第百七十三話 動く巨岩
吉備の内海の沿岸は、ほぼ山の麓となっており、平地は少なかった。
沿岸部にある、吉備の中山の頂上に、連合国の伊声耆という男が布陣している。
五十狭芹彦もそこに合流した。
山の頂上だけに全体が良く見渡せるが、中山はそれほど標高はない。
北西に聳える鬼山からは、遥か高みから見下ろされる形になっていた。
「遅参をお詫びします。大和国王、御眞木彦の血族、五十狭芹彦です」
「以前、お会いしましたね。筑紫連合が一国、不弥国の伊声耆です」
合流した伊声耆は生真面目そうだが、意思の強い目をした男だった。
二年前、連合国に加勢して狗奴国と戦った時、僅かの間、この伊声耆が総指揮官だった。
あまり話す機会はなかったが、冷静で粘り強い戦に、好感を抱いたものだった。
「それで、五十狭芹彦殿。現状は、周囲の里や山から、少しずつ温羅のもとに人が集まってきています。確かな総数は掴めていませんが、千は越えているかと」
合流した伊声耆から、状況を知らされる。
本格的な戦いは五十狭芹彦と合流してからと、筑紫から指示を受けていたらしい。
五十狭芹彦としてもありがたかった。
土地勘のない場所だ。
先ずはじっくりと腰を据えたかった。
「内心、大和に反感を抱いている人間が、それだけいたという事でしょうか」
「全てがそうではありません、五十狭芹彦殿。温羅という男、意外と民たちに慕われているようです。大和がどうとではなく、温羅を助ける為に、集まっている者も少なくないようです」
「なるほど、厄介だな」
温羅を討ち取っても、禍根が残ると言うことだ。
祭祀と交易の力で、基盤を増している大和からしたら、力で抑えつけるような統治は出来ない。
御眞木彦は、大和に加盟しなければ、国が立ち行かなくなる状況を作り上げ、なし崩し的に陣営に取り込む事も厭わない。
温羅を討った事で買う不興は、莫大な財の力で補填しようとするだろう。
だからあの王は、温羅を討ち取ることに大して問題意識は持たないだろう。
だがなるべくなら、民の心に沿いたかった。
「投降を呼び掛けるのはどうでしょう。兵が増えるのは、益ばかりではありません。包囲して糧道を断てば、すぐに飢渇するはずです」
「私も同じ考えです」
同意を示した伊声耆は、近くの兵に声をかけた。
すぐに木板が持ってこられた。
木板には刀子で刻まれた溝があり、所々には土も盛られている。
この辺りの地形図だろう。
溝は川や道。
土は山を表している。
「鬼山の周囲は急峻です。特に南側、つまり我らの正面は切り立った崖になっており、登るのは不可能でしょう。唯一通じる道が、西側に伸びるこの道です」
伊声耆が木板を指し示した。
鬼山に見立てた盛り土から、二本の線が伸ばされている。
「ここさえ抑えられれば、温羅の糧道は絶たれるわけか。軍を集中させられますな」
「はい。ですがそれは向こうも同じです。西側の道を守るために、八百の兵が駐留しています」
伊声耆が小石を置いた。
これが敵軍ということだろう。
「この敵兵ですが、妙な違和感があります。寄せ集めの軍勢にしては、統率が取れ過ぎているのです」
「狗奴国軍、でしょうな」
「五十狭芹彦殿も、そう思われますか」
苦虫を噛み潰したように、伊声耆が顔を歪めた。
驚きはない。
倭国で軍と呼べるような相手は、狗奴国以外に考えられない。
どこかで、それを予感していたのだろう。
五十狭芹彦は伊声耆に、吾田媛から聞き出した情報を伝えた。
「温羅と武埴安彦が通じているであろうとは、我々も予測していましたが。まさかそれを仕組んだのが狗奴国だったとは」
信じらぬといった様子で、思案気に目を伏せた。
武によらぬ戦。
若い伊声耆にも、凡そ考えつかないものだったようだ。
「あの、すみません。ちょっと質問いいですか」
「おいこら、黙ってろ」
口を挟んだのは五十狭芹彦の部下、樂々森彦こと猿だった。
窘めたのは留玉彦。鳥だ。
五十狭芹彦は伊声耆に顔を向けた。
伊声耆が頷いたので、五十狭芹彦は頭を下げた。
発言を許してくれたのだ。
「何だ、猿」
「すんません。分かんないんですけど、何で狗古智卑狗は武埴安彦殿と温羅の反乱を手助けしたんですかね」
「それは恐らく、河内と吉備の反乱に乗じて、手薄になった連合国を攻めるためだろう」
伊声耆が樂々森彦に答えた。
「けど、連合国と狗奴国は和睦を結んでるんじゃ」
「親魏倭王がご崩御された。それを理由に反故にする。それくらいのことはやりかねない。しかも、女王を失って我らは纏まりを失っている。狗奴国の立場で考えれば、千載一遇の好機だろうな」
「敵の奴らにも、女王が亡くなったって教えちゃったんですか」
「まさか」
伊声耆が軽く笑った。
見下すような響きはない。
