第百九十五話 真の英雄
明朝、迎えに来た男に連れられて、俺と探湯主は宿禰の屋敷に赴いた。
“奴婢ごときが、宿禰殿に目通り出来ると思うな”
くらいのことは探湯主に言われると思ったが、俺の同行に特に何も言わなかった。
昨夜のことで、少しだけ俺を認めてくれたのかもしれない。
宿禰も宿禰で、奴婢の俺が屋敷に上がることに、特に咎め立てはしなかった。
屋敷は壁と屋根のある平床式で、竪穴式で屋根を地面に被せただけのような、庶民の家とは造りも大きさも違う。
炉は壁際の真ん中に設えられており、真ん中にあるより室内がすっきりしている。
広さは畳12畳分くらいだろうか。
「初期古墳時代の最新式だね。集落を見ただけでも分かったけど、宿禰はかなりの力を持った豪族みたいだね」
ナビも楽しそうに室内を眺めながら、宿禰の評を述べた。
筵の上に探湯主と並んで腰を下ろしている。
真正面には主である、宇治宿禰が単座していた。
「あの筑紫連合国が、そのようなことになっていようとはな」
事のあらましは昨日の夜に探湯主が伝えていたが、更に詳細な状況を改めて説明していた。
聴き終えた宿禰は、長い吐息を漏らしながら呟いた。
鋭い眼光は俺たちの方に向けられているが、どこか遠い目をしている。
この男が見ているのは、今なお狗奴国の脅威に晒されている、筑紫連合なのかもしれない。
「久志宇賀、女王はご悲嘆に暮れてはおられぬか」
久志宇賀は探湯主の本当の名前だ。
普段俺が使っている呼び名は、台与が付けたあだ名みたいなものだ。
「常と変わらず、明るく振る舞っておられます。以前は気丈な態度を心がけておられるようにも見えました。ですが今は、確かな希望をお持ちのように見受けられます」
探湯主は最後に、俺の方をちらりと盗み見た。
その視線の意味が、俺には良く分からなかったけど。
「そうか。お強い方だからな」
納得したように、宿禰が頷いた。
台与の事をそれなりに知っているような口振りだ。
二人は一体、どこで接点を持ったのだろうか。
探湯主と違って、宿禰は宇治に籠りっきりのようだし……。
「サイとか言ったな」
我ながら不躾な視線に気付き、宿禰の方から声をかけてきた。
「あ、ああ」
「何か気になるのであれば、遠慮なく申してみよ」
眼光は鋭いが、その奥の瞳には、奴婢の俺を蔑むような色はなかった。
「二人の事が気になったんだ。台与とあんたは、どこで知り合ったんだ?」
「学ばない奴だな、お前は」
すかさず探湯主の雷が落ちた。
怒りの形相で俺の片腕を掴み、鮮やかに捻り上げた。
今度もそれを防ぐことが出来なかった。
「いででででで。……ごめん、つい」
「やはりお前は叩き出して……」
「構わん、久志宇賀。放してやれ」
「しかし」
「俺が良いと言ってるんだ」
宿禰が取りなしてくれたお陰で、俺の腕は解放された。
だが探湯主は、憮然とした顔を崩さなかった。
上がりかけた彼の評価を、また落としてしまったようだ。
「俺が女王の事を、なぜ存じ上げているのか。だったな」
捻られた腕を擦り続ける俺に、宿禰が淡々と話し掛けた。
「ああ。しかも女王という呼び名も気になる。宿禰は台与のことを、筑紫の女王として認識しているってことだよな」
「その通りだ。俺は昔、女王より多大なる恩義をお与え頂いたことがある」
「恩義?」
宿禰が頷く。
「お前は知らぬだろうが、十三年前に倭国と辰韓の間で、大きな戦が起きたのだ」
辰韓。
朝鮮半島の東側に位置する国家群で、後に新羅という国に統合される地域だ。
古来より倭国との折り合いが悪く、度々戦になることもあった。
前世の俺がいた筑紫連合国も、その期間に二度、辰韓と戦っている。
「また筑紫と辰韓が戦になったのか」
台与と難升米がいて、わざわざ辰韓と戦うような愚を犯すとは思えないが、向こうから攻めてくるということは十分あり得る。
朝鮮半島にある、筑紫連合国の出先機関である任那を守る為にも、攻められれば戦うしかない。
「いや、筑紫ではない。ここ河内だ」
「河内が」
ますます分からない。
河内は古来より戦を好まぬ国の集まりだ。
それに日本海側でもない為に、辰韓との直接のやり取りもなかった。
