第百八十五話 古墳時代の暮らし
西暦266年。
笠縫邑。
畿内諸国の中心地、纏向から西に6キロほどの場所。
青空の下に聳える三輪山が、竪穴式や平床式の住居の狭間から垣間見える。
俺は額の汗を拭いながら、しばしそれを眺めた。
「よし」
僅かに一息ついた後、俺はまた気合いを入れ直した。
すぐ近くで藁と木材を泥で覆った、窯に寄せた焚き火が炎を煌々と滾らせている。
春にもなっていない肌寒い季節だというのに、俺の汗が止まらないのはその為だ。
手元に視線を落とした。
粘土の塊と、皿のようにも杯のようにも見える中途半端な形の物体がそこにある。
甕型の土器の作成途中だ。
俺は粘土の塊から適当な量を千切り、指で捏ねて紐状にした。
それを土器の縁に沿って丸くしながら貼り付ける。
こうやって少しずつ高さを上げていき、最終的におおよその形に積み上げるのだ。
「なあ、今ってもう古墳時代なんだろ? 弥生の時と何にも変わらなくないか? 相変わらず土器作ってるよ」
首を横に振り、声をかけた。
だが、辺りには俺一人しかいない。
我が家である小さな竪穴式の住居が、ぽつんと建っているだけだ。
端から見ればただの独り言。
だけど、俺にだけは視える。
この場にいる、もう一人の存在が。
「いきなり劇的に変わるわけないでしょ。はい、弥生時代から古墳時代になりました。今から家も大きくなって、什器も鉄や陶器に変わります。なんて事はないんだよ。その狭間は曖昧で、徐々に移り変わっていく物なんだから」
甲高い声で、小馬鹿にするようにそいつが応える。
普通に聴けば耳に心地良い、風のように澄んだ声が台無しだ。
「ナビ、んな事はわかってんだよ。たださ、もう少し時代が進んだって実感が欲しいんだよ」
粘土を捏ねる手を休ませず、俺はナビに抗議した。
ナビ。
ナビゲーター、案内人。
未来から、俺をこの時代に連れてきた張本人。
長く美しい、若干波打った薄緑の髪。
大きく輝く濃緑の瞳。
染み一つない白絹のような肌。
整った鼻筋に、小ぶりな口元。
それらが計算し尽くされたように、完璧なバランスで配置されている。
髪色と同じ、ワンピースのようなドレスを風に舞わせながら、ナビが一歩近づく。
初めて見た時には、そのあまりの美しさに言葉を失ったものだ。
だが、今は違う。
俺に対して嘲笑を浮かべるその視線は、只々小憎らしい。
「ちょっとちょっと〜、キミ本当に史学科の大学生なの。変わってるものも確かに有るのにさ」
「そんな百年以上も前の事を言われても覚えてねえよ」
「ある意味、1800年後だけどね」
「言葉遊びはいい」
集中力を要する作業とこの暑さのストレスで、俺はいつもよりもイライラしていた。
上手く頭が回らず、さっきからナビに押され気味だ。
「キミが今作ってるのは何」
「何って、土器だろ」
そう答えると、ナビがわざとらしく溜息をつく。
「全く教養を感じられない答えだね。キミ、旅先で観光名所を訪れても、“おお、スゲー”しか言わないタイプでしょ」
「いや、大体みんなそうだろ」
ツッコミを入れながら思わず立ち上がった。
ナビの視線が俺に並ぶ。
前は頭二つ分くらい、俺の方が大きかったのに。
今の俺は、まだ十二歳の少年なのだ。
未来に歴史を繋げるまで、何度でも転生する“観測者”。
それがナビが俺に与えた、いや、俺が望んだ役目だ。
「ただ漫然と物事を捉えるだけなんて、“観測者”失格だよ。いい? 今キミが作成しているのは、ただの土器じゃないの」
「そーなん?」
「作ってる本人がコレだもんな〜」
ナビが頭を押さえる。
「うるさいな。教えられた通りにやってるだけだなんだから、しょうがないだろ」
「知的探究心の欠片も感じられない答え。キミ、調べ物はウィキペディアで済ませて満足するタイプでしょ」
「微妙に繋がらなくない?」
てか、その一々例えるやつハマってるのか?
