第百八十六話 消えた巫女
日取り窓から陽光が差し込み、朝特有の澄んだ風が、竪穴住居の中を通り過ぎた。
僅かに残った火種の温もりは、晩冬の寒さにすっかり掻き消された。
俺は身体を少しだけ芋虫のように身体を身じろぎさせ、ゆっくりと起き上がった。
「朝か……」
「おはよう」
「ああ、おはよう」
ナビと軽い挨拶を交わす。
この時代に来て、この生活を始めるようになってから、ナビは決まって声をかけてくれる。
そんなナビに救われてるけど、俺が寝てる時、コイツはどうしているのだろう。
人間でないから睡眠は取らないだろうから、俺が起きるまでずっと一人で待っているのだろうか。
仮にそうだとしたら、ひどく退屈そうだ。
住居から這い出し、朝の空気を肺いっぱいに吸い込みながら、俺は大きく伸びをした。
この時代の空気はやはり美味い。
ただ暮らしてるだけで健康になれそうな爽やかさだ。
「さあ、出来きはどうかな」
俺は昨日燃やしていた焚火に目を落とした。
上に被っている、燃えて灰色に変色した泥を退かし、俺は焼成していた土器を取り出した。
「嘘だろ、割れてんじゃん」
今回は六つの土器を焼いていたのだが、そのうちの半数以上が割れていた。
この仕事を任されて一年近く経つが、未だにこういう失敗は多い。
「日干しが足りなかったか? それとも泥の被せ方が甘かったかな……」
「うーん、砂を入れ忘れてない?」
「あ、それか」
ナビの指摘通りだった。
粘土に混ぜる砂を忘れていた。
元々混入していた砂利も有るから、全部が割れてはいなかったけど、それが結果に現れてしまった。
「砂が少ないと土中の水分が逃げ道を失って、内部で破裂しちゃうんだよね。後は収縮してひび割れの原因にもなる。天日干しして乾かすのも同じ理由だね」
「なるほど、そういう理屈だったのか」
「多すぎても耐久性が下がるから、その辺のバランスは、まあ経験だよね」
土器を作り始めて一年近く。でもその理屈は初めて聞いたな。
「よう」
「あ、おはよーっす」
振り向くと、袖付きの麻衣に身を包んだ、三十代くらいの男が歩いてきていた。
父親、ではない。
俺の主人だ。
転生した俺は奴婢として生まれ変わっていた。
本当の親はもういない。
母親も奴婢の女性で、父親はそもそも分からない。
雑婚が当たり前なので、不特定多数の男女が互いに関係を持つ。
だから俺みたいな子供は珍しくない。
母親は俺が産まれてすぐに亡くなり、俺はその主人にそのまま仕えることになった。
「今日の分を取りに来たぞ」
「いやー、それが……」
俺は焚き火跡に目を向けた。
そこには割れた土器たちが転がっている。
「今日は一段と酷いな」
「面目ないッス」
主人は焼けた土器の前にかがみ込み、割れた土器を拾い上げた。
甕の形は保っているが、これでは使い物にならない。
「無事なのは二つだけか……」
そう言って割れてない土器の検分を始める。
俺はゴクリと生唾を飲み込む。
土器の出来次第で俺の給金、つまりは貰える食料や麻布の数が変わってくる。
「ドキドキだね」
「やかましい」
下らないことを呟くナビを小声で叱りつけた。
「ふむ、まあまあだな」
「まあまあッスか……」
「交易に出せない事はないがな。厚さが不均一だし、色味が悪い。もう少しだな」
「精進します……」
俺は肩を落とした。
去年から農閑期は土器の製作を命じられ、この冬の間はそればっかりに集中していたのに、未だ満足いくものは出来上がっていない。
「……これくらいだな」
主人は手に持っていた二つの皮袋を取り出した。
どちらもそれなりの膨らみがある。
主人は片方の皮袋の中身を、もう片方に移す。
パンパンの皮袋と、スカスカの皮袋の出来上がりだ。
「ほれ」
当たり前のようにスカスカの方を手渡された。
微かに重みが感じられる程度の量。
何とも心許ない。
その中身は米だ。
この時代の俺たちにとっては、貴重な食料源。
