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倭国大乱 観測者は全ての歴史を見届ける  作者: 明石
第三章

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第百七十四話 岩楯の丘

鬼山の山頂は、一見すると静かだった。

だが、麓からも見える物見櫓では、何人もの兵たちが立ち替わりに姿を現していた。


目の前の丘の上に突如現れた岩楯の列は、確実に敵に動揺を与えている。


ここでもう一つ揺さぶりをかける。

五十狭芹彦いさせりひこは部下の犬飼健を呼びつけた。


「犬、連合国軍を西へ回したい」


「承知しました。適当に掻き乱して来ます。百名をお借りしても?」


「二百を連れて行け。それなりに本気だと思わせろ」


頷き、犬こと犬飼健いぬかいたけるが立ち去っていった。


連合国軍は五十狭芹彦が築いた岩楯の丘の後方に隠れている。

合図をすれば、一挙に丘を回り込んで進軍する。


鬨の声が上がった。

犬飼健が、わざとらしく兵にやらせているのだろう。


地響きが大気を震わせた。

落石の予兆。


犬飼健たちは、すぐさま後方に向きを変え、岩楯の丘へと走り出した。


全力で進んでいるように見えて、実は重心は後ろに乗っている。

犬飼健が得意とする技だ。

五十狭芹彦の管理する集落の、多くの者たちにも伝授してある。


丘を駆け上がり、楯岩の内側に滑り込む。

後を追うように岩石が転がってきたが、丘の傾斜を登りきれず、途上で転げ落ちていった。


「ここだな」


五十狭芹彦は剣を振り上げた。

それを合図に、後方にいた伊声耆が進軍を開始した。

連合国軍は六百足らずだった。

五十狭芹彦が到着する前に、温羅が全軍で攻めて来れば危うかったかもしれない。


鬼山きのやまの地の利と、武埴安彦たけはにやすひこの援軍への期待が、その選択肢を失わせた。


連合国軍が崖下に辿り着いた。

続け様の落石はない。

だが、警戒すべき物はまだある。


「山頂へ向かって矢を射かけろ。敵の注意をこちらへ引け」


兵たちが岩の盾から顔を出し、山頂へ向かって弓を打つ。


味方の一人の頭部が弾かれた。

頭蓋が砕ける嫌な音を立て、そのまま仰向けに倒れた。

額には拳大の石がめり込んでいる。


――投石紐


手首に巻いた紐状の布を、同じ手に持ち、紐の真ん中に石を据える。

頭上で何度も振り回し、勢いがついた所で手を放す。


普通に投げるよりも、遥かな飛距離と威力を生じさせることができる。

前時代的な戦法だが、人を殺す力は十分にある。

何より調達が容易だ。


鉄の供給を断たれた温羅たちにとって、これほど有用な攻撃手段はない。


鬼山から次々と投石が降り注ぐ。

岩の盾に打ち付けられる飛礫は、まるで豪雨のようだ。


五十狭芹彦は自分へと飛来する投石を射ち落とし、すぐさま二の矢を番えた。

素早く、だが限界まで弦を引き絞る。

へし折れそうなほど軋んだ弓を解き放った。


閃光の如き矢が、遥か頭上の敵の眉間を貫いた。


五十狭芹彦の放ったその一矢が、投石の雨を一瞬だけ止めた。

山頂の兵が崩れ落ちるのを見た敵軍の中に、確かな戦慄が走ったのを、五十狭芹彦は見逃さなかった。


「石の雨に怯むな。伊声耆殿をお守りしろ。身命を賭して、弓を引き続けろ」


五十狭芹彦の叱咤が丘に響き渡った。

降り注ぐ飛礫つぶては、岩楯が撥ね返してくれる。

兵たちは交互に顔を出しては、山頂の影を射抜いていく。


一方、崖下の伊声耆たちは、もう間もなく麓の影に消えようとしていた。


もう一押しだ。

五十狭芹彦は岩楯に頼らず、石の飛礫を矢で射ち落とし続ける。

更に上回る速度で、山頂の敵へ矢を突き立てていく。


その五十狭芹彦の矢が、寧ろ弾かれてしまった。


二矢、三矢。


その全ても、正確に飛礫に叩き落とされてしまう。

偶然ではない。

明らかに、五十狭芹彦の矢に狙いを定めている。


可能なのか、そんな事が。

投石紐は振り回して勢いをつける分、放つまでに時間がいる。

五十狭芹彦の矢の連射に、ついてこられるわけがない。


四の矢。

弾かれる。

だが、見えた。


その男だけが、投石紐に頼っていない。

ただ、投げている。

己の肉体の力だけで、他の兵の誰よりも、強く、速く、遠く、石を投げ続けている。


「吉備の鬼。その異名は伊達ではないな」


他の人間よりも、頭一つは大きい。

遠目からでも、異様に盛り上がった筋肉が、石を放つ度に躍動しているのがわかる。


あれが温羅だ。


どれだけ素早く矢を放とうとも、温羅はその速さについてくる。

