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倭国大乱 観測者は全ての歴史を見届ける  作者: 明石
第四章

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第二百一話 重なる面影

 

 暗い男だった。

 寡黙であまり笑うことがない。


 だが話しかけてみると、あまり拒絶されているようには感じなかった。


 本来は良く喋る男だったのかもしれない。


 瞳の奥底から垣間見える、どうしようもない悲しみの色が、あの男の心を暗い穴に落とした。


 それが吉備津彦きびつひこが思う、持衰という男の印象だった。


 だから目の前にいる、この人好きのしそうな少年とは似ても似つかない。

 なのになぜ、持衰とサイが重なって見えるのか。


 女王台与が目を掛けた。しかもサイなどという名を与えた。

 その事実が先入観として植え付けられ、勝手に持衰と結びつけてしまったのか。


 そうではないと、吉備津彦は思った。


「私を五十狭芹彦いさせりひこと呼んだな」


「あ、ああ。台与に聞いたから」


 嘘だとは直ぐに分かった。

 台与に自分のことを聞いていたのなら、なぜ初めて会ったときに、戸惑ったような反応を示したのか。

 五十狭芹彦という名は知っているのに、それ以外の吉備津彦の情報をまるで持っていないのは不自然だ。


 その事については、それ以上に追及するつもりは無かったが。


「サイは筑紫の出なのか」


「いや、生まれも育ちも笠縫邑かさぬいのむらだよ」


「では、女王とはどうやって知り合ったのだ」


 その質問に対しては、サイは淀みなく答えた。

 それが却って、予め用意された言い訳のように聞こえた。


「あの、吉備津彦さん」

 

「五十狭芹彦でいい」


「あ、じゃあ五十狭芹彦で……。俺からも質問いいかな」


「構わん」


 そう言うとサイは懐をまさぐり、片手で掴めるほどの幅の、一枚の木板を取り出した。


「これはあまり大した事ではないんだけどさ、なんで“桃さん”なのかなって」


「どういう事だ」


「いや、台与に指定された会うべき人物の一人があんたなんだけど、その呼び名が桃さんなんだよね」


 サイは手に持った木板に目を落としながら、吉備津彦に説明した。

 おそらくそこに、何人かの名が記されているのだろう。


「ああ」


 吉備津彦は苦笑して、用意されている杯に手を伸ばした。

 軽く一口呷って、口を湿らせた。


「女王が私のことをいたく気に入られてな。若い頃の話しなども、よくお求めになられた」


「あいつらしいな」


 サイが微笑んだ。

 その仕草もまた、持衰に似ているように思えた。


「その時の話しの一つをお聞きになられてから、私のことを“桃”とお呼びになられるようになった」


「へー、どんな話し」


 子供らしく興味に目を輝かせながら、サイが喰い付いてきた。

 こういう所は年相応に見える。


「詰まらん話しさ」


「いいよ、全然。なんか気になるし」


「……姉がな、おったのだ」


「お姉さん?」


「ああ、母は違うがな。百襲媛ももそひめという。神職のようなものを司っていた」


「巫女ってことか」


 吉備津彦は頷いた。

 百襲媛を思い出すと、未だに胸に小さな針を刺されたような痛みを伴う。

 今にして思えば、子供ながらに異母姉に対して、仄かな恋情を抱いていたのだろう。


「神に祈ってばかりでな。それが務めなので当たり前なのだが、私はどうしても気を引きたかった。そこで一計を案じた。それもかなり幼稚な」


「どんな?」


「姉は桃が好きでな。山ほどの桃を献上する故、一度でいいから私と一日中遊んで欲しい、と」


「で、桃を掻き集めたのか」


「ああ、だが上手くいかなかった。沢山実っている所が近くになくてな。だから盗むことにした」


「盗む」


 サイが驚いたように目を剥いた。自分がそのようなことをするのが意外だったのだろう。


 子供が悪巧みをするような笑い方で、吉備津彦は後を続けた。

 段々と、サイと話すのが楽しくなっていた。


「桃は古来より祭祀にも使われた神聖な果実だ。当時の河内の盟主は、その為に大量の桃を各地から集めていた。だから私は王の宮にこっそりと忍び込んだのだ」


「バレなかったのか」


「いや、直ぐに見つかってな。見張りの大人たちにこっぴどく殴られたよ。親を亡くした孤児みなしごと偽り、素性が割れることはなかったが、結局桃は一つも手に入らなかった」


