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【現実】 (3)

「今晩は、皆さん、お揃いですね」


 聴いたことのある声がした。暗い階段を、誰かが昇って来る。私は思わずあっと叫んだ。見たところ大学の帰りのまじめな女子学生……mkmlが現れた。なぜ私達がここに居るのを知っているのか? いや、というより、mkmlはヒジリと知り合いなのか?

「ショウブに紹介するわ。彼女――水分みくまりあかねさんは『SC』の先輩よ。あたしの先代の魔王なの」

「ごめんなさいね、黙っていて。イカサマちゃんのゲームプレイには間接的に介入したことがありますよね?」

 mkmlは穏やかな微笑を浮かべた。黒枠のメガネに月光が反射していた。mkmlは……そうか、先代の魔王だったのか。私がゲームをしていることも知っていたのだろう。ゲームに挫けかけた時、現実生活での友達となり、間接的に私をゲームに戻らせてくれた。

 では、現実世界でありふれた奇人を、ピエロのように演じたのも計算ずくで……。私をゲームに回帰させるためだったに違いない。

 mkmlはゲームの大先輩だった。影から私を応援してくれていたのだ。身分を隠していたことを、非難しようとは思わなかった。現実世界での彼女との関係は、既定の行事の範囲内では充分に楽しめた。私は既定の行事には興味がなかったが。

 もっとも、mkml……さんは、私のために敢えて現実人間を演じてくれたことは明白だった。『SC』をクリアした先輩ということは、彼女もまた「新しいゲーム」に向かおうとしているのだろう。

「これでパーティーが揃いましたね」

 mkmlさんは私の手を握り、言った。

「パーティー?」

 私は訊き返した。

 ヒジリがmkmlさんに確認した。

「よかったわ。会合は予定通りできる?」

「準備できてますよ。店も予約してます。お二人を迎えに来ました」

「うん、結構ね。ショウブ、今から簡単なガイダンスをするわ。Gカウンターは『消えろ』と思いながら両側から潰すようにすると消えるわ。じゃあ行きましょう」

 ヒジリは私の肩をぽんと叩き、止まっているエスカレーターを降りて行く。mkmlさんもヒジリに続いた。言われた通りにすると、Gカウンターは消えた。もう一度出す時はどうするのだろう。二人に訊けばいいか。よくわからないが私もついていく。電気の通っていないエスカレーターを、がすがすと降りる。階段より幅が広くて降りにくい。変な感じがする。まるで雲の中を降りているような気がして……。いつのまにか、あたりもとても白くて、明るくて……。

 白い廊下。

 白い壁紙。

 白いLED。

 窓からの白い光。

 まるで白い要塞の、その廊下にあたしは立っていた。

 手にはぎゅっと、ビラを握っている。

 そうだ、あたしは「人生捨てませんか」というラジカルな文句に釣られ、サークルビルに来たんだ。何より空蝉ヒジリの孤高な存在感に興味を非常に掻き立てられ、ドアの前まで来た。

 緊張のために酸欠を起こしでもしたのか。あたしは白昼夢を見ていた。とても長い、長い、長い白昼夢を。ひょっとしたら何十日か、何十年か、経ってすらいそうな冒険と生活を、私は確かに送った。

 夢の中で日傘を差していたヒジリ……。

 エセ紳士……。

 魔王……。

 記憶は細部まで鮮明だ。

 それに比べて、今の私は何なのだろう。あたりさわりない洋服にくるまれた自分。足に吸い付くようなパンツの履き心地。自分のカラダの異様な卑小感。ビラを硬く握り締めた手の、機械のような不自由感。廊下に立っている自分に対して、何だ「これ」は、と思う。

