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倭国大乱 観測者は全ての歴史を見届ける  作者: 明石
第四章

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第百九十六話 試されし者


「サイ、何を馬鹿な事を言っているんだ」


久志宇賀くしうかの声が、屋敷の中に響き渡った。


だがそんな声などまるで耳に入っていないかのように、サイは宿禰を見つめ続けている。


宿禰もまた、僅かな殺気を込めて睨み返した。

子供が耐えられる圧ではない。


だが、サイは微塵も怯む気配を見せなかった。


歴戦の戦人いくさびとのような胆力だ。


「聴いていただろ。宿禰殿は昔于老を討った達人だ。三韓で于道朱君うどうしゅくんと言えば、知らぬ者は無いほどにその名は鳴り響いているのだぞ」


「于道朱君?」


サイは久志宇賀に問い返した。

だが、目線は全く外さなかった。


「向こうでの宿禰殿の呼び名だ」


宇治宿禰うじのすくね……、ああなるほどね」


からの言葉と結びつけたのだろう。

納得したように一人でに頷く。


その仕草もまた、妙に大人びている。


「だったら尚更だな。台与の為に戦うほどの力があるのか、俺がここで見極める」


「莫迦を言うな。そもそもお貸し頂くのは兵たちだ。宿禰殿ご自身の力を測っても仕様がないだろ」


そして久志宇賀が、宿禰とサイの間に立ち塞がった。


「無礼をお許し下さい、宿禰殿。どうか子供の戯言と聞き流し、豊鍬入媛様の為に、御力をお貸し願いたい」


サイの態度に腹を立て、自分が助力を断ることを懸念したようだ。

端正な顔を歪ませながら、必死に久志宇賀は頭を下げている。


「案ずるな久志宇賀。言っただろう。俺は女王に多大なるご恩がある。あの方の御力になれるのであれば、寧ろこちらから助力を願い出たい程だ」


「かたじけない、宿禰殿」


安堵の表情を浮かべながら、久志宇賀は顔を上げた。


「だがな久志宇賀。俺が女王の為にお前たちと共に戦うには、ここに居るサイ殿に認めて貰わねばならないようだ」


宿禰は久志宇賀を押しのけ、サイの目の前に立った。


頭二つ半は小さい。

近くに立つと、その身長差がより一層際立つ。


それでもやはりサイは、全く気後れすることなく、静かな気迫を込めた目で、宿禰を睨めつけている。


「宿禰殿、貴方程の方が、子供相手に何をむきになっているのですか」


むきになどなってはいない。

ただどうしようもなく、この少年に興味を引かれるだけだ。


それに宿禰が彼の挑戦を断ろうとも、向こうがそれを承知しないだろう。


「……そんなの分かってる。けどな……」


サイが何かをぶつぶつと口にしている。


久志宇賀に言っているのかと思ったが、そうではないようだ。


「……それに十年以上戦ってなかったんだ。筑紫に行く前に、感を取り戻さないとな……」


気が狂ったのかと思ったが、そうでもなさそうだ。


サイの目は、正気を失っていない。


「誰かと話しているのか」


「……ん、いや、独り言。悪い、気にしないでくれ」


慌てたようにサイが答えた。

この時だけ、微かな動揺が見られた。


久志宇賀が特に気にする様子がないので、サイの独り言は珍しく無いのかもしれない。


「そうか。……サイ、俺が女王の為に戦うに値するかどうか。見極めたいと言ったな。ならば俺は力を示す為に、全力を尽くそう。女王の御為おんためとあらば、俺は子供相手にも容赦はせぬぞ」