それどころか、徐々に五十狭芹彦を上回ってきていた。


五十狭芹彦は反射的に弓を投げ捨て、剣を抜き放った。

直後に響く甲高い摩擦音。

五十狭芹彦の左右の足下には、真っ二つになった石の両片が、地に突き刺さっていた。


真横に飛び、転がった。

寸分の間で、五十狭芹彦のいた場所に、流星の如き投石が突き立った。


五十狭芹彦は岩楯を背に、地に腰をつけた。


「五十狭芹彦様、お怪我は」


隣の岩楯から、犬飼健が叫んだ。


「大事ない。だが、流石に肝が冷えたぞ」


犬飼健が投げ渡した弓を掴みながら、五十狭芹彦は笑みを作った。


「それは私たちもですよ。あまり無茶はしないで下さい」


「だがその甲斐はあったようだぞ」


西方の山奥から、騒ぎ声が聴こえる。

剣を打ち鳴らす音も。


伊声耆の別働隊が、糧道の守備隊に届いたようだ。


「ここが転機だ。猿、伊声耆殿の援護に回れ」


「待ってました」


樂々森彦が三百名の兵を率いて、丘を駆け下っていく。

先程よりも投石の妨害が弱い。


数名に命中したようだが、殆どの兵が山の中へ消えていった。


「犬、後を任せる」


「承知しました」


「これ以上の無理はしなくていい。兵の命を優先しながら、適当に牽制を続けろ」


「ご武運を、五十狭芹彦様」


頷き、岩楯から飛び出した。

樂々森彦とは逆側、東へと足を向ける。


「鳥、案内しろ」


「はい」


留玉彦が五十狭芹彦の前に立ち、先導を始めた。

すぐに飛礫が向かってくる。


避けきれない石だけを、剣で叩き落とした。

柄を握る手が、強く痺れる。

間違いなく温羅が放ったものだ。


狙いを五十狭芹彦に絞っているようだ。


「五十狭芹彦様」


留玉彦が脚を止め、五十狭芹彦を振り返った。


「止まるな」


跳躍した。

留玉彦を突き飛ばしながら、彼を襲ってきた温羅の飛礫を、五十狭芹彦は弾いた。


「走り続けろ。俺に構うな」


「申し訳ございません」


すぐに起き上がり、留玉彦が駆け出した。

飛礫から己と留玉彦を庇いながら、五十狭芹彦も後に続く。


森の深くへ入り込むと、飛礫の雨も止んだ。


更に走り森を抜けると、鬼山の東に流れる川へと行き当たった。

川岸に沿って、北へと向きを変えた。


「退却路や舟は見当たりませんでしたが、落ち延びるとしたら、この川を利用するはずです」


留玉彦の言う通り、男たちの喧騒が響いてきた。

鬼山の砦は放棄したのだろう。


撤退するところを、五十狭芹彦が潜ませた兵たちが襲っているのだ。


「良くやった、留玉彦」


「いえ、西の糧道以外に、必ず山頂に通じる道がある。五十狭芹彦様の読みが当たったまでです」


留玉彦が影のように五十狭芹彦の後方へと下がった。

森を抜け、川岸に出た五十狭芹彦の目に、乱戦の光景が飛び込んできた。


温羅の残党二百ほどが、五十狭芹彦が潜ませていた兵二百と、川の浅瀬でもつれ合っている。

意表を突かれた温羅勢は劣勢だが、かなり手を焼かされているように見える。

戦いの中心部にいる温羅の周りだけ、次々と兵が吹き飛ばされている。

あの男一人の働きで、残党たちは踏み止まっていた。


得物は投石紐と、それに括りつけた大岩だった。

一抱えもあろうかという大岩を、自由自在に振り回している。


重い風切り音と、肉と骨が潰れる嫌な響きが、戦場を覆っている。


「温羅。大和軍の長、五十狭芹彦だ」


戦場に裂帛の気合を叩きつけた。その声に、温羅の兵たちが一瞬動きを止める。逆に、大和の兵たちは勝鬨を上げた。


温羅も五十狭芹彦に気づいた。

鬼山の山頂から、己の矢を全て投石で叩き落とした、吉備の“鬼”が、とうとう目の前に現れた。


「道を空けろ。温羅には手を出すな」


これ以上、兵たちに温羅の相手をさせるわけにはいかない。

いたずらに死人が増えるだけだ。


温羅自身も、五十狭芹彦に気づいた瞬間、他の者には目もくれずに向かってきた。

お互いが駆け寄りながら、距離を詰めていく。


五十狭芹彦は腰に提げた皮の鞘から、剣を抜き放った。

柄を握る手に、力が籠る。


出来ることならば、斬らずに捕らえたい。

この男は領民に慕われている。

里の周囲を見回った、伊声耆と留玉彦が、それを感じ取っていた。


だが捕えたところで、この男が膝を屈するだろうか。


温羅の間合いが近づく。

十歩。五歩。


迷いを捨てた。

従わなければ、躊躇わずに斬る。


温羅が振り回す大岩の風切り音が、重低音を響かせて空気を圧迫する。

五十狭芹彦の身体を、大岩の陰が覆った。

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