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倭国大乱 観測者は全ての歴史を見届ける  作者: 明石
第三章 倭国大乱・弥生時代終焉

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第百七十九話 止まる世界

馬に跨った瞬間、身体の虚脱感はどこかへと消えていった。

寧ろ、このまま何時までも戦い続けられるような。そんな万能感のようなものに包まれている。


それが長く続くものではないことを、私は理解しているが。


「捕えた三人は解放してやれ」


兵の一人にそう告げた。


「戦には間に合わん。逃がしたところで、何の影響もない」


「承知しました」


これから狗奴国の兵を何人も殺めるというのに、捕虜の命を助けて何になるのか。

兵の背中を見送りながら、私は自嘲した。


「全兵、配置につきました」


入れ替わりに、掖邪狗が報告に現れた。


「この戦いが最後だ、掖邪狗」


「狙うは狗古智卑狗くこちひこの首ですね。でも、狗奴健くなたける王は、いいんですか」


「奴も斬るさ。奴だけじゃない、今私たちの前にいる狗奴の者たちは、誰一人残さず殺し尽くす。向こう十五年は、戦など起こせぬようにな」


「十五年……。なんで、十五年なんですか」


「私がまた戦える齢になるまで、最低でもそれだけかかるだろ」


持衰じさい様……?」


掖邪狗の表情に、困惑と驚愕が浮かぶ。

じじいがとうとう耄碌もうろくした。

そんな風にでも思っているのだろう。


「持衰様、やっぱり指揮は俺が……」


「掖邪狗、先ずは天照軍が騎馬を蹴散らし、敵本隊に穴を空ける。狗古智卑狗の首を真っ直ぐに狙う。その後、天照軍は撤退。入れ替わりに歩兵で攻め立てろ。完全に狗奴国軍を叩き潰せ」


