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倭国大乱 観測者は全ての歴史を見届ける  作者: 明石
第四章

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第百九十二話 守られた願い


台与の元から帰った俺を、主人は熱い感涙で迎えてくれた。


載斯烏越さしあえに連れ去られた俺は、直ぐに殺されて川にでも流されたと思っていたのだそうだ。


奴婢ぬひ

つまり奴隷って言うと、鞭打たれて朝から晩まで働かされて、食事もまともに与えてもらえない。

そんなイメージだった。


勿論、それに近い境遇の人間もいるみたいだし、それを裁く法律などもない。


だけど、皆が皆そうだという訳ではない。

俺の主人のように、奴婢のことも人間扱いしてくれる人もいる。


涙を流して俺の無事を喜んでくれるこの人の思いは、素直に嬉しかった。


ただ、生還した俺が主人に伝えた言葉は、生きて帰って来たこともよりも、この人を驚愕させたようだった。


「つ、筑紫に行くだと」


「そーなんすよ、何かそんな事になっちゃって」


「な、何でそんな事に。流罪ということか」


「いやいや、そういうのとは違うんです。なんて言うか、お手伝い?」


「お手伝い?」


「うん、台与……、巫女様に頼まれて」


「巫女様? 巫女様って、あの巫女様か」


主人は神殿のある方角に顔を向けた。


「そうそう」


「下手な嘘をつくな。巫女様がお前ごときに頼み事などされる筈ないだろう。お前、まさかこの騒ぎに乗じて逃げ出すつもりか。そんなに、俺に仕えるのが嫌だったのか」


「そんなこと。そもそも、それならわざわざ戻ってくる訳ないでしょ」


俺は慌てて否定したが、主人の疑心の眼差しは変わらなかった。


確かに突拍子もない。

俺が何を言っても、簡単には信じてくれないだろう。


「主人よ、俺からも説明させてくれ」


身を潜めて様子を窺っていた載斯烏越が、俺の後ろからのそりと現れた。


「た、大夫たいふ様」


逆さまに流れる川を見たかのような顔をして、主人が勢いよく平伏した。


「サイが言っていることは本当なんだ。巫女様、豊鍬入媛とよすきいりひめ様は、サイに筑紫への使いを申し渡されたのだ」


「さ、さい……?」


主人が恐る恐るといった声音で、疑問を口にした。

だが、その顔は下に向けたままだ。


「豊鍬入媛様がお与えになった。こいつは今日から、サイと名乗ることになったのだ」


「名を、巫女様が……」


主人が息を呑む気配があった。


載斯烏越はそんな主人の前に身を屈め、片膝を着いた。


大夫がここまでの距離に近づくことなど、本来ならありはしない。


主人は恐れ慄き、より一層、額を地に埋めた。


「奴婢を奪われては、お前も生計たつきに困るだろう。豊鍬入媛様はその事についてまで、お心を痛めておいでだ」


載斯烏越さしあえは懐からずっしりとした革の袋を取り出し、主人の目の前に置いた。


中からは小気味のよい、金属類の軽い音が響く。


おそらくは青銅の装飾品や貴石などで満たされているのだろう。

この時代では大変な価値だ。


米などの食料と変えれば、働かなくとも数年は食っていけるだろう。


「巫女様からのお慈悲だ。受け取るがいい」


「……」


主人が恐る恐る、僅かに頭を上げた。


何かを躊躇っているように見える。


「良い。直答を許そう」


主人が恐縮しきったように、再び背中を丸めた。


そして徐々に地べたから額を離し、載斯烏越の足元辺りに視線を向けた。


「……恐れながら申し上げます。私はこいつと、サイともう一度、会うことが出来るのでしょうか」


目の前に置かれた財物など、どうでもいいかのように、主人が問うた。