「キミが今作ってるのはね、なんとあの庄内式土器なんだよ」
……はあ。
「庄内式土器はね、これまで弥生Ⅴ期から布留式に直接繋がっていたと思われていた土器編年の、間隙を埋める土器として登場したの。1965年に発見場所に因んで名付けられたんだよ。弥生土器の実用性のある形状を踏襲しつつも、平底から尖底に変わっていたり、内削りでより厚みを抑えたりと、布留式土器に通じる特徴も兼ね備えているのさ。まさに弥生時代と古墳時代の端境期を象徴する、この時だけの土器だと言えるよね。それから……」
熱量が凄い。
全然止まらない。
「分かった、分かったから。ちょっと落ち着け」
未だ喋り続けるナビを制しながら、俺は再び腰を落とした。
あまり手を止めている時間はない。
俺は作業を再開した。
「え、ああ、ごめんごめん」
と言いつつも、鼻息荒く呼吸を乱しながら、目はギンギンに見開いている。
ちょっとキマっちゃってる人みたいだ。
「なんかこういうの何十年ぶりだから」
……ああ。
それを言われるとちょっと弱い。
作りかけの土器に粘土を貼り付けながら、俺は前世を振り返る。
前世の俺は邪馬台国、正確に言うと邪馬壹国と呼称されていた国で、女王・卑弥呼に仕えていた。
彼女を守る為に国の中枢で働いていた俺の心は、いつの間にかささくれ立ち、荒んでいた。
自分を押し殺して戦い続ける俺は、ナビとまともに会話する余裕さえも失っていた。
「……悪かったと思ってる」
ナビ、即ちナビゲーターであるコイツは、俺に何かを解説する時、とても活き活きとした顔をする。
俺に蘊蓄を垂れるのがナビの生き甲斐というか、アイデンティティの一つなのかもしれない。
それを奪ってしまったことで、ナビもナビで、色々溜まってたのかもな。
「やっぱりキミはこっちの方がいいね。なんかカッコつけて“私は〜、私は〜”とか言っちゃってるキミ、全然可愛げがないんだもん」
「別にカッコつけてたわけじゃ……」
「はいはい、厨二病、厨二病」
ナビは手をヒラヒラさせながら、ニヤついている。
少しでも負い目を感じたのがバカみたいだ。
昔の俺に戻ってやろうか。
と思ったが、それはちょっと難しい。
爺になってから死んだのが初めてだったから、今回初めて気付いたのだが、どうも人格は記憶だけでなく、肉体にも引っ張られるらしい。
つまり赤ん坊からやり直し、子供の姿になって過ごしている内に、俺の喋り方は若い時のものに自然と戻ってしまっていたのだ。
“役割効果ってヤツかもね”
ナビにそれを言ったら、そんな返事が返ってきた。
「お、終わったか」
ナビと話している内に、傍らの焚き火の炎が止まっていた。
泥の隙間から漏れ出ていた赤々とした輝きは消え、代わりに白い煙を立ち昇らせていた。
空を仰ぎ見ると、太陽の高さもかなり下がっていた。
「まずい、暗くなる前に終わらせないと」
俺は慌てて手の動きを早めた。
土器のベースはナビの相手をしつつも、何とか完成している。
次は成形だ。
俺は木の板で表面を撫でて均していく。
粘土紐が伸び、一本一本の境目が消えて、膨らみのある甕の形に仕上がった。
底はナビの言うように、なるべく鋭角に尖らせていく。
今度は先ほどもよりも滑らかな木の板で、もう一度表面を撫でる。
木の板には細かい刻み目があり、これが土器に特有の線模様を付ける。
そして内側。
木べらで薄く削っていく。
慣れてる人だと1〜2ミリくらいまで薄くする。
俺は精々3ミリくらいが限界だ。
「で、できた」
俺は形成の終わった土器を眺めながら呟いた。
空は橙色に焼けている。
ギリギリ夜には間に合った。
俺はその土器を、焼成前の土器が転がっている場所に一緒に並べた。
今の分を合わせて四つだ。
これでもかなり速くなったのだが、朝から夕暮れまでやってこの数だ。
「まあ、良いだろ。ノルマは達成してるし」
俺は転がっている土器を眺めながら呟き、傍にある小さな竪穴住居へと、足を踏み入れた。
中は大人二人が膝を曲げて何とか寝られる位の広さだ。
真ん中に小さな炉があり、後は粗末な筵が敷かれているだけ。
同居人はいない。
俺一人だ。
「さてさて」
炉に火を焚べて、俺は水と木の実の入った土器を置いた。
ぐつぐつと煮込まれて、次第に灰汁が出てくる。
傍らに木の棒を刺した魚を置き、それも焼いていく。
「熱ち、熱ち熱ち」
十分煮えた所で、ボロボロの麻布で手を守りながら、俺は土器を火から離した。
魚も火から遠ざけ、適当な場所に木の棒を刺して立たせる。
「頂きまーす」
言いながら手を合わせた。
これが俺の今日の食事。
というか、いつもこんなんだけど。
「持衰だった頃は、もっと良いもの食べてたのにね」
ほぼ王様のような立場だった前世の俺は、食事の用意から身の回りの世話まで、殆ど側女や奴婢の人間が行ってくれていた。
用意される食事も、当時の水準で言えば最高品質の物ばかりだった。
「良いんだよ。これが普通なんだ。まあ、確かに味気ないけどな」
俺は木の実を口に運びながら、ナビに応えた。
「今になって思い出すと信じられないよ。俺が国のトップになって、政治を行い、戦の指揮を執っていたなんてな。……戦場に出て、幾つも敵の首を刎ね飛ばしてたなんてさ」
それを思えば、質素でも不便でも、今の生活の方がずっと良い。
「本当だよ。“観測者”のキミは、本来身を守る為の最低限の戦いだけすれば良いんだよ。なのにどんどん首を突っ込んで行くもんだから、最後はあんな事に……」
ナビの顔が曇った。
照明代わりの焚火に照らされて、暗い影が却って引き立つ。
「だから、あんな事はもう止めにするって。これからは自分と、近くの人間だけを守れればそれで良いと思ってる。国がどうとかって、俺には分不相応だよ」
「そう。それでいいの」
ナビが力強く頷く。
俺の言葉で少し安心したようだ。
硬い表情が少し和らいだ。
「キミは“観測者”。ただ見てればいいの。当事者になんてなる必要ないんだから」
「分かってますって」
笑いかけながら、俺は焼いた魚に齧りついた。