「まあ、殺されなくて良かったよ」


 折檻の様子を思い浮かべ、サイが顔を歪ませながらそう言った。


「だが、捨てられていた桃の種を手に入れてな。私はそれを密かに持ち帰った」


「あ、まさかそれを」


「ああ。百襲媛のところまで持っていき、彼女の屋敷の前に植えた。木になり実がなれば、いつでも好きなだけ桃が食べられると」


「可愛いな、五十狭芹彦」


 愚かな子供の浅慮だ。

 それをサイは莫迦にすることなく聴いてくれている。

 女王も立場上、顔は晒していなかったが、微笑ましそうに耳を傾けてくれていた。


 だから吉備津彦は様々なことを、自然と女王に語ってしまったのだろう。


「姉はそんな事よりも、傷だらけで帰ってきた私をいたく心配してな。それでこれ以上は放っておけないと考えたのだろう。傷が治まってから一度だけ、私と命一杯遊んでくれたよ」


 あれが百襲媛を独り占めに出来た最後だった。

 次は木が成長し、桃が実ったらまた遊んでもらうと約束した。


 五十狭芹彦は雨が降らなかった日意外は、毎日のようにかめに水を満たして水遣りに行った。


 だが、種から育てた木が早々実る筈もない。

 約束を果たす前に、百襲媛は病であっさりと亡くなってしまった。


「なるほどね。その話しをしたから、台与は“桃さん”って呼ぶようになったのか」


 あいつらしいな。

 そう言ってサイは笑った。


「そんで、吉備津彦ってのは……」


温羅うらを討った後、私は見ての通り、御真木入日子みまきいりひこ様に吉備の統治を命じられた。吉備津彦という名は、その時に与えられたのだ」


「あからさまだな。誰が吉備の支配者なのか、わかり易く宣言させたのか。反発は無かったのか」


 理解が早い。

 それについては、凡そ子供離れしていると言える。


「表面的には無かった。大和に対して反旗を翻した温羅を討伐した。領主を失った地を安撫するために、大和の王族が代わりに統治する。多少強引でも、一応の名分は立っている」


「反対した所で、温羅と同じ反逆者と見做されるのがオチか」


「ああ。御真木入日子様は同時期に、丹波たんばの地にも王族を送った。元々は別の一族が治めていたのだが、同じように反乱で討伐されてな。

 そこには大彦という名から、丹波道主たんばのみちぬしと名を改めた王族が送られている」


「……四道将軍? ああ、そういう事か。結局狗古智卑狗(くこちひこ)の計略は、大和に逆に利用される形になった訳だ。皮肉だな……」

 

 サイが考え込むように、小声で何やら呟き出した。

 独り言というより、誰かと話しているようにも見える。


「サイ、久志宇賀くしうかの言っていた件はいいのか。女王からの私への言伝ては」


 少しずつ、サイという人間が視えてきた。

 後はもう少しだ。

 この最後のやり取りで、この男を見極める。


「うん、そうだな。五十狭芹彦のことが、つい気になり過ぎちゃってさ」


 サイが頭を掻いた。


 そしてゆっくりと息を吐き、改めて吉備津彦に向き直った。


 覚悟を決めて斬り込むような、戦う漢の目だった。

 ここぞという時、持衰もこんな目をしていた。


「俺たちは筑紫の皆を救うために、西を目指している」


「だろうな」


 そして、この後に続く言葉も分かっている。

 自分が彼らに色よい返答を出来ないことも。

 その時、この少年はどうするのか。


「筑紫の為に、力を貸してほしい」


「……筑紫の現状は分かっている。女王が大和に落ち延びられたのもな。だが無理だ」


 毅然とした態度で吉備津彦は言い放った。


「筑紫への派兵は既に行った。可能な限りでな。生きて帰った者は少ない。犬飼健いぬかいたけるという、股肱の臣も失った。これ以上、吉備の人間に血を流させることは出来ない。それをすれば、吉備でまた炎が上がる」