今度は載斯烏越が、不意を突かれる番だった。


載斯烏越は背中越しの俺に、密かに目を向けた。


「良い人に巡り会われましたね、持衰じさい様」


小さな声で呟き、少し笑った。


……ああ、本当にそうだな。


「大丈夫ですよ。ちょっと昔馴染みに会いに行くだけですから」


載斯烏越の代わりに、笑って答えた俺の顔を、主人がぽかんとした顔で見上げていた。




三日後。

迎えに来た載斯烏越と探湯主くかぬしと共に、俺は主人の元を発った。


そして笠縫かさぬいの神殿に立ち寄り、台与の祈祷を受けた。


神の加護を俺たちに与えた台与は「じゃ、頑張ってね」とあっさりした励ましの言葉を送り、俺たちを送り出したのだった。



笠縫邑の外れまでは、載斯烏越も見送りに来てくれた。


「持衰様、ちょっと、ちょっと」


小声で載斯烏越が俺に手招きする。


探湯主は気を利かせて、声の届かない距離まで離れてくれた。


「持衰様、申し訳ございません」


「ああ、良いって良いって着いて来れないのは。武術が苦手なのは仕方がないさ」


「いえ、その事については別に何とも思ってません。台与様の傍にも居なければですし」


「ああ、そう……」


少しは気にしてくれて良いんだぞ。


「俺がお詫び申し上げているのは、台与様を大和へお連れした事についてです」


「その事か……」


「持衰様もお気付きだとは思いますが、台与様の身柄をお守りする為に、俺は大和国を頼りました」


「ああ」


「台与様を庇護する条件に大和国が、御眞木入日子みまきいりひこ殿が提示したのが……」


御眞木入日子。

第十代崇神天皇だ。


「台与を御眞木彦の養女として差し出すこと」


俺は載斯烏越の言葉を引き取った。


「その通りです」


載斯烏越が悔しそうに頷いた。


「それだけではありません。御眞木入日子殿は、台与様が神宝として身に着けていた勾玉と、日御子様より継承した青銅鏡を捧げるようにと、要求をなされました」


鏡に勾玉。

正統なる最高司祭としての象徴。

それらを受け継げば、分かり易く倭国全土に、御眞木彦の立場を喧伝けんでん出来る。


「確かに、台与の首に勾玉は無かった。だけど、青銅鏡は台与の手にあったはずだ」


笠縫に向かう時、そしてその神殿の中でも、俺は台与が捧げ持っている青銅鏡を目にしている。


そして見間違う筈もない。

あれは間違いなく、日御子が魏より賜り、台与へと継承した青銅鏡と同じ物だ。


「勾玉に関しては、台与様は特に拘りもなく、御眞木入日子殿に捧げました。ですが銅鏡だけは、手放すことを強く拒まれました。どうしてもと言うのであれば、連合国と命運を共にしても構わぬと。

そもそも台与様は、筑紫から離れることに、心より賛同なされていた訳ではありませんが」


載斯烏越や難升米なしめが、台与を守る為に説得して、大和へ亡命させたのだろう。


「流石の御眞木入日子殿もこれには折れ、形代かたしろを作って宮に祀ることで、妥協してくれました」


なるほど、つまりレプリカか。


青銅鏡を手放さなかったのは、それが日御子から受け継いだ大切なものだからという理由か。


「日御子様の為に築かれた御陵みささぎも、今では大和が太陽神を祀るための祭壇となっています」


「それは、知っている」


あまねあめを照らす大神。つまりは倭国の最高神。そう触れ回っております」


「分かった、もういい」


唇を噛みながら、苦しそうに言葉を絞り出し続ける載斯烏越を、俺は手で制した。


「筑紫の女王は御眞木彦の娘となり、御子王みこのおうとなる証も奪われた。そして邪馬壹国やまいこくが代々崇め奉ってきた太陽神までもが、大和国に取り込まれた。要するに、宗主国であった筑紫連合国の立場は、完全に逆転してしまってる訳だ」