掖邪狗を遮るように、私はそう捲し立てた。

思わずといった様子で、掖邪狗が口を噤んだ。


「いいか。お前が動くのは、我々が戻り始めた時だ。それまでは、何があっても動くな。何があってもだぞ」


「持衰様、まさか……」


兵の耳がある。

流石に掖邪狗は、その後の言葉を呑み込んだ。


「勘違いするな。天照軍は必ず無事に帰す。だから早まるなということだ。少ない命を守るために、全ての兵を殺すわけにはいかない。これは戦だ」


「わかりました……」


「その後は全軍で連合国領まで撤退しろ。軍が消えた狗奴国領を押さえようなどと、余計なことも考えなくていい」


「はい」


「ではな、掖邪狗。難升米なしめたちに宜しく伝えてくれ。後は任せたぞ」


「持衰様、何を……」


振り切るように、私は馬腹を蹴った。

丘の斜面を駆け下り、騎馬隊の速度が乗る。


「いいか、迅速な撤退が重要となる。私の合図が出たら、直ぐに馬を返せ。何があっても引き返すなよ。自身が生き残ることを優先しろ」


疾駆しながら、天照軍の兵たちに叫んだ。

兵たちがそれぞれに相槌を打つ。


狗奴国軍は飽くまで待ちの姿勢だった。

四百ずつを丘の左右に配し、残りの八百の歩兵、八十の騎馬隊は丘上に待機している。


どこから攻めても、逆落としにかけられるだろう。


構わず、正面から向かった。

左右の狗奴国軍が両側から挟み込もうとしてきたが、私たちはそれよりも速く、丘の斜面を駆け登り始めた。


狗奴国の歩兵隊が逆落としを仕掛けてきた。

包み込むように、斜面一杯に並んでいる。

しかし厚みもある。


私は神経を研ぎ澄ませた。

急速に、時の流れが緩やかになる。

観測者を保護するために、私に与えられた力。

動体視力と反応速度が、格段に向上する。


武の才に恵まれない“観測者”が、最低限生き残るための救済措置。

絶対的な力の差のある人間や、人の力ではどうしようもない状況では通じはしない。

本来ならば。


手綱を操り、自分と、天照軍の進む先を調節した。

隊列は一直線に並べた。

目の前の視界を、狗奴の兵が覆う。

傾斜を利用して、物凄い速さで駆け下っているはずなのに、まるで歩いているように見える。


人も馬も、私自身の動きさえも、あり得ないほど緩慢だ。


敵兵は壁のように密集しているが、人と人だ。

最前線の敵の並びを観察し、最も間隙の広がった瞬間を狙って馬を滑りこませた。


敵兵の顔が見える。

呆気に取られている者、恐怖に歪む者、殺意を剥き出しにする者。

その全ての表情を、私は認識出来ている。


どの人間よりも素早く、私は剣を突き出した。

喉笛、心臓、急所を貫き、時に首を刎ねる。


矛。

左右。

同時に。

同時ではない。

左、右。

僅かなズレがある。

速く届く方から、弾いた。


後ろに付いた兵たちが、止めを差していく。


抜けた。

頂きが視える。

狗奴健。

待っている。

我々を引きつけ、逆落としを仕掛ける。


「反転」


天照軍の列が全て抜け出る前に、私は馬首を返した。

弧を描きながら、再び天照軍が敵の後方に向かっていく。


その刹那、丘の左右にいた狗奴国兵たちが、中央に動き始めたのを、私は見た。


飛び込んだ。

今度は半ば、こちらが逆落としになっている。


敵は反転せず、そのまま丘の麓へ向かって走っている。

麓の兵たちと合流するつもりだ。


「丘の下に控えていた敵が待ち構えている。合流される前に突き破れ」


傾斜でつけた勢いのまま、敵の背を馬で踏みつぶしながら進んでいく。

手の届く敵は、背中を突き刺す。

そうしながら、私は馬を走らせた。


その後ろを、天照軍が一列についてくる。

兵たちは、ただ駆けることを優先している。

それでいい。


駆けながら、ゆっくりと周囲を見渡す。

人とは違う時の流れに、今の私はいる。


丘上の狗奴健が、左右に剣を振り、突き出した。

少しだけ、私は馬脚を落とした。


抜けた。

もう目の前には、麓の敵が並んでいる。


逆茂木。

用意がいい。

そして判断も早い。

狗奴健の指示。


天照軍は間に合わない。

槍のような壁の穂先に、自ら刺し貫かれるしかない。


一瞬の間。

充分な時間だ。


「私を追うな。真っ直ぐ走れ」


手綱で叩き、腹を蹴った。

合図は出していない。

私一人が、先行している。


今の進行方向から馬体一つ分、右にずらした。


槍の壁。

私が狗奴国に対して、タケルに対して幾度となく仕掛けた罠。


あいつは、馬と飛んだな。

ならば私も、それに倣おう。


逆茂木に、馬が吸われる。

徐々に、徐々に、鋭い先端が馬の肉体にめり込んでいく。

