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倭国大乱 観測者は全ての歴史を見届ける  作者: 明石
第三章 倭国大乱・弥生時代終焉

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第百八十三話 エピローグ 弐

「張先生。それになっしー」


居館に通され、広間の仕切り布を上げると、台与が嬉しそうな声を上げ、走り寄ってきた。


「あ……」


難升米なしめは悪い予感がしたが、声を上げる間に台与は躓いた。

転ぶ。

そう思ったが直前で張政が間に合い、柔らかく台与を抱きとめた。

肩に手を置いたまま、優しく台与を立たせた。


その手慣れた所作の中に、彼女と張政が重ねた時間の長さと、確かな絆のような物を感じた。


「ありがと、張先生」


「いえ」


一つ笑って見せ、懲りずに台与は駆け出した。

また転ばれては敵わないので、彼女を迎えるように歩み寄った。


今度は無事に辿り着いたが、勢いよく難升米に抱きつき、思い切り懐に顔を埋めた。


少女らしい陽だまりのような匂いと、巫女に相応しい、艶やかな香木の薫りが混ざり合い、難升米の鼻をくすぐった。


「なっしー、なっしー。久しぶりだね」


懐から顔を上げ、輝く瞳で難升米を見つめる。

陰鬱な気持ちが解されていくのがわかる。

だが、これほどに美しく眩しい女王の尊顔を間近で拝するのに、畏れ多さの方が勝る。

難升米は思わず、自分の懐ではしゃぎ回る台与の身体を引き離した。


「お、お止めください女王。御子王みこのおうたるお立場の方が、軽々しく男子おのこに近づくものではありません」


「まだ女王じゃないもーん」


「即位式はまだですが、貴女はもう女王です」


そう言って顔を逸らしながら、難升米は一歩後ずさった。


「……そっか、そうだよね」


先ほどまでの太陽のような顔は急に曇り、台与は目を伏せてしまった。


「わたしは、もう女王なんだもんね……。即位式の前に、最後に一度だけ、今までのように難升米たちと話したかったのだけど……」


悲しみを無理矢理押し殺すような小さな笑みを浮かべ、台与が呟く。

普段の明るい彼女との差が激しく、より一層悲痛な印象を受ける。


考えてみれば、台与はまだ十三なのだ。

あの日御子でさえ、即位した時は二十だったという。

孤独な役目を負うのに、台与はまだ幼すぎる。


自分はそんな台与の気持ちも考えず、冷たく当たってしまった。

一気に後悔の念に苛まれる。


「難升米、私の自覚が足りませんでした。許して下さい……」


たおやかに、台与が頭を下げた。

まるで大人のようなその態度が台与に似つかわしくなく、難升米の胸はまたも痛んだ。


「じょ、女王。いえ、台与様。そのようなお顔をなさらないで下さい。間違っていたのは私の方です。即位式までは、今までのようにお振る舞い下さい。ほ、ほら、いつものように、“なっしー”とお呼び下さい……」


慌てて腰を低くし、頭を下げた台与の顔を覗き込みながら、難升米は呼びかけた。


すると台与は次第に肩を震わせ始めた。

いよいよ泣き出すのか。

難升米は生きた心地がしなかった。


だが予想に反し、台与は顔を上げると、腹を抱えて笑い出した。


「な、なっしー。すっごい焦ってやんの。可愛いー。おもしろー」


「と、台与様……」


呆気に取られていると、その顔がまた可笑しいらしく、余計に台与は笑い転げた。


「一杯喰わされたな、難升米」


声の方に顔を向けると、難升米の旧友である掖邪狗えきやくが座り込んでいた。


「お、お前。なぜ……」


謹慎させられているはずだろ。

続け様に心を掻き乱され、後の言葉が出てこなかった。


全ての暴走は穂北彦ほきたひこ王の独断であり、掖邪狗らは従わされたに過ぎない。

穂北彦一人が泥を被ることで従軍した兵らを不問に付し、事態は収束を迎えた。


だが、天照軍の長である掖邪狗まで無罪放免というわけにはいかなかった。彼は連合国内での身分を剥奪され、長の任を解かれる。


さらに、天照軍そのものの存在意義も激しく揺らいだ。


“女王は連合国全体で守るべきであり、特定の私兵は不要。むしろ今回のように悪用される恐れがある”