 温羅という領主を失った疵は、まだ生々しく刻まれている。


 吉備の民は、吉備津彦を完全には認めていない。

 これ以上はいかに台与の為とはいえ、民を犠牲にするわけにはいかない。


 犬飼健のことについても、心の奥底では忸怩たる思いがある。


 サイはどう出るのだろうか。

 吉備津彦は彼の様子を、皺の奥底で目を光らせながら見守った。


 諦めて引き下がるのか。それでもなお、出兵を説いてくるのか。

 果たして。


「うん、勿論。兵を出してくれなんて頼むつもりは、最初から無かったよ」


 立ち合いの如く真剣な面持ちをしていたサイの顔がふっと緩み、微笑さえ浮かべながら、あっさりと言い放った。

 吉備津彦は、突然刃を躱されたような気分になり、思わず肩の力が抜けてしまった。


「何を言っているのだ。お前たちは筑紫を救えと、女王に命じられたのではないのか。そうでないなら、一体何をしに私の元を訪れたのだ」


「……探湯主くかぬしたちを下げてくれて助かったよ。そうでなかったら、先ずあいつの説得から始めるところだった」


 そして吉備津彦がサイより依頼された務めは、全く予想だにしない事であった。





「それでは大叔父殿。お世話になり申した」


「忙しないことだな」


 吉備津彦とサイの話しが纏った翌日。中山の空き家の一つで寝泊まりをした後、彼らは出雲へ向かって旅立つ。


「ええ。ここから出雲へ向かうには、山を越えねばなりません。冬になればそれは困難になる。

 次の春に筑紫へ辿り着く為には、今のうちに出雲に入らなければなりません」


「そうか」


「……大叔父殿、サイをどう見られますか」


 既に支度を整え、吉備津彦たちとは離れた場所にいるサイを、宿禰が眺めた。

 久志宇賀と何やら言い争いをしているが、吉備津彦からは楽しそうにはしゃいでいるように見えた。


「分からぬ。だが、得体の知れぬ強さを持っているのは確かだ。あんな提案を思い付く位だからな」


「俺には無いものですね。だからか、俺があいつに惹かれるのは」


「お前は、強いだけだからな」


「ええ。背負っているものがない」


 それを理解しても、宿禰は変われないのだ。

 強すぎる。悲しみも後悔も、この男には無縁すぎた。

 それがいつか、この男の足を掬うかもしれない。


「サイを頼んだぞ」


「はい」


 吉備津彦に軽く拝礼をして、宿禰はサイたちの元へと向かっていった。


「サイ」


 軽く声を張って呼んだ。

 弾かれたように、サイがこちらを振り返った。


 同時に宿禰は、手に持っていた物をサイに投げた。

 不意を突かれたはずなのに、サイは危うげなくそれを受け取った。


「出雲へ持っていけ。それが少しは役に立つかもしれない」


「あ、ああ。ありがとう」


 不思議そうに受け取った物を眺めていたが、その後に笑って礼を言った。


 それが最後だった。

 宿禰が軽く目を伏せ、探湯主は丁寧に頭を下げ、サイは大きく手を振りながら、出雲へ向かって消えていった。


 三人の背がまだ見えている内に、吉備津彦は中山の屋敷へ帰っていった。


「お帰りなさいませ」


「ああ、お前もな」


 阿曽媛あぞひめだった。

 屋敷で一人、吉備津彦の戻りを待っていたようだ。


 言葉はない。そして表情も浮かべず、阿曽媛がこちらへと近づいてきた。


 阿曽媛を見下ろした。阿曽媛もまた、吉備津彦を覗き込んでくる。


 虚ろな瞳の奥に、闇が蠢いている。 怨恨、悲しみ、憤り。


 吉備津彦が、この女の男を殺した。仲間を殺した。兄も、臣下が手に掛けた。

 彼女の呪いは、至極真っ当なものなのだ。

 それなのに吉備津彦は、この女を狂おしいほどに欲してしまう。


 阿曽媛の瞳が艶然と濡れた。

 衣を剥ぎ取り、裸体を露わにした。


 そして吉備津彦を押した。

 大した力ではない。それでも吉備津彦は抗わず、後ろに倒れた。


 裸になった阿曽媛が、その上に跨る。頬はこけ、出会った頃より老けてはいるが、その身体は驚くほど若々しく豊満だった。

 吉備津彦の衣も、阿曽媛が剥ぎ取った。


 温羅を討ち取り、怪我を癒した吉備津彦は、捕らえた兵や縁戚者の一人一人と会い、解き放った。

 里を離れたいと言う者には食糧を、残りたいと言う者には、土地を与えた。


 温羅の妻であった阿曽媛と会った時、彼女は死を賜りたいと言った。

 吉備津彦がそれを拒むと、ならば自死を選ぶと言い出した。本当にそうするつもりだと、吉備津彦には分かった。


 気づいた時には抱いていた。


 死なせたくないと思ったのか。単純に戦で滾っだ身体が、若い身体を欲したのか。殺した男の妻を犯すことに悦ぶ嗜虐性が、密かに自分に巣食っていたのか。

 理由は未だに分からないが、我を忘れて女を抱いたのは、あの日一度きりだった。


 事が済んだ時、自分の身体の下に組み敷かれている阿曽媛は、涙で濡れた暗い瞳で、じっと吉備津彦を眺めていた。


 その日以来、阿曽媛は自ずから、吉備津彦を求めるようになった。


 月の物が来ぬ限りは、ほぼ毎日だ。


 上にいる阿曽媛が妖しく笑った。

 阿曽媛が笑うのは、この一時だけだ。


 色情と殺意の香りが、次第に吉備津彦を包んでいく。


 ――この女は、私を殺すつもりなのだ。


 それが吉備津彦には、とても幸福なことに思えた。



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