【第2面(裏面)】 (5)
*
陰気な重い空と、揺れる木の葉の緑。
私は身体を起こした。大学構内のベンチに居た。立ち眩みで気を失ったようだ。木陰のベンチに私を寝せてくれたのは、ヒジリだったのだろうか。
通りには学生の姿はない。今は授業中なのか。それとも……?
寝起きのためか、「現実」感が激しい。白い地面は乾燥した胃壁のようで、一枚の木の葉は瓦のように見える。世界の重量感が、鉛のなめし皮のように、私にのしかかった。
にもかかわらず、どうやらここは、現実世界ではなかった。
不気味なくらい、誰も居なかったからだ。
私は立ち上がり、歩き出した。
靴音が、コンクリートに響いた。携帯電話を見ると、時計が止まっていた。画面の「:」は点滅をやめていた。故障だろうか? 講義棟の壁面に設置されたアナログ時計も、動きを止めている。
そして、あたりは夜で、空はタールのような暗い虹色だった。
がらんとしたキャンパスは、いつもと違い、初めて来た観光地のようだ。
が、眺める余裕は無い。気分は不穏で、最悪だ。
ちゃっかり出現している腕輪が苛立たしい。頭上を見ると、講義棟の避雷針の隣には、骨ばったカウンターが何食わぬ顔で立っている。
また、「現実」を引きずったまま、『ゲーム』に来てしまった。
……だが、あの『箱舟』は無かった。
フィールドは暗かったが、穏やかではあった。前回の続きではない。
どうやら、違う時空を起点として『ゲーム』が再開したようだ。
前回イチかバチかでやった、決死のログアウト作戦は、成功したらしい。
――そういえば、ユイが居ない。
離脱は成功したようだが、ユイとは離れてしまったようだ。
ユイはこの時空のどこかに居るのだろうか。居るなら合流しておきたい。
「予期せぬことが、世界にはあるものだねえ」
低い呟きが聞こえた。
こちらに背を向け、講義棟の円柱に寄り掛かっている男。彼は私を見た。
さっきまで現実で一緒に居たサングラスの男性だった。口ひげの下でパイプをくわえる様子は、静かな貫禄がある。
私は、びっくりしつつも、男性をしっかり観察した。カウンターは追尾していなかった。男性は、プレイヤーではない。『最強の勇者』を目指すこの世界では、男性は敵プレイヤーとなり得ない。『ゲーム』に入ることがまずできない。
つまり、この男性を登場させたのは、たぶん私であった。「断片」かどうかは知らないが、私の印象に強く残っていたのだろう。会ってすぐに『ゲーム』に移行したため、引きずって来てしまったに違いない。
「いやはや。この齢になって初めて見る世界があろうとは。しかし、景色が変わろうとも、世界の法則は変わらない。データ・ゲームのやり方は通用するだろう」
男性はパイプから落とした灰を均等に踏み付けた。フィールドのデータの一部である男性が、データ・ゲームについて語る。なんともシュールだった。
「君はこの場所の進み方をわたしよりも心得ているようだ。さあ、奇妙な世界の奥へと、わたしを案内してくれ」
男性は私の肩をポンとたたき、歩くよう促した。講義棟の隙間から見える空は、ボンヤリと光っているように見えた。ともかく私は頷き、足を前へと進めた。自作の空想の像と一緒に、冒険を再開した。
キャンパスの門を出ると、雑多な背の低い学生街の並びは無かった。
細い道を隔てた向こうには目くるめく壮麗なビル群があった。
……何だあれは? 初めて見る景色だ。
きわめて高層のビルばかりだが、トウモロコシの芯を立てたような形をしており、有機的な雰囲気もあった。数え切れない窓が穿たれ、すべての窓が明るく輝いていた。ビルは林立しており、高層部ではジェットコースターのようなレールで連絡されていた。
背後では、キャンパスの門が、音を立てて閉まった。引き返すことはできないということだろう。
しかし、向こう側の敷地もまた、さらに厳重な塀と門で囲まれている。立ち入りを拒絶しているような、崖のような高い門。
「驚いたね、君。こいつはすごい」
男性はビルを見て、平気な声で言った。
「おや、君、見なさい」
男性は右手方向を指差す。氷山がきしむような音がして、門の一つが徐々に動き、やがて完全に開いた。
黒いローブを纏った女性達が姿を現した。
その数は、およそ十人。
陣頭に立つ女性が、私を一瞥し、ローブの中からショットガンを出した。
ショットガンを持つ手には、腕輪が嵌められていた。