この名分が諸国の賛同を集め、五十年近く女王を守り続けてきた守護兵はついに解体を余儀なくされた。


位と使命、そのすべてを失った掖邪狗は、邪馬壹国やまいこくへの逗留という名の蟄居ちっきょを言い渡されるのだった。


そんな掖邪狗が、何故ここにいるのか。


「わたしが呼んだの」


「台与様が」


いや、よくよく考えればそれ以外にないだろう。

いくら掖邪狗が面の皮の厚い、無知で非常識で物事に対する配慮に欠けた男でも、女王の居館に勝手に踏み入るほど阿呆ではない。

と思いたい。


「台与様、一体何をお考えなのですか。今は微妙な時期なのですよ。諸国の王と有力者、民の一人一人に至るまで、皆が新女王の誕生を心待ちにしております。連合の、いえ、この倭国の遍く国々に、救いを齎して下さるお方だと。ゆえに貴女様の振る舞いには、誰もが神経を尖らせているのです」


思わず難升米は、台与に詰め寄りながら激しく捲し立てた。


「ちょっとなっしー、唾が飛ぶ」


いやいやしながら、難升米が近づいた分だけ、台与が後ずさる。

難升米はそんなことなど一顧だにせず、尚も詰め寄っていく。

いよいよ台与は壁際までに追い込まれた。


「良いですか台与様。だからこそ貴女は、公平に物事をお考えにならねばならない。それを何ですか、謹慎中の掖邪狗を屋敷に招くなど。これが諸王に知られたらどう思われますか。“やはり新女王は、出生国の邪馬壹国の人間を贔屓にするのか”。こうですよ。お分かりになりますか。日御子様と持衰様は、その辺りのことに特に気を配っておいででした。ただでさえ邪馬壹国は、かつて“船の民”と呼ばれた漢出身の者たちの齎した進んだ技術力により、諸国よりも大きな力を持っていた。しかも、連合の重臣たちは邪馬壹国出身者が半数以上だ。加えて女王の生国ともなれば、どうしても邪馬壹国を警戒せざるを得ない。なのに邪馬壹国出身の掖邪狗を、女王のご一存で放免とすれば、諸国から得る反感は計り知れません。即位前のこの大事な時に、貴女はよくもまあ……」


「あー、もう。煩いし、汚いし、ながーい」


台与は遂に耐え切れず、耳を塞ぎながら難升米の脇をすり抜けた。


「助けて、張せんせー」


そして座って眺めていた張政の元まで走ると、その背中の後ろに隠れてしまった。


「張政殿を頼っても無駄です。寧ろ、張政殿こそお怒りでしょう。貴女は張政殿から、中華の歴史についても学ばれたはずだ。国を滅ぼした多くの王のことも。“天下は一人の天下に非ず、乃ち天下の天下なり”ですぞ。これでは何のために、わざわざ張政殿が倭国に留まって下さったのか、分かり申さぬ」


幼き頃から、難升米は持衰から武技や兵法の手ほどきを受けた。

今の言葉も、その中の一つだ。

同じように、台与も張政から学んでいるはずだ。


「張先生はなっしーみたいに怒ったりしないもん。それにやっくんを呼んでも良いって言ったのは、張先生なんだからね」


「ああ……台与様。天上より我らを見守りし日御子様と持衰様は、さぞお嘆きのことでしょう。神に仕えし御子王みこのおうが、あろうことか嘘をおつきになるとは」


「嘘じゃないもん」


「張政殿が、そのような愚かな真似をお許しになるはずがないでしょう」



額に手を当て、天を仰ぎながら、難升米は嘆いた。


「ああ、いや、難升米殿……。台与様の仰っていることは本当なのです」


「お止めください張政殿。庇っても台与様の為になりません。思えば日御子様も持衰様も、台与様に甘すぎました。重い責務を負わせることを、憐れにお思いになられていたが故でしょう。ですが、子供は甘やかすばかりではいけません。時に厳しく接することも、その子に対する思いやりなのです」


