第3話 かつての友は
滅多に客を迎えることのなかった応接室には、必要最低限のものしかない。
正方形の室内の中心に、木彫り細工が施されたテーブルと二人掛けのソファが向かい合わせに置かれているだけだ。
リーベルトはヴァンゼール王国内で最も気温が低く、寒い地域である。
そのため、暖炉だけは実用的に立派なものが備え付けられている。
しかし、あたたかな春を迎えた今の季節は、大きすぎる飾りでしかないし、実用性を追求したため目を楽しませる装飾は一切ない。
つまり、王族をもてなすにしては、この応接室は華やかさに欠けている。
(今度、応接室も改装しよう)
と、アルフレッドが現実逃避をしていると、目の前に座るクリストフが口を開いた。
「それにしても、もう包帯は巻いていないんだな」
クリストフは、アルフレッドが呪いを受けて透明人間になっていたことを知らない。
だが、包帯を巻いているからといって、アルフレッドを偽物だと決めつけることも、悪い噂に乗ることもなかった。
素顔を晒したアルフレッドを見て、ただ不思議そうに言った。
「時々、外すようになっただけです」
「そうか。じゃあまた包帯姿のアルも見られる訳だ」
「不気味ではないのですか?」
「別に。あの事故で大きな傷でも残っているのかと心配していたが、昔と変わらずきれいな顔をしているな」
にっと笑って、クリストフが言う。
その笑顔は、国王ザイラックにとてもよく似ていた。
アルフレッドが呪われていることを知っても、大したことではないと受け入れて、笑い飛ばしてくれたあの笑顔と。
(クリストフ殿下とこうして向き合うのは久しぶりだな……)
アルフレッドは貴族として最低限の回数しか王城に顔を出していなかったし、ザイラックの密偵として訪れる時は透明人間だった。
それに、クリストフも留学のためにここ数年はヴァンゼール王国内にいなかった。
というのは言い訳で、憎しみに囚われていたアルフレッドは、かつての友に会いたくなかったのだ。
自分には幸せになる資格はない。誰かを不幸にするだけだ。
そうやって、自分の殻に閉じこもっていたから。
そこから抜け出せたのは、シエラのおかげだ。
今も、シエラはアルフレッドの隣で天使のごとき微笑みを浮かべている。
妻が愛想良く微笑んでいるというのに、アルフレッドの表情は硬い。
当然だ。前触れもなく、突然王子が訪問するなど、警戒するなという方が難しい。
一体、何のためにクリストフはベスキュレー公爵家に来たのか。
嫌な予感しかしないが、いつまでも聞かない訳にはいかない。
アルフレッドは覚悟を決めて問う。
「あの、クリストフ殿下。殿下が直々に私を訪ねたのは、先日のロナティア王国での一件のことでしょうか?」
「それも関係しているが、俺が来たのは別の理由だ」
飲みかけの紅茶をテーブルに置いて、クリストフは改めてアルフレッドをまっすぐに見つめた。
そして。
「アル、オレの側近になれ」
明るい声で紡がれたのは、いつか聞いた言葉で。
あの時の自分は、迷わず首を縦に振った気がする。
王家を支えることが使命だと両親に言われていたし、クリストフは仕えるに値する王子だったから。
そして、その気持ちは今も変わらない。
だからこそ。
「お断りいたします」
「……はははっ、父上の予想通りだな!」
第一王子の側近という名誉ある地位を即答で断ったアルフレッドに、クリストフは一拍固まった後、腹を抱えて笑いだした。
驚いたのはアルフレッドの方である。
「……怒らないのですね」
「なぁアル。お前は俺を避けていたかもしれないが、俺はそんなこと全く気にしていない。お前には時間が必要だと思ったから、俺からはお前に干渉しなかった。ただそれだけだ。俺は今でもアルを友人だと思っているし、俺の側近になってほしいと願っている」
五年前、社交界に戻ったアルフレッドに以前と変わらず声をかけてくれたのは、ザイラックとクリストフだけだった。
しかし、あの時のアルフレッドは憎しみに囚われて周りが見えていなかった。
何も信じられず、すべてを拒絶していた。
復讐のため、ベスキュレー公爵家の誇りを取り戻すために国王ザイラックを頼っただけだった。
彼は、父の友人でもあったから。
父が親友だと語ったザイラックのことは信じていながら、自身の友人であるクリストフのことは信じられなかった。
怖かったのだ。
もし、友人だと思っていたクリストフに裏切られたら?
呪われた存在だと明かして拒絶されたら?
アルフレッドの心が弱かったから、そうやってすべてを自分から拒絶していた。
そんな風に逃げていた自分が、今更クリストフの側近になんてなれるはずがない。
そう、思っていたのに。
アルフレッドを見限っていなかったこの友人は、全く気にしていないと笑ってみせた。
しかし、簡単に頷けるはずがない。
「アルフレッド様……?」
心配そうなシエラの視線を感じる。
今のアルフレッドにとって大切なのは、シエラの存在だ。
何よりも、彼女を守ること。
それが、自分の存在を呪っていたアルフレッドが、幸せな未来を生きたいと願う理由。
だから、クリストフの申し出は断るべきなのだ。
かつて夢見た未来よりも、大事なものがあるから。
少しばかり過去の己への哀愁を感じていると、クリストフは変わらぬ笑顔でとんでもないことを言いだした。
「……とまあ、アルに選択肢があるように聞いた訳だが、アルが側近として俺に仕えることは王命で、決定事項だ」
「はあっ!?」
つい、アルフレッドは大きな声を出してしまった。
第一王子相手に不敬な反応ではあるが、許してほしい。
過去に思いを馳せ、複雑な感情に折り合いを付けていたというのに、なんということだ。
「それは、ついにアルフレッド様の功績が認められたということですか?」
頭を抱えそうになるアルフレッドの隣で、シエラがにこやかに言った。
「まぁ、そういうことだな」
「いや、絶対何か裏が……」
わざとらしく視線を逸らしたクリストフを問い詰めようと口を開いた時、シエラが目を輝かせてぎゅっと手を握ってきた。
かわいすぎて振りほどけない。
「アルフレッド様、おめでとうございます!」
そして、愛しい妻に満面の笑みで祝福されては、第一王子を責める言葉は声にならない。
代わりに出てきたのは、かつてと同じ言葉で。
「……そのお役目、喜んでお受けいたします」
「おぉ、引き受けてくれるか!」
拒否権を与えていないくせに、クリストフは嬉しそうに笑った。
まるで、本当にアルフレッドが心から望んで引き受けたかのように。
側近になることを喜んでいるのはシエラとクリストフばかりではあったが、アルフレッド自身も心の痞えがとれた気がしていた。
それに、シエラが喜んでくれるのなら、側近のひとつやふたつ……なんでも引き受けよう。
アルフレッドの思考が投げやりになってきたところで、クリストフは用は済んだと立ち上がった。
「アル、側近としての任命式は来週だ。詳しい話は王城でする。その時にはシエラも――いや、ベスキュレー公爵夫人にも同席してもらいたい」
そして、突然やってきた第一王子は、アルフレッドを側近にするという爆弾だけを落としてさっさと王都へと帰って行った。
(第一王子が護衛もつけずに、単騎で訪問するなどあり得ないが……本当に、自由なところは変わらないな)
お読みいただきありがとうございます。
これからどんどん結婚式どころじゃなくなってきます(!?)が、
今後とも見守っていただければ幸いです。