【第3面】 (4)
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私達は駅を出ると、賑やかな通りをゆるゆると下っていた。
私はmkmlについていった。やけを起こし妙な行動に出ないか、心配だったからだ。
「送ってくれなくても大丈夫ですよ。ひとりで帰れます。……帰るというか、今から公務員試験の予備校に行かないとですけれど」
予備校はここから数分歩いた所にある。以前mkmlから聞いていた話だ。
「日曜日もあるの?」
「出なかった回の録画を見ます。休日もあいてます」
「行けるの? 今日は疲れてるんじゃない? やめたら?」
「いえ、ついでですから、行きますよ……」
と言ってmkmlは少し歩いたが、とある雑居ビルの横で止まり、振り向いた。
「……イカサマちゃんには、以前、言いましたよね。私は調理士弁理士通関士行政書士秘書検定その他の資格を持ってます。お稽古事は、クラシックバレエ茶道華道日舞ダンスピアノ合気道クリケットトランペットを一通り」
「知ってるわ」
それも聞いている。私は頷いた。
「でも、それだけですね。私は、それだけです。これが、私なんです。たくさんの人の中の私です。世界の適当な座標、この道のこの場所で立ち止まってる、私です。世界規模でみればこんな小さい町の、ここで喋っている私です。私は、小さいですよね、なんて小さいのでしょう」
mkmlは宙を眺め、うすぼんやりした顔で、呟いた。
私は、mkmlが言っていることが、とてもよく解った。特技を幾つも身に付けても、世界のあまりにも多くの箇所が、手に余っている事。御しきれない空気が蔓延している畏怖。それはまさに「現実」の感覚だ。現実世界という世界を、象徴する気持ち。
mkmlは現実世界で真面目にもがいている。『ゲーム』にお呼びが掛かる日も、遠くはないかもしれない。
私は、mkmlには「現実」感を多く味わわせたくないと、焦るように思った。
今の私では、『ゲーム』とて、胸を張ってmkmlに参加を勧められない。
『ゲーム』はいいものだよと、確信を持って言いたい。私はそう感じた。mkmlに有益なアドバイスができるプレイヤーになりたい。なっておきたいと思った。
「現実」を見てしまったら、『ゲーム』に行くしかないのだから。
デスゲームであろうと……。
「イカサマちゃん」
ふと呼ばれ、私はハッとmkmlを見た。
「私は『茜』じゃないですけれど。やっぱり世界は、偽りなのです」
mkmlは腕を広げ、繊細な星空を観るような顔で、言った。
「知ってるよ」
と私は答えた。
「ほんとですか? 嘘じゃないですか? 信じて、いいですか?」
私は、黙って頷く。
今、私とmkmlは、同じ気分を共有している。完全じゃなくても、相当の面積を。mkmlはくしゃりと顔を歪め、心から安堵した笑顔をした。
「もっと言っていいですか。言いますね。世界は、ゴミクズです。蛆虫です。塵芥です。疥癬です。ふざけてます。悪乗りもいいかげんにしろです。だってひどいでしょう? 世界が本物なら私を評価するはずです! 評価してくださいよ。おクズさんたち。ねえ、そう思いません? そう思うでしょう? 私以外の人たちはクズです。私の言う事が分からない人たちはバカです。賤民のパレードです。あ、イカサマちゃんは別ですからね、安心してくださいね」
mkmlは呟いた。濁った夜空に向かって上げた、弱々しい、鬨の声だった。
あらゆるものへの怨みつらみ。演技された「普通の人格」の内に、本当の人格を秘めていたのだ。私は、プチ、と音を立てて「現実病」の若芽がmkmlの内壁を破ったように感じた。
「ありがとう。あなたが内心の正直なところを見せてくれて嬉しかった。お返しに、現実世界のちょっとしたヒミツを教えてあげたい。でもそれはタダで教えられるものじゃないの。……私のほうが、ね。私が命を賭けなきゃ、ヒミツを掴めないらしいの。でもね、うまくいったら、ちゃんと手順を追って、解説してあげる。架空のイベントだって現実化できるかもしれない方法を、ね。だから、諦めるのは早いよ。今日のツアーの続きだって見れる。その可能性があるの。無限の可能性を秘めた『ゲーム』というものがね。私はこれから、その『ゲーム』にちょっと行くことにするわね……。そして、もし無事だったら、mkmlが喜ぶ話を、きっと持って来るから」
「え? ? 何を……。ごめんイカサマちゃん、ちょっと意味が解らないけど」
mkmlは顔をやや紅潮させ、笑って首をかしげた。もちろん、解らないだろう。でも、それでいい。これは、それでいい話なんだ。
私は戸惑うmkmlに近付き、額に軽く唇を触れさせた。古風な外見のmkmlふうに言うと、接吻。恥ずかしいので、私は早足で分かれた。
mkmlは今までに無いくらい目を大きく開けて、呆然と固まっていた。私は手を振ってお礼を言った。
「ありがとうね」
また『ゲーム』に行こうという気になったのは、mkmlのおかげだから。
きっと、また会おうね。
