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倭国大乱 観測者は全ての歴史を見届ける  作者: 明石
第四章

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第百八十七話 降り立つ

ようやく粘土を着け終わり、木べらで甕型の粘土の形を整えていた。

大分手際も良くなってきた。


何条もの粘土紐の境目が、見る見る滑らかになっていく。


最近この作業にも、やり甲斐や愉しさを感じられるようになってきた。


そんな時、遠くから俺を呼ぶ叫び声がした。


声の方向へ目を向けると、俺の主人が血相を変えて走り込んで来るところだった。


「どうしたんすか。今日は受け渡しの日じゃないですよね」


主人の様子を見れば、勿論そんな理由で訪ねて来たわけではないことは一目瞭然だ。

けど、俺はそれ以外にどう声をかければいいか分からなかった。


「きょきょきょきょきょ、おもど、おももももも、ど、ど、ど……」


「なになになに? なんてなんて」


主人の屋敷と俺の家はそれほど離れてはいない。

だが、よっぽど慌てて走ってきたのだろう。


内蔵が飛び出すんじゃないかってくらい、激しく肩を上下させながら、荒い呼吸を繰り返している。


「みみみみみみみ、みこみこみこみこみこ」


「はいい?」


「みこ、巫女様が、ここへお戻りになる」


多少、気息を整えた主人が、掠れた声でそれだけ言った。


「……はあ」


最初は何を言っているのか良く分からず、俺は生返事をした。


みこ。

巫女ねえ。


「巫女ーーーーー」


脳が意味を結びつけた時、俺は盛大に叫んでいた。


「巫女って、あの巫女か。神様の巫女か」


「それ以外にないだろ」


主人が俺に負けないくらいの声で叫んだ。


そして祈るように両手を組んで、空を仰ぎ見る。

良い齢こいたおっさんが、少女のようなポーズをして、目を輝かせている。


申し訳ないが、ちょっと来るものがある。


「ああ、遂にお会いできるのかもしれない、あの方に」


主人がそう独りごちる。

また始まった。

聞かせるのはもう何度目だろうか。


「あれは俺がまだ十三だった頃。その時ここ河内は、酷い飢饉と疫病に喘いでいた。母も病に倒れ、俺は途方に暮れていた……」


主人は今、三十三歳。

丁度二十年前。

西暦246年。


大和を救うため、難升米なしめと共に、あいつがこの地を訪れた年だ。


「俺がこの辺りの川に、木桶に溜めたうんこを捨てに行った時だ。そこで俺は、あの方と運命的な出会いを果たしたんだ」


当時疫病と飢饉が蔓延した大和を救うために、御眞木彦は日御子に泣きついた。

当然、女王が国を離れるわけにはいかず、代わりに白羽の矢が当たったのが彼女だったのだ。


「初めてお見かけしたあの方の姿を、俺は今でも鮮明に覚えている。琥珀のように輝く髪と瞳は、陽の光よりも眩しく映った。桜の花ように美しい肌。そして見る者の心を捕らえて離さぬ魅力的な笑顔。人ならざる美しさだった」


あいつは、日御子が学んだ“太平清領書”の教えを受けていた。

十歳の少女だったとはいえ、道術を修めた彼女の医療知識と気象術は、この時代のほぼ最先端だった。


「うんこを川に捨てようとしていた俺は、あの方にお叱りを受けたのだ。当時の俺はまだあの方を知らず、しかも質素な身なりをされていたが為に、その辺の平民の子供と思い、とんでもない無礼を働いてしまった……」


その知識と技術を活かし、彼女はこの地の疫病と飢饉を鎮めた。

たった数ヶ月の滞在だったが、その時の功績はこの笠縫邑かさぬいのむらに今なお語り継がれている。


実際に彼女と出会った人間も、こうして僅かだが存在するのだ。


「そうして、あのお方はその鬼道の御業みわざをもって、この地をお救いになられたのだ」


ようやく終わったようだ。

俺は主人の話しを殆ど聴いていなかった。


「けど、本当にあの時の巫女と同一人物なのか」


「笠縫邑の巫女と言えば、あの方以外におられまい」


「待て、もしかして根拠はそれだけか」


「いや、まあ、そうなんだが……」


主人が口籠る。

そうか、ならばまだ望みはある。


俺は主人とは逆で、あいつに再びこの地に訪れてほしくない。

何故ならそれは、俺が想定した未来の中で、()()()()()()()()()()だからだ。


「確かめに行こう」


俺は真剣な眼差しで主人を見上げた。

笠縫邑の首長や、主人よりも力を持っている地元の名士たちなら、より正確な情報を持っているかもしれない。


「おう、勿論だ」


主人はあっさりと首肯した。


「巫女様をお迎えする神殿はもう造られている。そこへ至る道々に、笠縫中の人間たちが集まっている。貢物も持参してな。当然俺もお迎えに上がるつもりだった。で、お前は荷物持ちだ」