「こんだけ〜? 布は?」
「やれるわけないだろ、この出来栄えで」
「ケチ」
俺は子供らしい仕草で、唇を尖らせた。
「しょうがないだろ、去年は不作だったんだ。御眞木入日子王様が税を軽くして下さったとはいえ、苦しいのには変わりがないんだ」
御眞木入日子ってのは大和国の王であり、後の第十代天皇、崇神のことだ。
俺が死んでから生まれ変わるまでの間に、あいつはあらゆる政策を行ったようだ。
畿内各地の戸口を調査し、家族構成や土地の広さなどを基準に、課税の量を調節。
更に本州の広範囲から、それこそ女王日御子のいた北九州地方まで交易の網を伸ばし、倭国随一の交易大国として、大和国を発展させた。
民からの評判も頗る良好のようだ。
だが俺は知っている。
あいつが自己の利益のためなら、平気で他者を切り捨てる、超絶腹黒クソ野郎ということを。
「そんな顔するな。腕を上げれば、お前に渡せる物も増えてくる。それに、そろそろ田植えの時期だ。仕事が増えれば、その分も上乗せしてやるさ」
御眞木彦を思い出してムカついていただけなのだが、主人はそれを、取り分が少ないことに不満なのだと勘違いしたようだ。
「或いは、巫女様がまたこの地にお見えになれば。日の御子様の元へ帰られるため、西にお沈みになったあのお方が」
「……もう来ないよ」
あいつは。
もうここへは来ない。
俺がそうしたから。
「では、俺も戻るかな。皮袋は次に会った時に返せよ。これも貴重品だからな」
「世知辛いな……」
そして話しは終わったとでも言うように、主人は踵を返し、俺に背を向けた。
「け、何が御眞木入日子だよ。日の御子はお前じゃねえだろ」
主人の背中を見送りながら、俺は姿なき御眞木彦に悪態をついた。
「箸墓古墳を建造したのは、日御子ちゃんをそこに埋葬するだけでなく、彼女を祀るための祭壇としての意味もあったんだね」
「くそ、“造って良いですか?”ってアイツに言われた時、断ってやれば良かった」
「あの時は大和とも友好を関係を築いておきたかったもんね。仕方ないよ」
勿論、日御子の亡骸を箸墓に埋葬なんてしていない。
だが、アイツは勝手に日御子を崇め奉り、元々大和が奉じていた、三輪山の神と結びつけた。
「お陰で大和における日の御子として、御眞木彦が権威を高める事になっちまった」
「全ての神の頂点に立つのが太陽神って言うのは、民衆の実感としても分かりやすいからね。これによって大和国は、各地の神をも取り込み易くなった」
「神話の統合……」
ナビが静かに頷いた。
「そう……。この時代は如何にして神を味方につけるか。それが支配体制に大きく影響を与える。御眞木彦は八百万の神を祀る最高司祭として、倭国の頂点に君臨するつもりなんだよ」
「だとしたら、真の王は御眞木彦なんかじゃない」
正当なる日の御子の継承者は、あいつだけだ。
「いや、もう止めよう」
あいつも俺も、そんな事は望んでいない。
この国の平和が、一日でも長く続くならそれでいい。
御眞木彦への嫌悪感は、飽くまでも俺の個人的なものだ。
「そうだね。誰がこの国を率いようが、平和であるならそれでいい。それが日御子ちゃんと、あの子の願いだもんね」
御眞木彦がどうとか、倭国がどうとか。
それはもう、俺が考える事じゃない。
今の俺は、持衰じゃないのだから。
俺は腰を落とし、土と火に向き合う、今の俺の日常に戻っていった。
古墳時代は今よりも寒冷だ。
だが、この熱射と傍らで炎を孕んだ火のかまくらは、俺の身体を芯から焼いていくようだ。
季節はもう夏になっている。
不便で何もない、単調で平和で、退屈で充足した毎日。
このまま世界の片隅で、ひっそり歴史を眺めながら年老いていく。
それが“観測者”に最も相応しい生き方なのだ。
――そう思っていたのに。
“歴史の強制力”が与える因果は、否応なく、俺を歴史の渦中へと引き込んでいくのだ。