樂々森彦の純粋さを、好意的に受け止めているように思える。
器量が大きい。
「だが、武埴安彦は我らの巫女を通じて、連合国内に深く入り込んでいた」
「あ、台与殿ですね。そうか、武埴安彦殿が、女王の死を狗奴国に漏らしたのか。……すみません」
「貴方のせいではないよ、えーと、猿殿。逆に武埴安彦が台与殿に近づいてくれたお陰で、奴の思惑に気づけたとも言える」
「例の、鬼道ってやつですか。やっぱスゲーな」
樂々森彦が腕を組み、何度も頷いている。
「もういいだろう、猿。狗奴国が連合国に攻め入る可能性があるのなら、伊声耆様はすぐにでも筑紫に向かわれたいはずだ」
「犬の言う通りだ。狗奴国の目論見がどうであれ、今は温羅を倒さなければな」
そう言って、五十狭芹彦は話しを打ち切った。
「お心遣い痛み入ります、五十狭芹彦殿。ですが、鬼山は天然の要害です。先ずは勝ちを第一とし、慎重に攻めましょう」
「その若さで、よくぞそこまで、従容自若としていられる物ですな」
「私は三十六ですよ、五十狭芹彦殿」
伊声耆が苦笑した。
五十狭芹彦は五十二だった。
自分と比べれば、伊声耆は若い。
「それで、西側の道を押さえる為にですが……」
伊声耆が地図に指を当てる。
「必ず鬼山のすぐ南側。崖下を通ることになります」
鬼山に見立てた土盛りの下に、伊声耆の指が滑る。
「一度だけ偵察に出した三十名が、西側糧道の守備隊と遭遇しました。すぐに撤退しようとしたところ、崖下で落石を受けました」
「その三十名は」
「四名だけ、生き延びました」
五十狭芹彦は唸りながら、地図を見つめた。
北側から回り込めば崖は避けられるが、時間がかかり過ぎる上に、山脈が広がっており、進軍は困難だろう。
「伊声耆殿、連合軍と大和軍で、役割を分担するのは如何だろうか」
「構いません。指揮系統の事を考えれば、それが最善とも思えます。というよりも、私は元来、文官気質です。どうせなら年長で、戦いの経験も積まれている五十狭芹彦殿に、軍をお預けしたいと考えます」
他国の軍と合して戦う場合、同じ位置の指揮官が複数人いることが問題となる。
意見が合わなかったり、相手に配慮しすぎすることで、まともに軍が動かせなくなる事も懸念される。
その事を、伊声耆もよく心得ているようだ。
「伊声耆殿は大魏より、率善中郎将の位を賜っています。格上の方を指揮下に就けるなど、大和にはできません。それに文官と申されましたが、二年前の狗奴国との戦いにおいて、その指揮は中々ものでしたぞ」
「とんでもない。お恥ずかしい限りです」
伊声耆は面映ゆそうだった。
「ですが、五十狭芹彦殿のお心遣いは、素直に受けさて頂きます。連合国軍は連合国軍で、私の指揮の下に動かします」
「それが良いでしょう」
「では、恐らくは崖下で温羅の気を引く部隊と、その間に西の糧道へと攻め入る部隊。その二つに分けるべきかと思いますが」
大局が見えている。
流石、連合国が送った人間だけある。
「私も同じ考えです。それで、温羅を引きつける役を、我らに任せて頂きたいのですが」
「危険な役回りとなります」
「承知しています。ただ、ちょっと一計がございましてな」
伊声耆との話しが終わったあと、五十狭芹彦は留玉彦と、彼の手の者である数名を放っていた。
「どうだった、鳥」
「ばっちりでさあ、五十狭芹彦様」
「良し、では行くか」
五十狭芹彦は八百の軍のうち、六百名を引き連れ、中山を発った。
残り二百名は、密かに鬼山の東方の森に潜ませた。
「ここです」
先導していた留玉彦が足を止めた。
そこには巨岩が、幾つも地面から顔を出していた。
掘り起こせば、人の背丈以上もありそうだった。
半数の兵たちに命じ、五十狭芹彦は剣や矛で岩を掘り起こさせた。
残り半数には木を伐り倒させ、修羅と言う橇と、丸太を並べて、修羅が通るための“道”を作らせる。
「良し、載せろ」
五十狭芹彦の号令に従い、巨岩が修羅に載せられる。
葛と藤の蔓を撚り合わせて作った綱を括りつけ、数百人で引っ張っていく。
丸太の上を修羅が進む。
まるで地の上に、船が漕ぎ出しているように見える。
やがて修羅は、鬼山の麓にある、小高い丘へと辿り着いた。
「まさか、このように大掛かりな作業を、敵前で行うとは」
様子を見に来た伊声耆が目を剥いた。
連合国軍は後方の中山で、待機している。
「だからこそ、夜陰に乗じます。朝露が晴れた時、温羅の目の前には、突如として“岩の盾”が出現しているのです」
「その光景こそが、奴に与える最初の衝撃というわけですか」
暗がりの中、巨岩がつづら折りに丘を登っていく。
上から綱で引き上げる者、下から歯止めの木材を差し込みながら押し上げる者。
彼らの息遣いと、岩が地を這う鈍い音だけが、暗闇の中に響いていた。




