幕間④ 消えた人々の行方 壱
この回は本編との直接的な繋がりはありません。
本編で補完できなかった設定の補足となります。
だらだらと会話劇が続きます。
畳張りの、十畳ほどの和室だった。
襖は開け放されており、そこはすぐに縁側になっている。
外には庭どころか、景色と呼べるようなものは無く、ただ白い空間が果てしなく広がっている。
座布団の上に、胡座をかいて座っている。
目の前にはナビも同じような格好で、ちょこんと座っている。
彼女の背後には床の間があり、立派な掛け軸がある。
白い装束のような衣装の女性が、滝の前に立っており、そこから白い光輝のようなものが立ち昇っている。
その先には、光に包まれた天女のような姿がある。
どうでもいいが、なぜナビが上座なのか。
私の足元に置かれた盆の上には、小ぶりの徳利と、小さな丸い盃がある。
私は両手でそれぞれを掴み、徳利から盃に酒を注いだ。
束の間そこに浮かんだ波紋を眺め、私は一息に呷った。
強いだけの、粗野な味わいの普通酒だ。
だが、今はそれがいい。
無遠慮に喉を灼く酒の辛みが、私の沈鬱な思いを紛らわしてくれる。
「なに気取ってんのさ」
ナビは四合瓶を無雑作に掴むと、荒っぽく枡に注いだ。
四合瓶には“獺祭”と銘打たれている。
有名な日本酒の銘柄だ。
見たところその中でも一級品の物を選んでいる。
確か二十万以上の値の張る品の筈だ。
現実とは隔絶された超常の空間に居るとはいえ、流石に厚かまし過ぎると思った。
「てかさ、なに勝手に始めてんのよ。ほらカンパーイ」
とてもそんな気分ではない。
ナビを無視して今度はちびりと、盃の酒を嘗めた。
「つまんないのー」
鼻を鳴らしてナビは座布団の上に座り直した。
そして現実味が湧かないほどの美貌のナビが、豪快に酒を呷る。
見かけとの差のせいだろうか。
その所作にかなりの不快感と言うか、裏切られたような気分を与えられる。
それに、こんな雑な呑み方をされる酒が、不憫でならない。
「ここに来るたび、毎度毎度落ち込んでるよね。目の前でその顔見せられる私の身にもなってよ」
「別に落ち込んでなどいない。むしろ満足している。今回はちゃんと、時代を繋げられたという実感がある。それに日御子とタケルも、最後まで生き切った。きっと二人も、私と同じ気持ちだろう」
「うわ、出たよ“私”。まだそのキャラ設定でいくの」
「時代に慣れてしまったんだ。あそこで齢を重ねて、自然とこうなった」
「違うね。キミはじじいになっても厨二を拗らせ続けるイタいヤツなのさ」
好きに言えばいい。
もう私もいい歳だ。
ナビの戯言に、一々腹を立てたりはしない。
私は風吹かぬ湖面のような心持ちで、ゆっくりと酒を呑み続ける。
「そうやって余裕ぶってられるのも今の内だ」
そう言ってナビは指を鳴らした。
何を遊んでいるのか。
私と同じ年月を重ねたくせに、こいつは何も変わらない。
成長できぬ人間ほど、憐れなものはない。
そもそも人間ではないのだが。
もう一度、酒を喉に流す。
心地よい痛みが、再び私を灼く。
そう。熱く、喉を灼き。
灼き……、熱く。痛み……。
突如私は激しく咳込んだ。
喉の中に熱した鉄球を流し込んだような痛みが襲う。
何だ、急に……、酒が受け付けなく……。
「はい、どうぞ」
笑顔でナビが、水滴を纏ったグラスを差し出した。
濃い琥珀色の液体。
ウーロン茶。
俺は引ったくるようにナビからグラスを受け取り、激しく飲み干した。
ひりついた痛みはまだ治まらないが、先ほどよりはマシだ。
俺は汗をかきながら、荒い呼吸を繰り返した。
ん、ちょっと待て、“俺”?
