【第3面】 (3)
月曜日。mkmlは、あの駅の前にぬいぐるみを持って立っていた。
小説と同じデザインのぬいぐるみ。よく、こしらえたものだ。どこでオーダーできるのか。それともすでに有名な小説で、版権商売が成立しているのか。
私は何食わぬ顔で訊いた。というか実際、知らないのだが。
「そのぬいぐるみ、かわいいね、何?」
「私の指南役の魔王様」
mkmlはぬいぐるみを両腕に抱き、柔和に、上目使い。このカットはまさに小説のカバー絵と同一だ。
そう、ぬいぐるみは敵方の全世界規模の「術」によって本来の力を封じられた「魔王」なのだ、小説の設定では。そのため、ぬいぐるみという屈辱的な姿に甘んじている。mkmlに「世界のヒミツ」を伝達した使者であり、バトルで片腕となる友でもある。もちろん喋る。
「喋る?」
「喋るよ。でも、今日は喋らないみたい、寝てるのかも」
喋るぬいぐるみなら、私は本物を知っているんだけどね。
私はmkmlに指示され、普段は使わない鉄道の1000円台の切符を買った。ちょっとした小旅行の距離だ。
『差配の儀』は東の山脈の麓の廃屋で行われる。小説を見てきた私は知っている。その後の展開も知っている。
小説と現実とで、微妙な違いが積み重なってることも、知っている。
ぬいぐるみは現実では喋らない。
私はmkmlに次ぐ「第二のヒロイン」の位置づけだが、小説のキャラ「葵」とは名前が違う。
そして最大の違いは、mkmlも私もネタバレを知っている事だ。
小説では未知の結末に向かうが、mkmlは台本を知ったうえでなぞっている。これはたぶん、本来してはならない作法だ。
うす曇りの生ぬるい陽光が車窓から入る。隣で揺られるmkmlの体温を感じる。
私と同じぐらいの小ささ。
私は、現実が破綻するのを、静かに迎えようとしていた。
降りる客もまばらな山奥の駅を出て、かろうじて舗装してある細道を二人で延々歩き、とある遺跡に着いた。
見たところ、荒涼とした岩肌と草原が広がるだけの、大きな窪地である。
遺跡と言われるが、いつの時代の何の遺跡かは分からない。調べる気もない。
窪地を見下ろす展望台のような空き地があった。しかし、会議の場所である廃屋は見えないし、私達以外に人も居ない。
「ここはかつて、基地だったんです」
「……基地?」
「そう、いわゆる正義のロボット軍の基地です。全盛期には十五体のロボットがこの基地に所属していました。ほら、窪地を埋めるような線を引くと、ちょうど地下に基地があったように見えませんか。私達が今居るここは、管制室の跡、といったところでしょう」
「何のために? かつて、正義のロボットが、悪のロボット軍と戦っていたと?」
「さすがイカサマちゃん、勘がいいね、見直しました。まさにそうです。私達の年齢よりも遥かに昔、世界では正義のロボット軍と悪魔のロボット軍が戦いを繰り広げていました。EPの祖先は正義のロボットを操り、この基地から出撃したと言います。しかし、戦いは悪のロボット軍が勝利を収めました。正義のロボットは破壊され、この基地も消滅したのです。基地であった秘密を隠すために遺跡ということにされているのです」
私は、感情移入して語り部をつとめるmkmlの横顔を、黙って眺めていた。小説を摘まみ読んでいたから、戦いの結果はもちろん、勝利を収めた悪のロボット軍が消えた「謎」のことも、そのため現在は戦い自体が神話と見なされていることも、頭には入っている。でも、そういう設定の隅にまで話を広げる気は無い。
『差配の儀』が行われる廃屋は、基地の中でも頑丈なシェルターだった場所だ。窪地の北東の斜面の中腹にある……という設定になっていた。だがいくらその部分を見ても、人造物らしいものは無かった。
「会場の廃屋は、あそこではないでしょうか」
mkmlは窪地の底を指差した。よくよく見なければ気付かなかったが、木々の緑色の奥に、炭のような黒い色の小屋が垣間見えた。斜面の中腹に気を取られていたので、見落としていたのだ。
心臓がドキッと強く打った。
恐れと期待がミックスされたような、妙な感情だった。
私達は、踏み跡らしき道をたどり、窪地に下りて行った。
木造の、風雨をしのげるくらいの、屋根付きの小屋である。
だが、それだけだった。ただの小屋だった。
広さは四畳くらい。中には何もなかった。ワイヤーの切れ端のような物が何本か落ちていた。それだけだ。古い小屋ではあるが、せいぜい数十年前だろう。「基地」とは一切関係ない。
mkmlはぬいぐるみに話し掛けた。