私は大通りを、まっすぐ進んだ。足取りは軽かった。胸はすいていた。夜の空気は冷たく爽やかだった。猥雑な家並みの向こうに、サークルビルが頭をもたげた。
サークルビルには、用事はなかった。
家に帰る? 家なら飽きるほど居た。もう、たくさんだ。
現実世界でサークルビル以上に意味を持つ場所は存在しない。だから行く。それだけだ。ヒジリに会えるわけでもない。でも、意味がある場所から離れていても、くだらない。
サークルビルの学食に行く。いつ『ゲーム』に呼ばれてもいいように、腹ごしらえをしようと思った。学食は以前『ゲーム』に呼ばれた、縁のある場所だ。夕飯時らしく、たくさんのニンゲン・データで溢れ返っていた。鶏肉の南蛮揚げ丼というデータを注文し、騒がしい学生グループと相席で座った。私はさっそく、肉を頬張った。
正面には大画面のテレビがあり、誰も見ていないが、「小学生〝天才王〟決定戦」というクイズ番組を無音で流していた。アスカ・ラングレーのプラグスーツを着た、メガネの長髪の女児が映った。女児は私が見たこともない関数の空欄補充問題に正解し、1ポイント獲得。「REACH」の大文字が画面に出現した。雰囲気を盛り上げる司会のジェスチャー。女児は髪一本も動かさず、陶器人形のような、気持ちの読めない顔をしていた。スーツに閉じ込められているような、窮屈な印象。頭身のせいかもしれない。「いけすかねぇ子供」。なぜかそう感じた。女児だけではなく、他の子供達も、黒やら白のコスプレをしていた。そういう趣向の番組らしい。まったく、わけがわからない。だけど今に始まったことではない。現実には、意味が無い。
mkmlのおかげで、解った。言葉じゃなく、肉で理解した。この世界の空気や、ワタシのカラダを構成する、分子レベルで理解した。
私は現実世界に居てはいけない。
友達とかと一緒に、なんとなく現実で暮らす。
それは全然、可能だった。
というか現実世界はトリモチのようだ。そう簡単に私達の血肉を開放してはくれない。『ゲーム』から逃げた私も、現実世界では暮らせた。まろやかな暮らしだった。その期間の暮らしは、何もかもが「鈍い」ものだった。鈍重なジブンが居たけど、ジブンの感覚もまた鈍っていて、ジブンの鈍重さを感じなかった。まるで画面の向こうの平面的なキャラクターが動くように、私が動いていた。『ゲーム』からの皮肉だったのだろうか。
埃のようなスカスカの食事を食い、mkmlと茶を飲んだり会話したりする生活。
自動な日々の累積。
そこには現実世界への嫌悪も苛立ちも無かった。苦しさもなく、楽しさもなかった。
まろやかな忘却感があった。
疑問の余地を与えない、のっぺりした単一感があった。
その「何とはない空気」こそ、現実の奥義ではなかったか。
『ゲーム』から受けたショックのあまり、私は現実世界に吸収されていた。一部となっていたのだ。
「現実病」にさせられた世界に、取り込まれてしまう。それこそ最も重い「現実病」ではないのか。
私が今までやってきたことは何なのか。現実世界が嫌だったから、遠ざけて遠ざけて、粘りに粘って、現実世界と渡り合ってきた。ここでフッと力が抜けて、現実世界に吸い寄せられたら、今までの私は全部無駄になるのだ。それは理屈抜きに認めない。現実を捨てた後から、私の人生は始まる。
私は、意味が、ほしいのだ。
現実世界は、意味がない。ここはまるで、子供のお絵描きの中。ホワイトノイズに囲まれた、こんな粗末な世界に居ても、どうしようもない。
現実世界には、「現実」があるだけだ。「現実病」のさまよう肉があるだけだ。
意味がある場所に居たい。意味があることをしたい。
それなら、しよう。
『ゲーム』に戻ろう。
ビルの大画面では、クイズに優勝し、〝天才王〟の王座についたメガネ女児が、黙って画面を指差し、「挑戦者求む」のテロップが出た。
もう一度、やってみよう。
ユイは死んでしまったかもしれない。
私は、見捨てた。私の中からユイを消し去っていた。現実に避難し、休憩していたのだ。
しかし、死んだ者は還らない。
小学生の作文みたいなことを言うが、私ができることは、ユイの分まで頑張ることだけだ。
『ゲーム』では私は頑張るべきだからだ。
また、魔王にビビるかもしれない。
しかし、それならまた力を蓄えて、また挑むだけだ。
もう退かない。
私には『ゲーム』しか道はない。
私は食事を終え、下膳口に行く。
『ゲーム』からの召集がいつ来るかは知れない。
もちろん自分の意志では自由に行けない。いつ呼ばれてもいいように、意識しておこうと思った。今日は山奥に行ったので、カラダが疲れている。[ ラウンジ ]に行き、うたたねでもしよう。私は、空の丼の入ったトレイを、下膳口に置いた。瞬間、下膳口の向こうが虹色の膜となり、私はトレイと一緒に吸われた。
……結局これだ!
『ゲーム』はいつも不意打ちなんだ。
虹色の膜が包丁のように内側を突き抜けて行った感覚を味わって……。
世界が変わり、私は現実を脱け出した。