「気付いた? 自分の身体をよく見てみて」
ナビにそう言われ、俺は先ず自分の手を眺めた。
血管が浮き、乾いて皺の増えた手は、瑞々しくきめ細かい肌に変わっていた。
その手を顔に当てると、同じく皺は無くなり、張りのある弾力が、手の平を軽く押し返してきた。
「……若返ってる」
唖然とする俺を、ナビが意地悪くニヤつきながら眺めている。
「これ、お前の仕業か」
「だってお爺ちゃんモードのキミ、絡みづらいもん」
俺の怒りなど全く効いていないように、ナビがニコリと笑い返す。
「余計なことを」
「余計なことって何だよー。若い方が良いでしょ」
「よくない。俺は重ねた時間に誇りを持っている。なんか俺いい感じだったし」
「はい言っちゃったー。それが本音ですー」
「はあ、何がだよ」
「カッコつけてただけでしょ。“私”なんてさ。何が“私”だよ。この厨二病が」
「俺以外にも使ってただろ」
「あの時代の人はいいんですー。キミのはただのキャラ付けですー」
「そんなこと……」
ああ、クソ。これ以上やってもただの水掛け論だ。
俺は怒りを堪えて座り直した。
「それに落ち込んでなんていないって言ってたけど、ホントのところはどうなのかなー?」
こいつ、まだ続けるのか。
俺は気持ちを落ち着けるため、もう一度酒……、ではなくウーロン茶を流し込んだ。
「日御子ちゃんとタケルのこと、ホントはどう思ってんのかな~」
「どうって、だからさっき言った通りで」
「もう、いいからいいから」
ナビはおもむろに立ち上がると、俺の隣に腰を落とした。
そして科をつくって、軽くもたれ掛かってきた。
「ここは、キミと私だけの世界。ふたりっきりの世界。だから曝け出して。私だけには、キミを全部見せて良いんだよ」
妙に艶っぽい声音で、耳元に囁きかける。
ナビの柔らかな身体が俺に密着する。
作り物のような完璧な美しさの少女が、艶かしくすり寄ってきている。
端から見れば垂涎ものの光景かもしれないが、俺からしたら酒臭い女に酒臭い息を浴びせられる罰ゲームでしかない。
だが、ナビの言葉自体は、俺の心を揺らした。
「日御子ちゃんへの思い。タケルへの悔恨。あるでしょ? ずっと我慢してたんだからさ、ほらほら言っちゃいなよ」
そうして、頭の中に様々な光景がフラッシュバックする。
タケルと共に戦った日々。
日御子に会った時の衝撃。
三人で過ごした時間。
丘の上で見た景色。
湖畔の思い出。
日御子の即位。
タケルの出奔。
別れ。託された思い。
別れ。届かなかった気持ち。
「うぐ。日御子……、タケル……」
若返っても酒は残っているのだろうか。
俺の涙腺が物凄い勢いで決壊していく。
一度そうなると理性ではどうしようもなく、俺は滝のように涙を流し始めた。
「うんうん。いいね、いいね。調子出てきたじゃん。やっぱりキミはそうでなくっちゃ」
ナビ……。
折角、人が踏ん切りをつけようとしていたのに。
こいつは案内人なんかじゃない。
鬼か悪魔だ。
「おま、お前、何でこんな……」
ぐすぐす泣き続けながら、俺はナビに非難の目を向けた。
「次に行く前に、一度洗い流した方がいいと思ったから。キミは、頑張り過ぎた……。頑張らせ過ぎちゃった……。ごめんね、だから一度だけ、思いっきり泣いてほしかったの」
「ナビ……」
「それにさ、キミが泣いてくれなきゃ、私一人で恥ずかしいでしょ」
するとナビは口元を歪ませて歯を食い縛った。
目元が細められ、その瞳がどんどん濡れていく。
耐えられたのは束の間だった。
ナビはくしゃくしゃの顔で、声を上げて泣き始めた。
日御子が死んだ時と同じくらい。
もしかしたらそれ以上に。
俺とナビは泣いた。
二人して子どもみたいに。
「いやー、泣いたね」
ティッシュで鼻を噛みながら、ナビが苦笑いを浮かべる。
「ごめんね、付き合わせちゃって」
「……いや、ありがとう」