それなのに、なぜ戦などに発展するのか。
それを俺は宿禰に問い質した。
今度は反対に、宿禰が興味深そうに俺を見つめた。
「サイ。やはりお前はただの子供ではないな」
感嘆したように呟いた。
傍らの探湯主も目を見張っている。
確かに奴婢の子供が、ここまでの情報を持っているなど異常だろう。
でも俺はもう、完全に開き直っている。
転生者だとバレなければそれでいいのだ。
ナビはやれやれと首を振っているが。
「お前の言う通りだ。河内は戦など滅多に行わんし、辰韓のある韓の国々と、直接の繋がりも無い。今まで河内は、主に筑紫を経由して、韓からもたらされる鉄などの資源を手に入れていた」
元々倭国内の物流の集積地だった河内は、筑紫から得られる朝鮮半島の恩恵が加わったことで、大和を中心に筑紫以上の国家群へと成長した。
「だが、御眞木入日子殿の方針により、河内が直接、韓と繋がる道を作り出そうとした」
「その相手が辰韓だったわけか」
「一年ほどは上手くいっていた。だが、倭国の使者と辰韓との間で、些細な生き違いがあった」
「些細な生き違いって?」
「さあな。交易品の交換比率で揉めた事くらいしか聴いておらん。だが、それにより倭国の使者は辰韓で殺された。斬ったのは昔于老という将軍だ」
「昔于老」
驚きのあまり、自分でも想像以上にでかい声を出してしまった。
けど仕方ないだろう。
まさかここで、あの昔于老の名を聞くなんて思わないのだから。
昔于老は辰韓諸国の一つ、斯蘆国の王族であり将でもある男だ。
かつて俺の友、タケルとも引き分けた事がある。
直接手を合わせたことは無いが、俺にとっても因縁のある相手だ。
「知っているのか」
「あ、いや、その……」
流石に俺が昔于老の事を知っているのはおかしい。
俺は答えに詰まってしまった。
「……その後、昔于老は辰韓各国に檄を発して軍を起こし、倭国へと攻め入る姿勢を示した」
しどろもどろになる俺にそれ以上の追求はせず、宿禰は話しを続けた。
「え、めちゃくちゃ大事になってるじゃないか」
「左様。辰韓に攻め入られれば、河内はただでは済まん。御眞木入日子殿もすぐに我ら各氏族や王族たちに声をかけ、逆に辰韓への派兵を命じられた」
「とんだとばっちりだな……」
「だが河内の軍勢だけでは、辰韓の軍に太刀打ちできる筈もなかった。そこで御眞木入日子殿は……」
「分かった。台与に泣きついた訳だ」
俺は宿禰の言葉に被せて、先に答えた。
そして宿禰も、俺の言葉に首肯した。
あの男は昔からそうだ。
普段甘い汁だけ啜って裏でコソコソ策謀を巡らすくせに、困った事があればすぐに俺たちに頼ろうとする。
日御子も台与も同盟相手を見捨てるような真似はしない。
だから余計に、御眞木彦は増長したんじゃないだろうか。
ムカつく野郎だ、本当に。
「御眞木入日子殿は筑紫への遣いを俺の父に任された。だが、当時から父は病に伏せていた。そこで俺が名代として、筑紫を訪れたという訳だ」
「なるほど、そこで台与に出会ったわけか。そしてあいつは、あっさりと加勢を承諾した。それがアンタが台与から受けた恩義ってやつなんだな」
「それだけではない。倭国が辰韓を退ける事ができたのは、女王ご自身のお力によるところが大きい」
「台与自身の力?」
「女王は密かに、辰韓討伐への戦に従軍なされたのだ」
「じゅ、じゅ、じゅ、従軍」「どういうことだ、宿禰殿。初耳ですぞ」
俺だけでなく、今度は探湯主も騒ぎ出した。
いや、俺以上に興奮している。
敷かれた筵から飛び出して、宿禰の目の前に顔を突き出している。
「と、豊鍬入媛様が戦場に参られただと。どういう事だ。何を考えている。なぜ誰もお止めしなかったのだ。お怪我は。お怪我はされてないだろうな。豊鍬入媛様の玉肌は、晋の国にある全ての絹布を集めても、その価値には及ばんのだぞ」
至近距離で息継ぎなしで捲し立てている。
お前も大概無礼者じゃないか。
「安心しろ、久志宇賀。従軍と言っても、軍の最後方の更に後ろから、護衛と共に我らをお見守りになられていただけだ。お怪我どころか、敵兵にその御姿すら晒されてはおらん」
