第二百二話 意宇の里
吉備のある山陽地方、そして目的地である出雲のある山陰地方。
これらを区切るように横たわる中国山地を縦断して、俺たちは出雲国はもう目の前というところまで辿り着いた。
山の木々の間から平野が見渡せる。
所々に集落が点在し、煮炊きの煙が立ち昇っていた。
だが何よりも強烈に視線を捉えるのは、海のように広がる巨大な湖だった。
「すげー、でけー」
圧巻のスケールに、俺は思わず感嘆の声を上げた。
同行者の探湯主と宿禰も、思わず吐息を漏らしていた。
普段平静なこいつらも、流石にこの光景には息を呑むようだ。
「とても素直な感想だね」
他人の目に見えぬもう一人の旅の仲間、ナビだけは、湖でなく俺の横顔を微笑ましそうに眺めていた。
「なあ、あれなんて湖なんだ」
「宍道湖だよ」
「しじみで有名な?」
「そうそう。けどこの時代は海抜が高いから、現代よりも大きいね。お隣の中海と殆ど繋がってて、島根半島が切り離されかけてるよ」
巨大な湖を中心とした古代国家。
それが出雲の国か。
来るのは初めてだ。
前世で俺が暮らしていた筑紫とは、ずっと仲が悪かったからな。
「なあ探湯主、ここに書かれている飯入根っていうのが、この国の王なのか」
「いや、王は出雲振根という人物だ。飯入根はその弟に当たるらしい」
「らしいって、台与は入根のことを直接は知らないのか」
「豊鍬入媛様だ」
諦めないな、こいつも。
「吉備津彦様を介してご存知だったようだ。そういう意味でも、豊鍬入媛様は、先ず吉備津彦様にお会いするようにと、我らに命じられたのだろう」
「あ、それってもしかして」
俺は腰に提げた袋というか、ポシェットに手を入れた。
針葉樹の樹皮で編んだものだ。
何かと便利なので、道中で立ち寄った集落で譲って貰った。
代わりに大和から持ってきた小さな翡翠を手渡した。
台与が路銀代わりに、こういった物を幾つか持たせてくれたのだ。
探湯主からは“釣り合ってない、無駄遣いするな”と小言を言われたけど。
そのポシェットから、俺は五十狭芹彦から投げ渡された物を取り出した。
「飯入根には、これを見せろってことなのかな」
「吉備津彦様と縁の者であるという、証となるのだろうな」
俺は手に持ったそれを、改めてしげしげと眺めた。
「埴輪……、だよな」
埴輪。
古墳とかに並べられる焼き物。
ポカンとしたちょっと間抜けな表情で、腕を上下に振っているような形の、踊るはにわのイメージが強い。
だけど俺の持っている埴輪は、全く別の形をしている。
「船だな。吉備は瀬戸内の海を使った、海上交易が盛んだ。馴染みある形を埴輪にしたのだろう」
探湯主の言う通り、埴輪はアーチを描いた準構造船に見える。
前後の船底からは土台のようなものがそのまま伸びている。
手の平三つ分くらいの幅だった。
「しかし見事だな。こんな形を見るのは初めてだ」
「そうなのか」
横から宿禰が口を挟んだ。
顎髭をしごきながら感心したように眺めている。
「先代女王の御陵にも埴輪が並んでいるが、このように複雑な形式のものは置いてないからな」
宿禰が言っているのは、畿内にある箸墓古墳のことだ。
大和国王であり、第十代崇神天皇に比定される御真木入日子が、日御子の為に築いたものだ。
実際に日御子が埋葬されている訳ではない。
ただ、日御子を祀っているということ自体が重要なのだ。
今は最高神、天照大御神と同一視され、祈りを捧げるための祭壇となっている。
その内に日御子という名は消え、誰の為の墓だったのかも忘れられていくのだろう。
「あの御陵は嫌いなんだよね。だからどんな埴輪が並んでいるのか知らないんだけど」
「筒の上に壺が乗ったような形の物が殆どだな」
「壺? 人の形の物は無いのか」
「無かった筈だな」
そうなのか。
てことはもしかしてこの時代には、俺の知ってる形の埴輪は無かったってことか。
「三世紀後半はまだ埴輪が誕生して間もない頃なんだよ。宿禰の言うような円筒埴輪しか無かったの。
キミのイメージしてるのは、いわゆる形象埴輪って言って、作られるのは四世紀に入ってからだね」
ここぞとばかりにナビが解説を挟んだ。
知らなかった。
埴輪って言っても色々あるんだな。
「大和にまだ無いものが、なんで吉備には存在してるんだろうな」
「埴輪の発祥は吉備なのだ。大和の御陵に並んでいる埴輪も、殆どが吉備から仕入れたものだ」
「あ、だから吉備の方が進んでるんだ」
ようやく合点がいった。
それにしても形はともかく、これが焼き物としてもかなり立派なのは俺にも分かる。
この見事な赤褐色の焼き色に、均一化された厚み。
熟練の職人の仕事だと一目で分かる。
眺めているだけで惚れ惚れとしてしまった。
自然が作り出した宍道湖の圧倒的な景観も見事だが、手の中にある人の業が生み出した芸術もまた、同じように尊いのだ。
「着いたぞ」
埴輪と景観に夢中になっている内に、目的の場所に到着したようだ。
