第百九十三話 宇治の宿禰
笠縫邑から宇治までは、実はそれほど離れてはいない。
しかも平地で繋がっているので道中も歩き易く、何とか夜になる前には辿り着いた。
それでも朝から歩き詰めだったので、子供の俺の身体にはかなり堪えたが。
「このまま宿禰殿を訪うぞ」
そう言って同行者の探湯主は、休む間もなく歩き続けた。
俺が疲れていることに、探湯主も気づいているだろうが、全く容赦する気は無いようだ。
「ああ」
俺も反抗することなく従った。
望むところだ。
探湯主以上に、俺は気が急いている。
本当なら寄り道などせず、真っ直ぐに九州に向かいたい位だ。
それに、宇治宿禰って奴のことも気になる。
当代最強の倭人。
探湯主はそう言った。
今のところ俺の中の最強は、後漢で戦った呂布奉先か、先代狗奴国王である卑弥弓呼だ。
あの二人とタメを張れる男が、そうそう現れるとは思えない。
「なあ、ナビ。宇治宿禰って名前に心当たりはないのか」
隣を歩くナビに、こっそりと話し掛けた。
「うーん、どうだろ。少なくとも史書にそんな名前は登場しないな。“宿儺”って名のつく人は、この後の歴史で沢山出てくるけど」
ナビが考え込むが、頭の中のデータベースにはヒットしないようだ。
「歴史に名を残した人間ではないってことか。だったら大した事ないのかもな」
「お、何かちょっと棘があるね」
「そんな事ないだろ」
「“最強の倭人”ってところに、反応してるんじゃない」
「別に」
「タケルを差し置いて最強なんてね」
……お見通しかよ。
卑弥弓呼。本来の名はタケル。
俺がこの時代で友と呼んだ、数少ない人間の一人だ。
「ま、“当代”最強だからな。けど、軽々しく最強なんて名乗る奴が、それ程とは思えないんだよ」
「別に本人が名乗ってるとは限らないんじゃない。探湯主がそう言っているだけかも」
ナビとひそひそと声を交わしている内に、木柵で囲まれた、宇治の集落の中心地に辿り着いた。
この囲い全てが、宿禰の館らしい。
内側には主屋に加え、倉庫や工房などがあるようだ。
「大和国より参った、久志宇賀だ。国王、御眞木入日子様のご息女であり、巫女長であらせられる、豊鍬入媛様より遣わされた。長の宿禰殿に、目通りを願いたい」
門の前に立つ見張りの男に対して、長々とした口上を告げた。
直ぐにその内の一人が頭を下げ、集落の中へと走っていった。
間もなく、同じ男が戻ってきた。
一人ではない。
背後に、もう一つの影があった。
三十半ばだろうか。
俺のような身分の低い者が着る貫頭衣ではなく、上下に分かれた絹の衣服を着こなしている。
この時代の有力者が良く纏う姿だ。
ただ、胸元は大きく空いており、袖は短い。
そこから覗く胸や腕は、見事に引き締まっており、それなりに鍛え抜いていることが窺える。
中々にできる。
それが俺の印象だった。
「宿禰殿」
近づいてくる男に向かって、探湯主が立礼を取った。
やはりこの男が、宇治宿禰。
探湯主をもって、倭国最強と言わしめる男。
だが俺には、本当にこの男がそれに値するのかは、判断がつかなかった。
「久志宇賀、女王の名代と言ったか」
挨拶もそこそこに、宿禰は探湯主に切り出した。
女王?
台与のことだよな。
畿内の国々で台与を女王と呼ぶ者はいない。
御眞木彦が故意に伏せている気配があるからだ。
大和国が実質的に筑紫連合の権威を取り込んだ今、その存在はむしろ疎ましいのだろう。
女王と筑紫の恩恵を受けて、大和国は発展した。
今後、大和が倭国の盟主として君臨するに際し、その事実は都合が悪い。
筑紫が正統性を主張し出せば、足元を掬われかねない。
おそらく御眞木彦は、その記憶を風化させようとしている。
かつて、倭国に偉大な女王がいたことを。
魏と結んだ連合国が、一体何処にあったのか。
卑弥呼と台与とは、一体どんな人間だったのか。
隠し、忘れさせ、歴史の中に埋めさせる。
神話の中に、その事実は秘匿されていく。
「……サイ、おいサイ」
肩を揺すられ、俺は思考の淵から浮き上がった。
「……あ、ああ」
「お前、今の話しを聞いていたのか」
探湯主が少し苛立ったような、呆れたような顔で見下ろしていた。
「いや、ごめん。あんまり……」
俺の返事に探湯主が舌打ちをする。
「もう夜になる。詳しい話しは、明朝にして、今晩はここに泊めさせて頂くことになった」
「わかった」
舌打ちの次は溜息だった。
どうも台与との一件のせいで、探湯主は俺にいい感情を抱いていないようだ。
接し方に角がある。
でも、俺はコイツのこと憎めないんだよな。
きっとそれは、探湯主が台与のことを心から大切に思ってくれているからだと思う。