黒いローブの女達は、高い塀と門の奥へ、私達を連行した。塀と門は何層構造にもなっており、一つの門をくぐると、また同じような厳重な門があった。女達が手をかざし何事かを唱えるたびに、門は重々しく開いた。
私は、外から見えていた例のビルへと通されたが、そこに着くには十五分ほどを要した。薄暗いが華美なラウンジだった。怪しげな蛍光色の照明に、硬い大理石の壁。どこか外国のリゾートホテルのようだ。私は男性と並び、皮張りの白いソファに座らせられていた。
さっきショットガンを向けてきた女性が正面に座っている。今は武器を仕舞っていた。七夕飾りのようにボリュームある長髪は、優美と言っていいだろう。気だるげな中性的な面持ちは、涼やかだが、病的な寒さにも見えた。女は一団のリーダーのようだった。
一見、面談の格好だ。しかし、ぐるりと囲んだ九丁のショットガンが、私と男性に照準を合わせていた。黙って銃を構えるメンバー達。私達が妙な動きをすれば撃つつもりだ。
「うちは【シェリニアン】言います。『シェリィ』なり『ニア』なり、適当に呼んでくんなはれ。まずは『箱庭』へようこそ」
女は自己紹介した。【シェリニアン】とは、現実の名前ではなかろう。『ゲーム』での名前か。
「……『箱庭』というのは?」
私は質問する。自分の声が震えている。そんな自分に萎える。
と、メイドドレスを着た女性の使用人が、飲み物を持ってきた。薄い氷でできたような精巧なグラスには、ロゼワインのような液体が入っている。
「まあ、おいおい話しましょ。どうぞ、遠慮せんで、やっておくれ」
女はグラスを傾けた。
形式的には穏やかだが、とても歓談できる雰囲気ではない。もっとも、『ゲーム』に入った以上、言い訳は通じない。さっき、この女が腕輪をしているのが見えた。他のメンバー達もだ。
この団体は敵プレイヤーだ。明らかに、闘わねばならない。すぐに襲ってこない理由は分からないが、搦め手で攻めるつもりかもしれない。相手のペースに乗せられてはならない。戦力的には厳しいが、私はこの団体を倒さなければならない。
シリアス(笑)な私を気にせず、男性はグラスに口をつけている。「Les Forts de Latourか、まあ、なかなか」などと呟く。非日常の場所でも驚いてはいない。年の功というものか。それとも、男性が生きてきた現実は、『ゲーム』よりも殺伐としていたのか。
「ところで、あんたとの闘いやけど」
シェリィという女は、やわらかく微笑した。
「足掻くのは、やめなはれ。あんたのカウンターは拝見しとる。97位というとゲームの最底辺やね。ちなみにうちは7位。一応『箱庭』の頭目をさせていただいとる。まわりのみんなは8位~16位。まあゲームの上位集団と言えるな」
女は指先を立て、自分のほうに招いた。彼女のカウンターが、土産物屋のラックのようにガラガラと寄って来た。その画面には「7/99」と表示されていた。
「こないだも95位だかのプレイヤーが来てな。7位対95位なら実力差は明らかやのに、うちらに刃向かったよって、ショットガンの塵になったわ。ほんとは塵も残さず焼き尽くしてしまうけれどな。ゲームに新しく参入するプレイヤーは『自分こそクリアできるんや』思っとるんよやね。根拠のない盲信よなあ」
『シェリィ』は、くせのある訛り言葉で、流れるように言った。清涼な語り口は、上位の余裕なのか。
初めて、一ケタ台のプレイヤーと出会った。
もっと『ゲーム』後半で出会うはずだと思っていた――死闘を演じる形で。
7位の敵を目の前にしても、嘘くさい夢にしか感じなかった。おそらく私にはどう足掻いても勝てる相手ではないからだ。今から実際に闘う? その場面が想像できない。しかも8~16位のプレイヤーも居るのだ。上位のプレイヤーが一挙に十人。
だが、出会ってしまった以上、私は足掻くしかなかった。まもなく闘うことになるだろう。そして、実力差を見せ付けられ、はらわたが破裂したり、のされた蛙のように潰されて、無残に負けるだろう。
つまり、まもなく、私は死んでいるわけだ。
今、ここに存在している私は、『ゲーム』から消える事になるのだ。
同時に、現実世界からも、消える事になる。
その想像は、最大の絶望だった。しかし、私は不思議と、動揺しなかった。私が殺されることは、当たり前の未来なのだ。つまり、ほぼ事実だ。事実のあまりの当然さゆえ、私は動揺すら起こさなかったのだ。ちょっとした、歯医者の椅子に座るような感覚でさえあった。自分は患者である。患者を扱う医師に換わることはない。絶対的な、その区別。