どれだけ泣こうが、悲しみは消えはしない。
けど、それを無理に押し留める息苦しさからは、解放されたような気がする。
ナビはもしかしたら、俺のために一緒に泣いてくれたのかもしれない。
「……タケルの前では、カッコつけて泣けなかったからな。お前のお陰で、少しだけ楽になった気がする」
「え、何の話し?」
赤く腫らした瞳をティッシュで拭きながら、ナビが鼻声で聞き返してくる。
「俺が死ぬ前の最後の時だよ。精神世界でタケルと会っただろ」
これ以上の転生を拒絶し、永遠に止まった時の中に沈みたいと願った俺を、タケルが叱り飛ばしてくれた。
どれだけ願ったところで、この輪廻の輪から抜け出せないことは変わらない。
でもタケルのお陰で、俺はもう一度歴史と向き合おうと思えた。
「精神世界……? ねえ……、キミ大丈夫……? 妄想が捗りすぎて現実との区別がつかなくなっちゃったの?」
ドン引きである。
「いや、待て。おかしいだろ、そのリアクション。お前だってあの場にいただろ」
「私がキミの……精神世界に?」
“精神世界”と言う時に、微妙に小馬鹿にするようなニュアンスが含まれていた。
「いたよ。いたいた。最後はお前が連れ戻してくれただろ」
「知らないよ。今際の際に夢でも見たんじゃない? 走馬灯みたいにさ」
「……走馬灯?」
納得出来ない。
走馬灯なんて見たことないけど、あれはそんなんじゃなかった。
「けど、お前言ってたよな。俺の魂を取り出して、過去の人間の肉体に移してるって」
「産まれる前だったり、産まれたとしても、すぐに亡くなってしまうはずだった人にね」
ナビがさらりと補足を入れた。
「だったら、あれはタケルの魂が俺に会いに来てくれたって事じゃないのか」
「うーん……」
少し考えたあと、ナビは一口、酒で口を湿らせた。
「まず一つ。“魂”ってわたしが言ったのは、キミたちの感覚に合わせて、便宜的にそう表現したに過ぎない」
手にした枡をそっと床に置き、崩していた足を正座に組み替えた。
「人が死んでも、そのデータは物質世界の前段階の、情報世界に保存されている。宇宙の記憶ってヤツだね。そのデータ自体を、わたしはキミに魂と表現した」
「呼び方なんてどうでもいい。とにかく、そのタケルの意識が、俺の中に現れたってことだろ」
「あり得ないよ。肉体に意識データをダウンロード出来るのは、わたしのようなナビゲーターだけ。人のデータが意思を持って、他者の精神に直接干渉する事なんて不可能なの」
「そんな……」
俄には認めたくない。
けど、あの場に居たはずのナビが知らないと言うなのら、こいつの言葉が正しいのかもしれない。
嘘をついているようにも見えないし。
そしてふと、疑問が湧いた。
と言うよりも、今まで何度も気になって、その度に聞かないようにしていた事。
知るのが怖かったから……。
「あのさ、人って死んだらどうなるんだ。人の記憶は、宇宙に保存されてるって言ってたけど、それってどういう状態なんだよ。幽霊みたいなものなのか」
「幽霊か……」
ナビが顎に手を当てて考えている。
どういう間なんだ。
かなり緊張する。
やはり人は、死んだらそれまでなんだろうか。
「いない」
身体が冷えていくのが分かった。
やはり、そうか……。
俺が転生出来るのはナビのお陰であり、特例に過ぎないのか。
「……とも言えるし、いるとも言えるかな……」
目を瞑って眉間に皺を寄せ、絞り出すようにそう言った。
「何だそれ、どっちだよ」
「まあ、解釈の仕方によるのかな」
「詳しく」
俺は座ったまま手を床につき、身を乗り出した。
「はー、何で“いない”って言い切らなかったんだろ。わたしってダメだなー」
溜息をつきながら、何やら自分を責め始めた。
そして、ちらりと横目で俺を見やった。
「あんまり期待しないでよ……?」
そう前置きすると、芝居がかった調子で軽い咳払いをした。