「ああ、何でもやってやるよ。連れて行ってくれるなら」


そうして俺と主人は、先ず屋敷へと走った。

走ろうとした。


「あ、おいちょっと待て。土器には土を被せて隠しておけ。この辺は滅多に人が来ないが、盗まれたら事だからな」


「あー、もう」



神殿は笠縫邑の北のはずれだった。

木々が生い茂る森の中だ。


神殿はまだ真新しく、木製の壁も屋根も柱も、鮮やかな黄土色だった。

巫女を迎えるために、急遽建てられたようだ。


神殿付近は既に人がごった返していた。

俺と主人、そしてその妻の三人は、神殿からもう少し離れた道で、巫女を迎える事にした。

主人の子供はまだ小さく、その子は主人の屋敷で、年老いた別の奴婢が面倒を見ていた。


少し離れれば、人垣はかなり治まった。

主人はそれなりに耳が早い方だったようだ。


「あ、おい、おい」


主人が何者かに気付き、声をかけながら近づいていった。

その人物は主人よりも力のある笠縫の名士だった。

折良く、御眞木彦の居る磯城瑞籬宮しきのみずかきのみやとも取引きを行っている人間なので、事情には俺たちよりも詳しいはずだ。


「おう、来たか」


男が主人に返事を返す。

彼もまた、興奮に目を輝かせていた。


「今日ここにお越しになる巫女様だがな。お前、どういった方なのか知っているか」


俺は二人の会話に耳を澄ませた。


一抱えもある大きな甕を、両手で抱えながら。

主人の家で最も出来のいい土器だ。

中には大量の米、稗や粟が入っている。

これら全てが、巫女への捧げ物だった。


「正しくは存じ上げん。だがな、俺は昨日、磯城瑞籬宮しきのみずかきのみやを訪れたんだ。丁度その時には、巫女様もそこにおいでだったようだ」


「なに。じゃあお前、もしかしてお会いしたのか。それとも、一目でもご尊顔を拝したのか」


主人が色めき立つ。

どうしても有名人に会いたいファンそのものだ。


「流石にそれはない。それに巫女様は、神以外にお顔をお見せする事を禁じられているらしい」


「そうなのか……」


つまり、もし仮に巫女があいつだったとしても、主人がその顔を見ることは叶わないのだ。

その事実に、明らかに落胆していた。


「ただな、どのような方なのかは、宮がある集落の人間から聞か出すことが出来た」


「なに、ほんとか」


主人だけでなく、俺の身体にも緊張が走った。

信憑性が如何ほどのものかは分からないが、巫女の正体を知る手掛かりにはなるかもしれない。


「その方はな、どうも御眞木入日子様の姫様らしい」


その言葉で、俺は一気に安堵した。

気が抜け過ぎて、危うく土器を取り落としそうになった。


御眞木彦の娘。

良かった。

だったらあいつじゃない。


主人は明らかに失望していたが、俺にとっては朗報だ。


「崇神天皇……。その皇女ひめみこ……」


俺の傍らで、何やらナビがぶつぶつ唱えている。


何か気になることがあるのだろうか。

けど、巫女の正体があいつでないなら何でもいい。


俺はもう一度、安堵の溜息をつこうとした。

だがそれは、直前で呑み込まざるを得なくなった。


「巫女様の御名みなは、豊鍬入媛とよすきいりひめ様と仰るらしい」


俺の身体が僅かに跳ねた。

冷えた思考が脳を巡る。


偶然、なのか。


豊鍬入媛……。

豊……。

台与?