脅しでも何でもなく、宿禰は本気で言っていた。

事実、宿禰はサイを子供だとは思っていない。

先ほどからこの少年に対し、まるで目上の人間と接しているような感覚にさえなっていた。


「ああ、そうしてくれなければ困るからな」



外へ出た。

ただならぬ雰囲気を纏う宿禰たちを見て、慌てて屋敷の者たちが近づこうとしてきた。


宿禰はそれを手で制した。


敷地内の中央。比較的開けた場所まで歩き、立ち止まった。


宿禰とサイを取り囲むように、久志宇賀や他の人間たちが並ぶ。


「得物は何がいい。用意させよう」


「それには及ばない」


そう言ってサイは、懐から黒く輝く刀子を取り出した。


黒耀石を削って作られた物だろう。

宿禰の前腕よりやや短い位の長さだ。

持ち手は細く切った麻布のような物が巻かれている。


鉄器が普及し始めた今は、戦で使われることは少なくなってきたが、未だ狩りなどでは多用される。


人を殺す力も、充分にある。


身体が未発達なサイにとっては、最も適した武器だろう。


「宿禰、お前の武器は」


「俺は素手でいい」


「そうか」


サイは落ち着いた動作で構えを取った。


舐めているのかと不平を垂れてくると思ったが、予想が外れた。


そこまで自身を過信もしていなければ、宿禰を侮ってもいないという事か。


やはり子供離れしている。


宿禰は気息だけを整えた。

構えは取らず、両腕は垂れ下がったままだ。


サイの方から動いた。


堂に入っている。

闇雲に突っ込んで来たわけではない。


宿禰の股間の急所に目掛けて、素早く刀子を振り上げた。


僅かに後ろに下がる。


サイの斬撃が空を斬る。

だが、宿禰の胸の辺りまで高さが来たときに、その軌道が突如変わった。

予定したように逆手に持ち替え、今度は振り下ろす。


心の臓。

正確に無慈悲に、切っ先が迫る。


手刀。

サイの手首を叩く。

つもりだった。


サイが身体を半回転させながら、宿禰の懐に潜った。


刀子を手にしていた逆の左手で、手刀を放った宿禰の手首を押さえた。


回転の勢いを利用し、宿禰の腕を流そうとする。


「……ちっ」


サイの苛立ちの声が上がる。


体重と勢いの乗った受け流しを、宿禰は強引に力で止めた。


左拳。

顎を目掛けて突き上げた。


サイの眼。

視えている。

いや、“観られている”。


思い切り顔と背中を仰け反らせ、サイが拳をやり過ごした。


体勢の崩れた状態のまま跳び上がり、足と左手で宿禰の身体を押し、後ろに飛んだ。


そのまま地に倒れ込んだが、受け身を取りながら素早く立ち上がった。


観衆が息を呑む気配がある。


「中々やるな、于道朱君」


「認めて貰えたか、サイ」


「まだまだ」


今度は歩み寄るように距離を詰めてくる。


宿儺はまだ、構えを取らない。


「遠慮しないんじゃ無かったのか」


間合いに辿り着いたサイが、刀子を振った。


左の肩口に斜めから喰い込む一撃。


半身を下げて躱す。

間髪入れずに次の斬撃が放たれる。


避け、時にいなしながら、宿禰はサイの力を測る。


速さも力も平凡以下だ。

人並みの農夫程にも、肉体は鍛えられていない。

そして武の才も全くと言っていい程感じられない。


――だからこそ不気味だ。


場に慣れている。

そして戦いを知っている。


圧倒的な経験を積んだ、歴戦の兵士のような振る舞いだ。


効率よく、迷いなく、そして時に意表を突く動きを、次々と繰り返している。


だが、何よりも宿禰と“勝負になっている要因”は、サイの異常なまでの反応速度だ。


突き。

それを受け流す。

直後、宿禰は右拳を真っ直ぐ突き出した。


反応仕切れない速さと頃合いだ。

にも関わらず、サイは髪の毛一束ほどの間合いで何とか躱す。


顔には汗が貼り付き、目は緊張で血走っている。

余裕は無いのだろう。

だが、躱し続ける。


「……嫌な眼だ」


戦いの最中だというのに、サイの視線が宿禰と絡みついた。


闘志の奥にある、妖しい光。


サイの“力”は、確かに驚嘆に値する。


だが、飽くまでも驚きに過ぎない。

宿禰に恐怖を与える程ではない。


それなのに、サイと視線を合わせた瞬間、宿禰は背中に怖気が走った。


視られている。

観られている。


観察されている。

この俺が。


サイは間違いなく、死に物狂いで戦っている。

だが、それと同時に、冷静に自分を見定めようとしている視線を感じる。


避ける動き、攻撃の瞬間、足運び、体捌き、息遣い、目線。


全身を舐め回すように、一挙手一投足を見つめられている不快感。


嫌な眼だ。

本当に。


怖いのか。俺は。

この眼が。


面白い。

本当に。


サイの振り下ろし。

手の平を広げ、迎える。


振り切る前に、サイが飛び退く。


当然だ。

膂力の差は歴然だ。

掴んだ瞬間、勝負は決する。


踏み込んだ。

サイが空けた間を一気に詰める。


前蹴り。

飛び込んだ宿禰の顎に目掛けて繰り出される。


僅かに右に。

サイの蹴りが頬を掠めた。

火で焼かれたような痛みが走る。


右拳。

腹にめり込む。

後ろに飛んだ。サイが。

威力を殺された。

完全ではない。


倒れはしなかったが、サイが咳込んだ。


更に詰める。


刀子。

眼前。

飛んでいる。

武器を放ったのか。


左手で払う。

刃で皮が刻まれ、僅かに血が噴き出る。


サイが走り込んできた。

刀子で宿禰の気を逸らした。

だが、それは自分にも視えていた。


サイの回し蹴り。

掴んだ。

それなりの衝撃が手に伝わる。

終わりだ。


跳んだ。

飛び膝蹴り。

宿禰の鼻柱を狙っている。

僅かに上体を下げ、頭突きを放った。


骨と骨がぶつかる音。


サイの呻き。


だが、まだ終わらない。


強引に足を払い除け、宿禰の首に巻きつけた。


極められる。

久志宇賀の技の応用か。


サイの手が頭部にかかる前に、思い切り腕を突き上げた。

その手がサイの顎を掴んだ。


渾身の力で、そのまま振った。


絡みついた足も僅かな抵抗を見せた後に振り払われ、サイは背中から地面に激突した。


全身の空気が漏れ出る音がした。

胸を抑え、青黒くなった顔で叫びにならぬ叫びを上げる。


立ち上がった。

手には刀子。

宿禰が払った。


振り払われた時のことさえも、見越していたのか。


だがここまでだ。

サイの呼吸は戻っていない。


踏み込む。

サイの眼は、確かに宿禰を捉えている。

だが、もう身体はついてこないだろう。


放った右拳が、まともにサイの左頬に入った。

右頬、腹。

拳と膝蹴りを入れた。


サイの眼が光る。

まだ、俺を観ているのか。


「宿禰殿」


久志宇賀の叫び。


「分かっている」


息を乱すことなく、宿禰はそう答えた。


横顔を向けて、サイが足元に転がっている。


その瞳にはもう、あの光は宿っていなかった。







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