 私はひょっとして……本当に『SC』というゲームを経験でもしたのだろうか。

 私は自分の経験と知識で説明できないことを、白昼夢という幼稚な言葉で封印しようとしているのか。

 しかしサークルビルの壁は、何十年も飛ばされてなどいないことを示している。飛ばされたなら、同窓会で立ち寄った時に数十年前を想起させるかのように、壁紙が黄ばんでいなければならないと思う。今は確かに「きょうの放課後」なのだ。

 私はサークルの勧誘のビラを拾い、その足でここに来た。それは間違いない。

 ではこの部屋は? ドアには「世界遊戯研究会」。ビラには書かれていない名前がある。部屋番の「925E」は合っている。

 私はドアノブに手をかける。ひやっとした感触が掌になじむ。記憶のなかの感触と一致する。中に何があるのか。そもそもヒジリは居るのか。全く無関係にビラは教室に落ちていただけではないのか。私は、ふっと息を吐き、ドアノブを下に引いた。緊張が引いていく。落ち着いている。「白昼夢」のおかげだ。私はおよそ総ての恐怖を「夢」で経験してしまった。扉の向こうに何があるのか、期待感以外は、なかった。

「おや、君は」

 正面奥の席。

「夢」のなかで会話した相手が居た。私の知っている姿と声をもつ空蝉ヒジリが居た。ヒジリの隣はユイ。逆がわの隣には水分。学生ではないユイが部屋に入っているのは特例だろうか。サークルの幹事長の裁量でどうにかなる範囲には思える。このサークルのメンバーと思える三人が、既に集結していた。

 私はヒジリに訊ねた。

「はじめまして、……かな」

「はじめまして、……かな?」

 ヒジリは同じ言葉で、微笑し、訊き返した。

「わあ、ヒジリちゃん、あたらしいひとですよー! サークルのメンバーが増えるかもですよ!」

 ユイが意気込んで言った。

「あんなビラに興味を持って来るなんて、楽しみな人材かも? ですねー」

 私が手にしたビラを見て、水分さんが期待の目を向ける。

 ドン、と背中にドアがぶつかった。

 誰かが入って来た。

「あれっ、なにこのおばさん。なんか冴えない感じね。――や、冴えないっていうか、わたしが天才すぎるから仕方ないけどさー」

 銀縁のメガネ。きりりとした目尻。純粋だが恐れを知らない、ぱちりとした瞳。入室者はアスカだった。

「邪魔よ邪魔」

 アスカは刃物のようにコシのある長髪を揺らし、私の横を過ぎる。部屋の隅の冷蔵庫を開けると、サイダー味のアイスバーを開けた。シャキ。無機質な部屋に涼しい齧る音が響く。

 アスカもこのサークルの一員のようである。

 ヒジリが私に歓迎の言葉をいう。

「ようこそ世界遊戯研究会へ。当サークルはこの世界にあるゲームのうち、特別なものを選んでプレイしたり、レビューするサークルです。はじめは見学だけでも歓迎よ。水分さん、お茶を出してあげて。それとも、初回から実際にプレイしてみる? それでもいいわ。体力と気力があるなら……」

「起動しましょうか?」

 ユイはそう言って、ヒジリの答えを待たず、テーブルの上のステッキを手にする。「Gカウンター」と酷似したステッキだ。

「『DTOEドラマティック・ターン・オブ・イベンツ』、起動! えいっっ!!」

 ユイは窓に向け、ステッキを振り下ろした。

 部屋の窓は一枚の虹色のスクリーンになった。

「普通のゲームとはだいぶ違うゲームを扱っているけど……。興味ある? ちなみに『DTOE』はあたし達も初めてプレイするところでね。これはパーティー制のゲーム。五人でパーティーを組み、ゲートの向こうに行く……。あら、ちょうどあたしたち、あなたを入れて五人になるけれど」

 ヒジリは私を見た。

 パーティー制か。やったことがないゲームだ。

 おもしろそうじゃないか。

「興味あるわね。ぜひ説明を受けたいわ」

 私は椅子に座り、水分さんが注いでくれた冷茶を口にした。

 

 (了)

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