事に残骸の仲間入りとなってしまった。
「お、おいお前、何してんだ」
俺は立ち上がり、鸕濡渟に掴み掛かった。
作った本人だろうが関係ない。
あれほど見事な作品を簡単に壊すなんて、同じ土器職人として許せない。
その蛮行を糾弾しなければ気が済まない。
「折角あんなに凄い物を作ったのに、投げ捨てるなんてどういう料簡だよ」
俺は掴み上げたまま、鸕濡渟を揺らした。
彼は抵抗せずに為すが儘となっている。
「……あれは駄作だ」
「はあ?」
鸕濡渟が初めて口を開いた。
だけどその驚きよりも、怒りの方が勝っている。
駄作だと。
あれだけの物を作っておいて。
じゃあ、その駄作の足元にも及ばないものしか作れない俺はどうなるんだよ。
何だか自分まで莫迦にされたような気がして、ますます腹が立ってきた。
「サイ、いい加減にしろ」
探湯主が俺の腕を掴んだ。
しまった、つい熱くなって。
投げられる。
そう思った瞬間、背後から別の声が響いた。
「何してんだお前ら」
「え」
振り向いた瞬間、目の前には比較的元の形を保った、欠けた甕があった。
さすがの“観測者補正”でも、ここまで接近した物体を避けるのは不可能だった。
見事に額に直撃し、俺は後ろ向きに倒れ始める。
「野見……」
意識が途絶える。
その直前、鸕濡渟の呟きを耳にした気がした。