貫通した、朱く濡れた穂先の一つが、私の頭部をも串刺しにしようと迫ってくる。


「すまん」


馬の背を踏み、私は跳躍した。

目の前の逆茂木の一つを掴み、空中で方向を左へ変えた。


逆茂木を支える兵の一人の顔を、蹴り飛ばして着地した。

反応しきれていない残りの兵も斬り伏せた。

逆茂木を掴み上げ、投げ飛ばす。


そこへ天照軍の騎馬が顔を出した。

兵の手を掴み、その後ろに跳び乗った。


歩兵の群れを、完全に抜けた。

馬は一頭失ったが、まだ一人の犠牲も出していない。


「だがタケルと比べて、何とも不恰好だな」


兵の背に隠れ、自分の滑稽さを笑った。


「お前もそう思わないか、狗奴健」


思い切り、剣を振った。

熱い火花が散り、衝撃が響く。


いつもの狂気染みた笑いを浮かべた狗奴健が、私の前にいた。

勢いに耐えられず、兵と馬ともども、私は地に投げ出された。


天照軍の鼻先を、狗奴国の騎馬隊が走り抜ける。


横倒しになった馬は、脚をばたつかせながらもがき苦しんでいる。

左前脚が、異様な形に折れ曲がっていた。


私は首筋に剣を吸い込ませた。

何度か痙攣を繰り返し、絶命した。


天照軍が先に引き返してきた。

守るように、私を取り囲む。


兵の一人から馬を譲り受け、再び馬上についた。


「お前たち二人は掖邪狗に合流しろ」


頷き、兵が駆け出した。

反転した狗奴健が再び迫ってきていた。

二人の兵には見向きもしていない。

ただ、私の首を狙っている。


「お前とも、ここまでにしよう」


駆けた。

狗奴健。

鋼のような人馬が一つとなり、鉄塊となって私に迫る。


咆哮が、大気を切り裂く。

剣と剣。

噛み合い、耳を劈くような、高音が爆ぜる。


馳せ違った。

反転する。

お互いの軍が、自身の身体のように動いている。

ただ一つの存在となる。


私と狗奴健。

一騎と一騎の戦い。


もう一度、両頭を突き合わせる。

狗奴健の牙。

私を襲う。

鉄さえも、噛み砕くだろう。


だが、遅い。

馬首を僅かに傾けた。

状態を逸らす。


狗奴健の牙は、空を喰らった。


斬り上げた。

首が覗く。


一閃。

タケルの息子。

似ている。

面影。


狗奴健。

“自分の名は、息子に渡した”


タケルはそう言っていた。

照れ臭そうな声で。

少しだけ、嬉しそうな顔で。


それを、殺す。

私が。


刃を振り抜け。

それで終わる。

もう終わらせたい。


緩慢な時間。

私だけがそこにいる。


誰かが、その時間に割り込んだ。


狗奴健の剣。

私の軌道を遮った。

弾けた剣を、素早く返した。


狗奴健の右肩から胸板にかけて、朱い線を刻んだ。


駆け抜けた。

後方で、重く響く音。

狗奴健。

落馬した。


狗奴の騎馬隊は脚を止め、自分たちの王を抱き起こす。


観測者の力。

それを抑え込んでいる。

許昌の乱の時ほどの力は、まだ出してはいない。

年老いた身体でそれを行えば、私はすぐに死ぬだろう。


狗奴健が生きる余地が、そこに出来た。


今引き返せば、止めを刺せる。


僅かな逡巡。

そして地響き。


狗奴の歩兵隊。

向かってきている。

王を救いに。


馬首を返した。

歩兵に向けて。


「横に広がれ。蹂躙しろ」


隊列も何もない。

遮二無二突っ込んできている。


敵を観る。

正面に千と少し。

丘上に五百。

そこに、狗古智卑狗くこちひこがいる。


横並びになった天照軍が津波の如く、狗奴国軍を流し潰す。


鉄の刃が、易々と皮甲を裂き、青銅の矛を折る。

鉄と馬の荒波の中に、次々と敵兵が沈んでいく。

歩兵の軍を抜けた頃には、天照軍は敵の血で、朱い波濤と成り果てていた。


正面の丘を再び登る。

馬も兵も、限界を超えている。

そんなものを忘れたように、駆け、戦っている。


だがあと僅かの間に、それも続かなくなるだろう。


頂上の五百。

泰然と、こちらを眺めている。

いつ、逆落としを仕掛けてくるのか。

動かない。

半分以上、丘を登った。

動かない。

あと数歩。


「反転」


叫んだ。

逆茂木と、弓。

逆落としは無い。


騎馬が左右に別れながら、引き返していく。

ただ一人を除いて。


真っ直ぐに、私は頂上へ駆ける。

狗奴の鏃の全てが、私に向く。


青銅の雨が降った。

私だけに、降り注いでくる。


その時。

雨が、止まった。

世界が私を置いて、静止した。


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