第百九十八話 鍛える旅路
宇治から西へ進む。
難波津、つまり大阪湾にぶつかった所で、海岸線に沿って吉備まで向かう。
ここからの旅程はかなり長い。
舟ではなく徒歩なので余計に時間もかかる。
俺の回復を待ってから出発したので、夏の盛りも過ぎて、もう秋になろうかという時期になっていた。
吉備に着く頃には、山々は朱や黄に色付いている事だろう。
難波津を左に眺めながら、俺、探湯主、宿禰の三人は歩き続けていた。
「なるほど神憑きの子供か。女王はお前に宿る神を感じられ、目を付けられたということか」
道々の話しの種は、暫くは宿禰からの俺への質問攻めだった。
俺が台与と宿禰の関係を気にしたように、宿禰もまた、俺と台与の繋がりを知りたがった。
そして俺の素性も。
まさか前世からの付き合いです。などと言うことは出来ず、載斯烏越の考えた出任せを、そのまま使わせて貰うことにした。
例の“神憑きの子供”って設定だ。
丸っきり嘘でもないし。
「サイにお憑きになっている物好きな神も、子供を急に大人にする事はお出来にはならない。足手まといには代わりが無いがな」
「まあ見てろって、その内お前よりも強くなってやるから」
探湯主の辛辣な言葉にも大分慣れてきた。
こいつなりに、俺の身を案じてくれているのだ。
「何をニヤついているんだ、気持ち悪い」
眉を顰めながら、探湯主がまた悪態をついたが、取り敢えず聴こえない振りをした。
素直じゃないな、探湯主は。
本人に気付かれないように、俺はまた密かに笑った。
「ところで、その探湯主というのは何なのだ」
宿禰が何気ない調子で聞いてきた。
探湯主は本当の名前でなく、久志宇賀と言うのが本名だ。
宿禰の前で俺はずっとそう呼んでいたから、今更な気もする。
けど、考えてみれば尋ねるタイミングはこれまで無かったかも。
「台与がそう呼んでるんだよ」
台与は親しい人間には、独自の呼び名をつける。
因みに宿禰は“すっくん”だ。
「だからと言って、お前にまで探湯主と呼ばれる筋合いは無いがな」
「初対面でそう言われたから、それが名前だと思っちゃったんだよ」
あとから久志宇賀が名前だと分かったけど、今から変えるのは気持ち悪い。
「なるほど、合点がいった。しかし女王のお考えになる呼び名も、随分と凝ったものになってきたな」
「まあ、そっちは“すっくん”だもんな」
俺の相槌に、宿禰は苦笑した。
「久志宇賀に探湯主か。打ってつけだな」
宿禰は感心したように頷いていた。
「ごめん、逆に分かんない。探湯主だと何で打ってつけなんだ」
今度は俺から質問した。
今まで特に考えずに呼んでいたけど、よくよく考えれば意味は不明だ。
「私は神職だからな。卜いも得意なのだ」
なのだ。って言われても。
その答えが質問のイコールになる理由が分からないんですが。
「盟神探湯からきてるんだよ、きっと」
疑問符を浮かべる俺に、ナビが笑顔で声をかけてきた。
指を光らせ、緑の軌跡を宙に描く。
“盟神探湯”という字が、そこに浮かぶ。
「え、だから何。つーか何これ」
「マジ? 分かんないの」
「うん」
「キミさ、史学科だったよね。他の学科ならともかく、キミ達からしたらこれくらい常識だよ」
いや、そんな事ないと思うけど。
「盟神探湯っていうのは、古墳時代の占いの一種だよ」
「なるほど。それで探湯主ね。確かに神職のこいつにぴったりだ」
突然俺に指を差された探湯主が少し怪訝な顔をしたが、特に突っ込むことはなかった。
いつもの事だと聞き流している。
「あ、ごめん、ごめん」
一応、愛想笑いを浮かべながら謝った。
一方、慣れてない宿禰は興味深そうに俺を眺めていた。
「今のが例の伊邪那美の神か」
「うん、まあ」
それで得心したように、宿禰は何度か頷き、それ以上追及することはなかった。
まだこの時代の人間は、神様が身近に居てくれて助かる。
もう少し時代が下ったら、この言い訳も通用しなくなるだろうな。
気をつけねば。
その後一度の野宿を挟み、現在は野山の中へと分け入っていた。
「六甲山系の山の中だね」
ナビが現在地を知らせてくれた。
てことは、まだ半分も進んでないってことか。
山にはかなり深く入り込んでいる。
傾斜のある獣道を登り、高く開けた場所に出ると、四方一面は木々に覆い尽くされていた。
「すげー、遠くの集落も何も見えない」
あまりもの絶景に、俺は自然と感嘆の声を漏らした。
「怖いか、サイ」
宿禰が俺の横に並び立ち、山を眺めながら呟いた。
「四方を森に囲まれるとな、まるで大海に放り込まれたような気分にならないか。森に抱かれれば、前後左右も分からなくなる。慣れぬ人間は、その恐怖に呑み込まれる」
「山の知識が無かったら、確かにそうかもな」
登山用GPSも無ければ、コンパスすらも発明されていない時代だ。