「そ、そうですか……」
「分かったら離れてはくれぬか」
「ご、ご無礼いたしました」
恐ろしく素早い動きで、探湯主が元の場所に戻った。
恐縮したように、座ったままの状態で何度も頭を下げている。
すっかり話しの腰を折られてしまったが、お陰で冷静になれた。
自分よりも慌てている人間を見ると、却って落ち着いてしまうものだ。
「だったら宿禰。何のために台与は、お前たちについて行ったんだ」
「どっちもどっち。女王はそう申されていた」
「それって辰韓も悪いけど、倭国も同じくらい悪いってことか」
「その通りだ。なので女王は勝ち負けよりも、なるべく犠牲を少なく戦を終わらせる事を一義とするようにと、我らにお命じになられた。又、その為の道も女王がご用意されたのだ」
戦を早く終わらせる為の道。
「和平か。けど、どう説得しようとも、敵が安々と矛を収めるとは思えないけど」
「ああ。だからこそ、女王は“なるべく少なく”と、仰られたのだ」
宿禰は顔を上に向けた。
当時の景色を思い起こしているようだった。
「鬼道の女王」
ぼそりと呟いた宿禰の言葉に、俺は敏感に反応した。
その異名は先代女王、日御子が呼ばれていたものだ。
後漢の道士、于吉からの流れを汲む“太平清領書”の教え。
神仙思想だけに留まらず、占術、医術、気象術と、その教義の範囲は多岐に渡る。
「その御力は本物だった」
宿禰の話しは続く。
それは俺たちに言い聞かせていると言うより、当時を回顧するために言葉を紡いでいるようにも見えた。
「我らは先ず女王のご指示に従い、辰韓に舟で攻め上がると見せかけ、その東部の于山国の西岸に舟を寄せた」
「于山国って言うのは、現在の鬱陵島に当たる島国ね」
ナビが俺に囁いた。
日本語だとちょっと変な名前に聞こえる。
「そこで狙い澄ましたように海が荒れた。激しい豪雨と荒波に巻かれ、辰韓軍の半数以上の舟が転覆。生き残った舟も撤退せざるを得ない状況となった」
「道術の一つである、天を読む御力ですか。流石は豊鍬入媛様だ」
探湯主が感嘆の声を漏らした。
付け加えると、台与の持つ共感覚が、その気象術の精度を底上げしている。
俺も彼女のその力で、昔命を救われたことがある。
「島に流れ着いた敵兵を救助し、海が落ち着いたのを見計らい、我らは今度こそ辰韓の地に上陸した。昔于老は直ぐに迎え打って来たが、軍全体の混乱は収めきれていなかった」
「その後の話しは私も聞き及んでいます。そこで宿禰殿は昔于老を討ち取られ、戦の趨勢を決せられた」
いや、ちょっと待ってくれ。
今、何て言った?
「いや、確かにその後直ぐに戦は終わったが、それを可能としたのも、やはり女王のご差配によるものだ。追撃を固く禁じられ、討ち取った昔于老の骸と捕虜たちは、丁重に辰韓へと受け渡すようにとお申し付けになられた。その甲斐あって、辰韓との和睦は円滑に……」
「昔于老を討っただって」
俺は腰を浮かして声を上げた。
宿禰と探湯主が、揃って俺を見上げる。
「おい、まだ宿禰殿の話しの途中だろ」
「いや、ごめん。でももう大丈夫。台与との関係は大体わかった」
「お前、何を勝手な……」
「昔于老を俺が討ったからといって、何だと言うのだ」
宿禰が探湯主を手で制して、俺に問いかけた。
俺を見定めまいとする、厳しい眼光が無遠慮に向けられる。
普段なら思わず射竦められそうだが、今の俺はそれどころじゃない。
「本当なのか、本当にお前が、昔于老を討ったのか」
これから俺は、宿禰と一緒に筑紫を助けに行く。
ならば、こいつが強いなら強いほど良い筈だ。
それなのに、この感情は何だろう。
疑念。怒り。嫉妬。悔しさ。
形容し難い。
ただ、これだけは言える。
タケルでも討てなかった昔于老を、宿禰は倒した。俺はそれを素直に受け入れる事が出来ないと。
下らない拘りだとは分かってる。
でも俺はタケルの代わりに、どうしても宿禰を試さずにはいられなかった。
「宿禰、俺と手合わせしてくれないか」
「……ほう」
タケル、お前は余計なお世話だと笑うんだろうな。
微かな殺意の眼差しを受け止めながら、俺は心の内で自嘲した。