「蹲れ」


誰かの叫び。

辺りの人間が、一斉にひれ伏す。

いつの間にか俺たちの周り。いや、道の両脇の遥か彼方まで、人が埋め尽くしていた。


一瞬、立っているのは俺だけになった。


「おい、何やってる」


俺に気付いた主人が這い寄って来た。

その声で我に返り、俺も地面に蹲り、茂みに身を隠した。


この時代、貴人と道ですれ違う時は、身を屈めて道を開け、貴人が去るまで身を隠して蹲っていなければならない。


平伏するくらいどうって事ないが、無駄な慣習だと昔から思っていた。

けれど今はどうでもいい。


大勢の足音が聴こえてくる。

地に着けた両手、膝、額に、振動が少しずつ伝わってくる。


それが強くなる度に、彼女が近づいて来ているのだと感じる。


俺は僅かに首をもたげた。

視界が低く、草と人影に阻まれ、巫女の行幸の列は微かにしか視えない。


それでも何とか俺は、輿板の上に乗る巫女の姿をこの目に捉えた。


巫女。

黄金色の青銅の腕輪、管玉の首飾りで身を飾っている。

だが身に纏う衣は、一切の刺繍も染めも無い、純白の絹衣だ。


あいつは確か、女王になるに当たり、魏から下賜された布で、花紋のある衣を仕立てさせていたはずだ。


いや、でもそれだけで別人とは判別出来ない。

あいつと別れてから、もう二十年近く経っているんだ。


俺が必死に過去の姿と、今ここに居る巫女の姿を照らし合わせている間に、巫女の列は俺の前にまで進んできていた。


どれだけ顔を上げても、この体勢では兵たちの顔を盗み見るのが限界だ。

目の前にいる巫女の姿は、胸より下の辺りしか視界に入らない。


その時、俺の視線は巫女から、そのやや後方にいた男に釘付けになった。


何でだ。

何であいつがここに居るんだ。


いや、あいつだからこそ、ここに居るのか。


確かに筋は通る。

北部九州連合の大和との外交官であったあの男なら。

ここに居ても、不思議ではない。


載斯烏越さしあえ


俺はあまりの驚きに、つい身体を起こして叫んでしまった。


巫女の列が足を止める。

場の空気が急速に冷えていく。


「あん、何だ坊主」


束の間の沈黙の後、載斯烏越が俺に近寄って来た。


やはり載斯烏越だ。

間違いない。

記憶よりも老けているが、この調子の良さそうな顔は載斯烏越に決まっている。


「おい、坊主。どっかで会ったことあったか。何で俺の名前を知ってるんだよ」


ヤンキー座りでしゃがみ込み、俺の顔を覗き込む。


こいつ、この私によくも斯様な口の利き方を。

少し打ち据えてやろうか。


「ダメだよ。今のキミは持衰じゃないんだよ」


身を乗り出そうとした俺を、ナビが制止した。


そうだった。

前世の顔馴染みに会ったせいで、すっかり昔の感覚になってしまっていた。


殴りかかろうとした自分の身体を、何とか抑えつけた。


幸い、載斯烏越にはその気配を気取られなかったようだ。


「まあ、河内には良く顔出してるし、“率善中郎将”の載斯烏越って言えば、ここでもちょっとしたもんだからな。有名人の俺を知ってても、不思議ではないか」


載斯烏越は勝手に解釈して、呵々と笑い出した。


どうしよう。こいつムカつくぞ。


「けどな坊主。いくら俺に会えて感動したからって、声を上げるのは不味いな。俺はあんまり気にしないけど、下手すりゃコレだぜ」


載斯烏越は親指を立てながら、首を斬るジェスチャーをした。


「も、申し訳ございません、大夫様。こいつは私の奴婢でして、ロクに世の倣いも知らんのです。全ては私の責任です。打ち据えるなりなんなり、お好きになさって構いませぬが、所詮は子供のした事。どうか命だけはお救い下さい」


そう言って俺の頭を押さえつけ、地面に何度も押し当てた。

主人の妻も震える声で、何度も載斯烏越に詫びていた。


「おいコラ、お前もちゃんと謝れ」


「す、すみませんでした……」


載斯烏越と、目の前の巫女の正体も気になるが、今は主人に対する申し訳なさが勝っていた。


「まったく、若返った途端にコレだよ……」


ナビも隣で呆れている。


「ほら、もっと誠意を込めろ」


尚も主人は俺に頭を下げさせている。


何とか俺の命を救おうと、必死になってくれているのだ。


「申し訳ございませんでした」


俺は今度こそ、本気で載斯烏越に謝った。


「ああ、いいよいいよ。俺も別にそんな……」


「やっぱり」


載斯烏越の言葉を遮り、大きな声が木霊した。


森全体が鳴いたようだった。

木の葉が震え、空気が振動する。


圧倒的な生の力と、自然の美しさを感じさせる声だった。


皆がその声に心を奪われ、そしてすぐ呆気に取られた。


その声の主に気付いたからだ。


輿板の上にその人物はいた。


顔は視えない。

薄布で覆われているからだ。


だが、輿板の上で身を乗り出し、思い切り俺に顔を向けている彼女の表情は、視えなくても容易に想像出来た。


巫女が、俺に向かって叫んだのだ。


そして彼女は、もう一度強く息を吸った。


「……じじ様だ」


叫ぶと同時に、巫女が輿板から飛んだ。


風に捲くられ、彼女の顔を覆っていた布がはためいた。


巫女の顔が、露わになる。


「台与」


そう叫び返した時、俺は彼女に押し倒されていた。



持衰の主人こと、うんこ少年は第百六十二話に登場しています。

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