宍道湖の東岸に寄り添うように構えられた集落だった。
このあたりは意宇の里と呼ばれている。
現、島根県松江市辺りらしい。
集落の奥に湖があり、小舟が何艘も浮かんでいるのが、小さく認められた。
「大和よりの遣いで参った者だ。意宇の長、飯入根殿に目通りを願いたい」
すっかり慣れた様子で、探湯主が里の者に声を掛けた。
そっと翡翠を握らせるのも、勿論忘れていない。
里の男はにんまりと笑い、集落の奥へと俺たちを伴っていった。
垣で囲われた平床の家々を横切り、畑のそばの畦道を進むと、三方を柵で覆われた、首長の敷地へと辿り着いた。
後方すぐには宍道湖が広がっている。
案内の男は見張りの男に何やら声をかけた後、俺たちを手招きした。
そして見張りの男に俺たちを引き渡すと、そそくさと去っていったのだった。
見張りの男に、飯入根の屋敷に招じ入れられた。
よくある平床の建物で、宿禰の屋敷と比べると、一回りほど狭い。
それでも、一人と三人が向かい合って座るには十分だった。
「大和とは交流がありますが、大夫殿が直接お見えになるのは初めてですな。しかも出雲ではなく、こちらの意宇にお越しになられるとは」
飯入根が口を開いた。
六十手前くらいか。
痩せていて、どことなく気の弱そうな顔だが、口調ははっきりとしている。
そして警戒を秘めた瞳は、思いの外強い眼光を放っている。
腐っても一つの里の長ということか。
「我が主、豊鍬入媛様が、出雲の盟主振根殿ではなく、意宇の長である飯入根殿を訪ねるようにとの仰せでした」
飯入根の眼差しに臆することなく、探湯主が淡々とした口調で告げた。
「申し訳ない。大和の王族の方々の事は、あまり存じ上げておりませぬ」
「では筑紫連合の女王、台与様とお伝えすればどうですかな」
飯入根の目の光が、別の物に変わった。
「なぜその名を」
「筑紫は台与様を、狗奴国の凶刃からお守りするため、大和にその御身を隠しました。今は大和国王、御真木入日子様のご養女として、大和の巫女長として、彼の地におわします」
「嘆かわしいことだ。親魏倭王の後継者が、かつての属国の庇護下に堕ちるとは」
「大和の民は心より、豊鍬入媛様を慕い、お守りする覚悟です。狗奴国から守り切る力も無い筑紫に残られるより、大和にいらっしゃる方が遥かに良い」
不味い。
飯入根が探湯主の地雷を踏んだ。
一気に剣呑とした空気に包まれ始めた。
宿禰は鷹揚とした態度で黙って座っている。
俺が視線を送ると、小さく顎をしゃくった。
“お前が何とかしろ”
そう言っているようだった。
くそ、こういう時こいつは全く役に立たない。
「あ、あのさ、飯入根さん。実はここに来る前に吉備に寄ったんだよ。そこで吉備津彦に渡されたんだけどさ」
俺はポシェットから例の船型の埴輪を取り出した。
飯入根の表情が変わる。
「吉備津彦殿から渡されただと」
「うん」
「寄越せ」
俺は言われた通り飯入根の傍までいき、持っていた埴輪を手渡した。
飯入根は奪い取るように、それでも壊さないように丁寧に、俺から埴輪を受け取った。
「間違いない、息子が焼いた物だ」
「息子さん?」
「ああ。息子は土師器作りの達人だ。だが、意宇の里以外に作品を広めることは決してない。出雲本国にさえもな」
「なのに何で、吉備津彦が持ってるんだよ」
「息子はなぜか吉備津彦殿にだけは心を開いている。吉備津彦殿もまた、息子の信を裏切るような真似はなされない。つまり、息子が作った埴輪を他国の者に預けることは決してない」
「サイ」
飯入根の真ん前に陣取っていた俺に、宿禰が声を掛けた。
振り向くと何かを払うように手を振った。
そこを退けってことだ。
まだ飯入根と話したかったけど、仕方なく俺は元の場所に戻った。
「つまりだ、飯入根殿。吉備津彦殿がそれを我らに託したということは、我らのことを余程信頼しているという事だ」
挑むように、少し面白がるように、宿禰が初めて飯入根に語りかけた。
「あなた方が盗んだのでなければな」
「吉備津彦殿が、そのような失態を犯すとでも」
「いや、考えられんな」
そして飯入根はゆっくりと息を吐いた。
「分かり申した。お話しだけはお窺いしよう」
宿禰は一先ず、満足そうに頷いた。
そして探湯主の方に視線を送り、探湯主は宿禰に頷き返した。
「では、私から申し上げます」
そして探湯主はいずまいを正し、両手を床についた。
「我が主、豊鍬入媛様は申されました、意宇の長、飯入根殿より、ある物をお貸し願うようにと」
「ある物とは」
「馬韓の伯済国より伝来せし宝剣……」
そこまで言った時、飯入根が突然立ち上がった。
血走った目を見開き、荒く呼吸を繰り返している。
たった一瞬で、何をこれほど動揺しているのか。
探湯主はそんな様子を意に介さず、次の言葉を粛々と続ける。
「天叢雲剣」
「何処でそれを」
「これを我らに、お与え頂きたい。筑紫を救うために」