「……その、通りです……」


「随分と足元を見られたものだ」


「申し訳ございません、持衰様。このような不利な条件を呑むしかなかったのは、外交官である俺の責任です」


自分の不甲斐なさを心から恥じ入っているような、怒りと憤懣を固め合わせた顔だった。


両の拳は、青白くなるほど握り締められている。


常に軽い調子の載斯烏越の、こんな顔を見るのは初めてだった。


「いや、お前は良くやってくれたよ」


「そのようなお言葉……」


「慰めだと思うか。そうじゃない。お前は私と、日御子様の願いを、ちゃんと分かってくれていた」


「持衰様と、日御子様の願い……」


穏やかに、俺は頷いた。

生まれ変わった奴婢の少年としてではなく、かつて親魏倭王の側近であった、持衰として。


あずまの国と、大和と手を結ぶように最初に仰られたのは日御子様だった」


「そうだったのですね」


俺はまた頷いた。


載斯烏越と祖父と孫の振りをして、河内まで共に旅をした。

あの時の事が、頭の中に蘇る。


載斯烏越もきっと同じだろう。


「御眞木彦が喰えない男だとは、日御子様も私も見抜いていた。筑紫連合国に対して、良からぬ企みを抱えているとな」


「そこまで思い至っていて、何故それでも大和と」


「魏が永遠ではないと、女王も私も分かっていた。その時、再び振り下ろされる狗奴国の凶爪きょうそうを、防ぎきれる保証も無いと」


その時を先延ばしにするために、俺は前世で、狗奴国軍を完膚なきまでに叩き潰した。


虐殺とも言えるほどに。


それでも、魏の滅亡までしか保たせることは出来なかった。


「なあ、載斯烏越。女王と私が本当に守りたかったのは、倭国の盟主という形ではなかったんだよ」


「持衰様……」


「本当に守りたかったのは、台与と、仲間と、その下で暮らす民たちなんだ」


そう、日御子は願っていた。

人々の平穏を。


上とか下とか、そんな事はどうでもいいんだ。


それは、台与も同じ気持ちだ。


「載斯烏越、お前は台与を守ってくれた。日御子様と私の大切な子を、お前は守り抜いてくれたんだ。だから恥じることはない。お前は胸を張っていいんだ」


載斯烏越の眼から、止めどなく涙が滴り落ちる。


「今度は私の番だ。台与の次は、日御子様の大切な仲間たちを、私が救いに行く」


「じ、持衰様」


最後の言葉で、張り詰めていた物が全て切られてしまったようだ。

涙と鼻水でぐじゃぐじゃになった顔を、俺の胸に埋めた。


子供の身体なので、背丈は載斯烏越の方がずっと高い。

両膝を地に付けて、俺にしがみついている。


「おい、こら止めろ。汚い。汚いし探湯主くかぬしが見てるから」


それから何とか載斯烏越を宥めて引き剥がすまで、一時間近くは掛かったと思う。



「あ〜、もう汚いな」


鼻水やら涎やらが染み付いた衣の両端を持って、俺は何度も布を振る。


載斯烏越とも別れ、今は探湯主と二人きりで歩いている。


まっすぐに筑紫、つまり九州へは向かわず、全く方角の違う南へと向かっている。


台与に課せられた、仲間集めの一環だ。


「てかさ、何があったか聞かないんだな」


「お前と豊鍬入媛様、載斯烏越殿に何か因縁がある事は、何となく分かった。豊鍬入媛様のことは気にはなるが、あの方が話されぬ以上、余計な詮索はしないさ」


前を見ながら、探湯主がさらりと告げた。


台与を前にした時以外は、基本的に冷静な奴のようだ。


「じゃあ逆に質問なんだけどさ、これから会いに行くのって、どんな奴か知ってるのか」


「書いてあるだろう」


微かに面倒臭そうな含みを持たせて、探湯主が言い捨てた。


「書いてあるって言ってもさ」


俺は懐から木板を取り出した。


そこには台与が彫った人名が並んでいる。


その中の一つ。

今会いに向かっている人物の箇所を、俺は口に出した。


「宇治。すっくん……」


これだけ。

全然分からん。


「ほらほら、こんだけじゃ分かんないだろ」


俺は木板を突き出し、探湯主に向けた。


「止めろ。私は字は読めん」


「ああ、そうだったな」


探湯主は、と言うよりも、今の倭国に漢字を読める人間なんてほぼ存在しない。


俺は大人しく、木板を懐に仕舞った。


「全く、奴婢のクセに文字を解するとは、奇妙な子供だ」


「まあ、その辺りは追々。……で、この“宇治のすっくん”って何者なんだよ」


ここでようやく、探湯主は目線だけを俺に向けた。


「……宿禰」


「すくね?」


探湯主は小さく頷いた。


宇治宿禰うじのすくね。私が知る限り、当代最強の倭人だ」


最強の、倭人。


俺は傍らを歩くナビと、密かに顔を見合わせた。


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