手足は小刻みに震えた。心は落ち着いていたが、私の肉は、他人のようだった。私は闘うことを考える。落ち着けカラダ。前回学習した事を思い出せ。「断片」を使って自分の『フィールド』を作成し、そこに相手を引き込めば、有利に闘える。順位の差もいくらかは埋められるはずだ……。だが、それはプレイヤーの内部の充実があって、可能になることだ。今の私は、ココロとカラダさえバラバラだ。不整脈の心電図のように、エネルギーの波が取っ散らかっている。『フィールド』作成以前の問題だ。相手の『フィールド』に引き込まれていることは、ソファの柔らかさだけで、既に確かだった。今の私には、シェリィ達への恐れだけがあった。
「どやろな。うちらの仲間にならへんか?」
シェリィは、思いもかけない提案をしてきた。
「このまま闘っても、どっちの得にもならへん。あんたは殺されるやろし、うちらは疲れるやろし。うちらの仲間になったらええ。ほしたらあんたを襲うこともせんし、あんたは『箱庭』で自適に暮らせる。悪い条件やないやろ?」
「……」
私はシリアスに、シェリィの柔和な顔と、取り巻きの侮蔑の眼差しを、見比べる。
「……それは、あなたの取り巻きに加わるということ?」
「……まあ、せやな。けど、永遠にうちの下いうわけやないで? 『箱庭の10人』は持ち回りや。ログイン五回ごとに籤引きをして、順位をシャッフルしとる。今はうちが7位やから頭目いうだけや。うちらは、7~16位までの順位を、共同で管理しとるんや。その共同体が『箱庭』や。あんたが加わったら『箱庭の11人』になるな」
プレイヤーの共同体。
なるほど。シェリィ達は、チームプレイでDMに立ち向かう集団なのか。
「言っとくけどな、うちらはDMの領域に攻め込むことはせえへん。うちらは自警団や。『箱庭』は守りの戦陣や。7~16位のプレイヤーが固まっとったら、まず滅ぼされることはおへん。うちらが思うとるんは、DMとの共存や。そして、プレイヤー同士も協調できたらええと思っとる。無理して争うことはおまへん。のんびりと生きとったらよし。ゲームでのステータスは、現実世界にも『反映』するから、現実でも幸せに生きられるやろ? 争う理由なんか無い」
一理あるが、あくまで一理だ。根本的な違和感は捨て切れない。『ゲーム』がデスゲームである以上、協調は不可能であるはずだ。『ゲーム』をクリアできるのは1位のプレイヤーただ一人だ。
……ちょっと待って。もしや、この集団は……。
「つまり、あなた達は……。クリアを目指していないの?」
「合理的に考えた結果や」
シェリィは頷いた。
「こんなゲームで死ぬなんて、アホらしゅうてかないまへん。ええとこどりだけして、たらたら続けさせてもらえばええ。プレイヤーが集団で固まれば、そいつは容易に可能や。どや? あんたも争いはやめて、『箱庭』でのんびり暮らしまへん?」
温和に笑うシェリィの顔があった。闘えば負けるという打算なしに、この人と闘いたくないという思いもよぎる。
「でも、そんなことは、できるわけがないわ。だって……」
クリアせずに『ゲーム』の中で悠々と暮らすことは可能か? 『ゲーム』ではしばしばログインごとに順位が変動する。現に私も、前回の61から97位に落ちている。6~17位の範囲を保守できるとは思えない。いや、それよりも問題になるファクターがある。
「『ゲーム』へのログイン回数は決まっているわ。ログインするたびに残機は減るのよ」
そうなのだ。ログイン回数という制限がある。私の場合は、あと12回以内にクリアできなければ、ゲームオーバーになる。『ゲーム』では安閑とした生活は許されない仕組みになっている。
「……なんや、あんた。知らんのかいな? 敵のプレイヤーを殺すと、その残機が自分に充当されるんやで?」
シェリィは野暮なものを見るように首をひねった。
そういえば、たしかユイも、「ログイン回数を増やせるテクニックがある」と言っていた。こういう事だったのか。
つまり、敵プレイヤーを殺せば『ゲーム』の期間を延長できる仕組みなのだ。しかし、私はエルフを撃退したが、残機は増えなかった。いや、あれは殺す直前でログアウトされていた。もし殺していれば、エルフの残機は私へと移行していたのか。シェリィのカウンターを見ると、彼女の残機は「77」だった。新参の私より遥かに多い。……なるほど。
「つまり、仲間にならないプレイヤーを、うちらの残機にするというわけやな。『箱庭』の養分、いうわけや」