山歩きの危険度は現代の比ではない。
「お前は有ると言うのか」
「ああ、苔の生え方や雲の流れを見れば、大体の方角は予測できる。夜の星ならより正確だな」
「大したものだな。お前はずっと笠縫邑に住んでいたのだと思っていたが。山に入る事も多かったのか」
「あ、うん、まあ」
前世ではね。
弥生版登山ガールの日御子に、若い頃に時々付き合ってたからな。
その辺りの知識は日御子を通して身に付けていた。
ただ、日御子の場合は全部直感で理解してたから、「何で迷わないんだ」って聴いても、上手く言語化できないようだった。
ナビが分析した上で、俺に伝え直してくれたのだ。
「なるほどな、道理で余裕のある訳だ」
「まあね」
「いつまで経っても、今宵の分の食糧を探しに行かないので気になっていたのだが、要らぬ心配だったようだな」
「はい?」
何のことだ。
食糧だったらさっき探湯主が、兎を二羽射貫いてたじゃないか。
それはそれは鮮やかな手並みで。
「え、あの兎は」
「何がだ」
宿禰はきょとんとした顔をしている。
「探湯主の兎が有るだろ。三人なら充分な量じゃん」
「言っている意味が分からんのだが」
「え?」
「ん?」
「は?」
「んん?」
「え、なになになに、そのリアクション……。三人で分けるんじゃ」
「なぜだ?」
「なぜ、って……」
「あれは久志宇賀が、自分と俺のために獲ったものだ。お前の分ではない」
至極当然のことのように、何食わぬ顔で宿禰がそう返してきた。
いや、聞いてないんですけど。
「お前は足手まといではないのだろう。ならば俺たちは、旅の間に一切お前の面倒は見ない。食い物は自分で何とかしろ」
「いや、勿論そうだけど、少しは助け合っても良いんじゃ……」
「まあ、サイ殿は山に慣れておるようだからな。我らの助けなど必要ないだろ」
そう言って最後に、宿禰は底意地の悪そうな笑いをつけ足した。
この野郎……。
「戻ったか」
辺りは暗くなりつつある。
焚火を宿禰と囲んでいた探湯主が、葉っぱやら木の枝やらにまみれた俺に対して、何でもないように声を掛けた。
一目見れば、どれ程苦労してきたか分かるだろうに。
手にはまだビチビチと暴れ回る鮎が握られている。
あれから俺は一人で山奥に分け入り、獲物を探して彷徨い続けた。
弓だけは探湯主が貸してくれたが、それでも狩りは困難だった。
昔から俺は狩りが下手くそなのだ。
“観測者補正”で獲物の動きは余裕で追える。
だけど矢が全く当たらない。
ならばと、走って追いかけても無駄だ。
時間の流れは緩やかに感じるが、自分の動きまで速くなるわけではない。
徐々に遠ざかる獲物の影を、虚しく見送ることを延々と繰り返した。
最終的には近くでそれなりの大きさの川を見つけたので、魚を獲って帰ってくることが出来た。
魚なら、そっと近づいて捕まえられる。
「それだけで良いのか。なんとも慎ましいな」
「山の神様に気遣ったんだよ」
俺は探湯主に強がりを言って、勢いよく焚火の前に座り込んだ。
火も自分で熾せと言われるかと警戒したが、流石にそこまでではなかった。
鮎の排泄物を押し出したあと、黒耀石の刀子で手早くぬめりをこそぎ落とした。
まだ生きてる鮎に手頃な枝を刺してから、それを火に焚べた。
宿禰は焼けた兎を豪快に丸齧りしている。
一羽の兎はもう残り僅かだ。
整えられた髭には脂がついていて、炎の光で照り返されている。
何とも旨そうだ。
俺は生唾を呑み込んだ。
探湯主は兎を綺麗に分解して、少しずつ手に掴んで口に運んでいた。
もう既に食事は終えたようだが、半分近くがまだ残っている。
「あの〜、探湯主さん、食べ切れないなら俺が……」
「宿禰殿、まだ腹には入りますよね」
「お、いいのか」
俺が言い切る前に、探湯主は自分の分を全て宿禰に上げてしまった。
また旨そうに肉を頬張りはじめる。
この大人たちは……。
育ち盛りの子供を尻目に、良くも自分たちだけで楽しめるもんだ。
俺は恨めしげに宿禰と探湯主を眺めながら、焼けた鮎に喰らいついた。
美味いけど物足りない。
「サイ、では今日の修練を始めるとしよう」
探湯主に貰った分も平らげた宿禰が、おもむろに立ち上がった。
「え、なんのこ……」
“観測者補正”
踏み込みと飛び散る火の粉を、はっきりと眼が捉えた。
蹴り上げが俺を襲う。
食べかけの魚を放り出し、俺は後ろに転がった。
一回転仕切る直前で地を思い切り叩き、その勢いで飛び、立ち上がる。
「良く反応したな。流石だ」
言葉の割に表情が無い。
ただ、炎の光を灯した瞳に、暗い殺気が横たわっている。
「飯くらい喰わせてくれよ」
強がって笑った瞬間、宿禰が拳を突き出してきた。
何事もないように火に薪を焚べる探湯主の姿が、横目にちらついた。