「子供じゃないもん。なっしーのバカ」


「そのような物言いをしている内は、貴女はまだまだ子供です」


「あ、いや。難升米殿」


張政が立ち上がり、暴れ馬を鎮めるかの如く、難升米に両掌を見せて軽く振った。


「真なのです。真に私が、掖邪狗殿をご召喚して頂いたのです」


「まだ仰りますか。……ならば問いましょう。なぜ、張政殿が掖邪狗を呼び寄せさせたのですか」


台与を庇うための出任せなら、絶対に看破してみせる。

張政の心意を見極めようと、探るような眼差しを向けた。


「ええ。実は私を魏に送り届けて頂くお役目を、掖邪狗殿にお願いしました。そのために、こちらまでご足労頂いたのです」


「なん……ですと……」


「そうそう。俺がいるのはそういう理由わけなんだぜ、なっしー」


指を鳴らして、掖邪狗が難升米を指差した。


「なっしー言うな」


「私をお送り頂くのならば、一度魏へ朝貢にお見えになられた方のほうが、勝手もいいし安心できます」


多少、難升米の興奮が落ち着いたためか、張政も常の笑顔を取り戻して、語りかけてきた。


「そ、それはそうですが、朝貢を経験した者は、他にいくらでもいるでしょう」


不弥国ふみこく伊声耆いせいぎ、大和との仲介役の載斯烏越さしあえ。それに難升米自身も。


「あ……」


「お気づきですか」


動ける者がいない。

穂北彦王の暴挙。吉備と大和の動乱。新女王即位。

これらが重なり、連合国内は強い政治的緊張状態にある。

早くても一年近くは帰ってこれない航海に乗り出せる有力者など、今の連合国にはいない。

もちろん、難升米もだ。


「分かっただろ。みんな忙しいんだよ」


口の端を憎たらしく吊り上げながら、掖邪狗も立ち上がった。


「つまりさ、いまヒマしてるこの俺が、今回は適役ってことなんだよ」


白い歯を見せながら、掖邪狗が親指で自身を差した。


「そ、それはそうかもしれんが……」


「なんだよ、まだなんかあんのか」


「お前は位も任も失った。今はただの民の一人だ。そんな男を、大魏への遣いに選べるわけがないだろう」


「それは、()()()()()()()ですな」


張政が割って入った。

疑問を口にする前に、難升米はすぐにその意を理解した。


「そうか、そう言う事ですか……」


この件に関しては、張政が一枚上手だったようだ。

難升米は観念して吐息を漏らした。


「掖邪狗が賜った率善中郎将の位。これだけは、倭国が独断で取り上げることは出来ない」


張政は破顔して、満足そうに頷いた。


「左様。なぜならば、率善中郎将は天子より与えられし称号。それを取り上げれば、天子への背信行為となります」


「つまり掖邪狗は、まだ率善中郎将のままだ。しかも他でもない、魏の使いである張政殿たっての希望だ。倭国は、その言い分を受け入れざるを得ない」


そして、再び魏への遣使となった掖邪狗の立場は、なし崩し的に復活することだろう。


「分かったでしょ、なっしー。だからやっくんがここに居るのは、な~んにも問題無いんだよ。ていうか女王を疑うなんて、なっしーの方こそ無礼だよ。背信行為だよ」


「ぐぐ……」


返す言葉が無い。

動揺を悟らせぬよう、奥歯を噛み締めて平静を装う事しか出来なかった。


調子づいた台与は張政の背後から出てきて、小さな背を精一杯仰け反らせた。


「ていうかさ。なっしーは口数が多い上に、話しが長いんだよ。やっくんの話題だけで、どんだけ話せば気が済むんだよ」


今度は頬を膨らませながら、難升米に指を突き出した。

だが、掖邪狗の件を前もって話してくれなかった、台与たちにも非があると思うのだが。


それを言えばまた長くなりそうなので、声に出すのは不本意ながら堪えることにした。


「全くさー、まだ本題にも入ってないよ。本当だったら、もうとっくに話し終わってるはずなのに」


次は地団駄だ。

小柄で華奢な台与が床を踏み鳴らしても、大した音は立たないが。


「え、まだ続くんですか」


「続くよ」


台与の叫び声が、屋敷中に響き渡った。



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