「残念だね。ここじゃなかったのかな。――アワテルノハ早イノダ。ミクマリヨ、オマエハ大キナ手掛カリヲ見逃ガシテイルゾヨ。モウ一度、入念ニ調ベルベシ――。うんそうよね。私、見落としたのよね。ほら私おっちょこちょいだからなあ。もう一度よねもう一度」
mkmlは、ぬいぐるみの手足を操演し、声色を使って自分で答えた。
ガラスが無い窓枠から、小屋の中に夕日が射し込んだ。
私は、小説での仲間・「葵」になりきって喋る意欲は無かった。だけど、mkmlの夢想を壊す気もなかった。だから、黙っていた。
「……もう一回、出直しましょうか?」
mkmlはお尻の埃を払い、立ち上がった。
日常で演じている気だての良いキャラの笑みを浮かべて見せた。しかし私は、払い落とせない悲しさが彼女に憑いているように見えた。黴のように根を張っている昏さ。
「出直そう」
私は手を貸してmkmlを立たせた。折れた雑草のように、腰がなかった。手を握ってやり、歩くのを手伝った。暗くなる前に駅に着かないと、遭難する危険がある。夜道は暗かった。忘れた頃に出没する水銀灯が、やたら、目に痛かった。mkmlは歩きながら、言った。
「私、イカサマちゃんを巻き添えにしました。私はEPなんかじゃありません。『差配の儀』もありません。全部『嘘』なんです。最近読んだ小説の筋書きをなぞってみただけなんです」
「小説の中の世界を、現実に持って来ようと思ったの?」
私は訊いた。
それは、できたのか? mkmlの口から答えを聞きたかった。
下敷きがあるかどうかなど、どうでもよい。果たして現実世界に別の筋書きを上書きすることは可能なのか。私はそれを知りたかった。もしかすれば万に一つは可能なのだろうか。mkmlの狂気は、私にそう期待させた。つまり、私は本当にmkmlの「能力」を見極めるために、企画について来た。
「私は分かっていました。こんな筋書き、現実にありえないって事。『奇跡具現』の能力なんか使えません。世界の裏の権力中枢に食い込むなんて無理です。無理じゃないですかそんなの。何が大事業ですか。ハードアクションノベルですか。打ち止めですよ。これ以上進めませんよ。はいはい壁壁。完璧、詰みです。帰りましょう。帰るしかないですね」
mkmlは自棄になって語を紡いだ。
棄てようにもジブンジシンは棄てられない、それが自棄の本質だが、ハイキングの心地良い疲労感が深刻さを緩めていた。
mkmlは帰りの鉄道に吸い込まれるように乗り、人の居ないシートにごろんと横たわり、泥のように寝た。
私は、目が冴えていた。
ゴトゴトと早く走る鉄道。私は向かいの窓を見る。夜の黒を無言で流す窓。いやにハッキリした私の姿が、像を結んでいる。
ほんとうに、いまは、小説じゃないのだろうか。
――いや、そうではない。
これが小説でも、いいはずだ。
私はmkmlの企画に乗った。それは、結果を見るかぎり、ちぐはぐな夢のような現実だ。
だけど、途中までは? mkmlが参考にしていた小説の筋書きと、何が違っただろう?
何も違わなかった。二人の「選ばれた者」が出会う。「選ばれた者」を選ぶのは運命とか文脈といわれる壮大なモノの仕事だ。選ばれた私達が判定できるものではない。その意味では、選定には問題はない。二人は、世界の中枢に迫る冒険の旅に出る。カフェテリア、都庁、そして山奥の遺跡へ。筋書きは同じではないか?
単純に、遺跡に廃屋が無かっただけだ。『差配の儀』が開かれなかっただけだ。もし偶然に廃屋があったらどうか? 他のメンバーが来て会合が催されたら? 物語は継続したはずだ。たまたま、廃屋が無かった。幸運が、私達には、少し足りなかった。――筋書きは途中までは完璧だった!
しかし。
たとえ、運良く筋書きを完全になぞって現実が運んだとしても。
そしてついに、完結に到達したとしても。
私はそれを、「小説」とは思えない。それは、「現実」に過ぎない。
mkmlが愛好した『うにべる』を、「この世界」に運んでくる事は、絶対にできない。完全に同じ筋書きでも、この世界である以上は、現実なのだ。私は、そう思った。
だがなぜ、そうなのか?
なぜ現実は現実なのだろうか?
たとえ、同じ筋書きが実現しても、現実世界で起こったならば糞なのだ。現実世界では、天国が糞へと変わる。「現実」以外の何でもなくなる。
現実世界でのもがきは、「現実」を呼ぶだけの蟻地獄だ。
その可能性を逃れるものを、私は知っていた。
ただ一つ、『ゲーム』だけだった。