「では宿禰殿、今宵はこれにて」
探湯主が再び、宿禰に立礼した。
「ああ、また明日に迎えを寄越そう。大してもてなしは出来ぬが、ゆるりとされるがいい」
「突然の来訪に関わらず、一宿の情けをお与え頂きますこと、深く感謝申し上げます」
「構わんさ。女王の御使いとあればな」
事も無げな調子で、宿禰が探湯主の礼に応じた。
そして探湯主は案内の男に連れられ、歩き出した。
俺もその後に続くことにした。
その時だ。
宿禰の視線が、じっと俺に向けられていることに気付いた。
出しかけた足を止める。
「な、なにか」
宿禰の視線は動かない。
少し気圧され気味に、俺は宿禰に問いかけた。
「宿禰殿、この者は豊鍬入媛様より預かった、ただの奴婢です。わざわざお気になさるような者ではありません」
宿禰が口を開くより先に、探湯主が割って入った。
素敵な紹介の仕方だよ、まったく。
「……そうか」
短く、宿禰が答えた。
「行くぞ、サイ」
「あ、ああ」
俺は離れていく探湯主に小走りで追いついた。
その間にも、宿禰の視線はずっと俺を追っているようだった。
「おー、こりゃ中々のもんだな」
通された平床の家で寛いでいると、暫くして食事が運ばれてきた。
地面をそのまま床にしているが、夜の灯り代わりの炉の前には、筵が敷かれている。
その上に次々と食べ物が並ぶ。
玄米の飯にアサリ汁。
川魚と豚肉の串焼き。
里芋と筍の煮物。
「うまそ〜」
俺の瞳はさぞ輝いていることだろう。
だって奴婢の身分じゃ、ここまで豪勢な食事を、あろうことか誰かに用意してもらえるなんて有り得ない。
持衰の頃は戦の時以外は贅沢な物を食わせてもらってたけど、今の自分に転生してからは初めてだ。
「頂きます」
軽く手を合わせ、俺はすぐに飯に喰らいついた。
美味い。美味すぎる。
「おやおや、そんなにがっついちゃって。転生したばっかの時は、ピザやらポテチやらが食べたいって、文句ばっかりだったのに」
一心不乱に食べ続ける俺に対して、ナビが皮肉を浴びせてきた。
「当たり前だろ。毎日毎日僅かな木の実や穀物の屑で食いつないできたんだぞ。それと比べりゃご馳走だよ」
俺は口の中に物を詰め込んだままで答えた。
「食べ物の有難みってヤツを、ようやく理解したようだね。そう言う意味では、キミも成長したみたいだね」
「いや、何目線だよお前」
「おい、何を一人でぶつぶつ言ってるんだ」
対面の探湯主にとうとう突っ込まれた。
ナビの姿が視えず、声も届かない探湯主には、独り言にしか聞こえないのだ。
「悪い悪い。神様がちょっと煩くてさ」
「例の伊邪那美か。まったく、何でこんな餓鬼に」
俺に神、と言っても実際はナビだけど、とにかく神が憑いていること自体は、探湯主は認めてくれている。
台与がそう言ったからだ。
「まあまあ、そう邪険にするなよ。仲良くやろうぜ」
「お前のような奴と慣れ合えるか」
「わかんないよ。まだ俺たち会ったばかりで、お互いのこと何も知らないだろ。まず一回さ、腹割って話してみないか」
「必要ない」
「そう言わずにさ。色々と教えてほしいこともあるんだよ」
「答える義理はない。黙って食べてくれないか」
とりつく島もない。
俺の方を見向きもせず、静かに食事を続けるのみだ。
予想通りの反応。
なに問題ないさ。
こいつの“ツボ”はもう心得ている。
「台与がさ……」
「豊鍬入媛様だと言ってるだろ貴様」
ほら喰いついた。
一気にボルテージが上がった。
「台与が悲しむぞ。俺たちが仲良くしないと」
「豊鍬入媛様を引き合いにするな、無礼者。それにあの方のお望みは、筑紫連合国を救うことだ。お前との仲など関係ない」
「あ、良いのかな。そんなこと言っちゃって」
「良いもの悪いもあるか。事実だ」
「じゃあ台与に聞いちゃおっかな」
「なに……?」
ここでようやく、探湯主の顔に僅かだが動揺が浮かんだ。
「宇治からなら、俺一人でも笠縫に行けるよな。そんな離れてないし」
「おい、お前まさか」
「台与に泣きついちゃおっかなー。探湯主に虐められたって。そしたら台与はがっかりするだろうなー。悲しむだろうなー」
「……脅しのつもりか?」
「いや、そんな事はないさ。ただ台与の為にこれから一緒に旅をするのにさ、協力し合えないんだったらそれも難しいだろ。だったら台与様にご相談するしかないよな」
「……何が聞きたいんだ」
観念したようだ。
かなり腹立たしげに奥歯を噛み締めてるけど。
子供にやり込められらるのが悔しいのだろう。
けどこいつに聞きたいことが山程あるのは本当だ。
これでようやく本題に入れる。