「……なるほど」
私が提案に乗らなければ、殺すということだ。今までも、「協調」に同意しないプレイヤーを殺し、自分達の残機にしてきたのだ。そうして『箱庭』という共同体の安定を維持している。
「うちらの一員になったら、楽しい暮らしは保証できる。あんたの順位も、仲間として、17位くらいまでは上げたる。そん代わりに、あんたにはゲームデータと管理権を預けてもらいたいんや。あんた、今までプレイしてきて、マップ上に自分の領土を作っていなはるやろ? そのデータを丸ごと寄越してもらいたい。もらったデータは、うちが責任を持って、『箱庭』の管理と造営に使わせてもらう。それが頭目の仕事や」
団の一員となる代わり、今までのデータと、プレイヤー能力を、頭目に委譲する。頭目がデータを一括管理し、『箱庭』を運営する。データと力を集約することで、集団のメリットを発揮するシステム。『箱庭』の発展や拡大は、集団としてのパワーの拡大も意味する。そして、団の目的は協調。
……もし、『箱庭』が勢力を拡大し、全部のプレイヤーを「協調」させることができたら。それが不可能としても、プレイヤーの過半数を占める、安定勢力になれば。
『箱庭』は、シェリィが望むように、現実に『反映』する永久機関として機能する。
悪い提案ではない。それは『ゲーム』の、一つの解決法だ。デスゲームの中にあって、デスゲームを無意味化する。ある種のプレイヤー達には、救いにすらなる。
だが、何か、話がうますぎる。通販の宣伝のように、いいところだけを無闇に述べている気がする。
それに、「仲間になるか殺されるか」という勧誘手法は、事実上、脅迫だ。こういう人間達が「協調」できるとは、到底思えなかった。
だいたい私は、現実への『反映』には、関心が全く無い。現実の何もかもが嫌で不快で、『ゲーム』に滑り出された。クリアせずに永遠に遊ぶ『ゲーム』、私はそこに、違和感を覚える。それはまさに、現実世界で現実的にたらたらと暮らす人間達と、一致するではないか。これでは「現実病」が酷くなることはあっても、治ることはない。
そうだ、私は適応することではなく、改善を求めているのだ。現実病の私を改善することが、『ゲーム』する目的だ。だからクリアしなければならない。『箱庭』とやらに留まることは、できない相談だ。
だが、ここで拒絶すればどうなる? バトルになれば、シェリィが勝つのはほぼ確実。提案をもちかける余裕があるのも、自分や部下の圧倒的武力が後ろ盾にあるからだ。それゆえの自信と余裕。
負ければゲームオーバーとなり、クリアの目は消える。
私はどうしたらいい?
「たいへん魅力的な相談ですね。しかし、二~三日の時間をくれませんか。返答するのは『箱庭』を見学してからでも遅くはないでしょう。ここには泊まる所もふんだんにありそうですし。どうでしょうか、お嬢さん方?」
と、予期せぬ返答をしたのは、隣の男性だった。
「……なるほど。見学ですか。別に構いまへん。ぜひそうしておくれ。あんたはそれでええんやろか?」
シェリィは私に確認してきた。私は首肯した。何となくだが、男性の案は助け舟のように思えた。時間が稼げるのは、助かる。
「ええでしょ。ほなら今夜は泊まっていきなはれ。このビルの上層階はホテルになっとるからな。明朝、このロビーでお会いしましょ。あてらの『箱庭』を案内します」
シェリィは席を立ち、仲間を連れてロビーから出て行った。
フウ、疲れた溜め息をつき、私は男性を覗った。
現実さながら、何食わぬ顔で、ソファに落ち着いていた。
「今のような交渉の席は、現実では珍しくはなかった。パワーバランスや流れを見るのは得意でね。今の答えが得策と判断したのだが、差し出た事だったかな?」
「……いいえ、たぶん、そんなことはないわ」
私は疲れ切った体から、淀んだ空気を吐き出した。
メイドドレスの使用人が、ぺこりとお辞儀をして、私達に言った。
「ではホテル代を頂戴いたします。お二人さま、前払いで十八万円になります」
……高っ!
そんな大金は持ってない。たしかに現実には来ることがないような立派なホテルだが、『ゲーム』なのに金が必要なのか。硬質で豪壮なホテルは、シェリィ達と私の力の差を表している気がした。
男性が立ち上がり、上着の内ポケットから黒革の財布を出し、一つまみ、折り目のない札を渡した。使用人は「ありがとうございました」と言い、上層階のスイートルームに私達を案内した。




