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【第2面(裏面)】 (4)

「データを得て、データが返ってくる、その繰り返しに飽きてしまった。わたしはこの世界で多く勝てるようになった。だが、それで何が得られただろうか? 勝って何が残っただろうか? ――『もうやることがない』と思うだけだ。また勝っても、そう思うだけだ。空転があるだけだ。今のわたしは、人生でやりたいことはやりつくした。思い通りに行かないことも、ほとんどなくなった。この世界は20~30年ばかりかけて、ちょっとした処理の方法を覚えるだけで勝てる。やや複雑なコンピュータ言語を書くのと変わらない。世界には『人間味』などは無いのだよ。殺伐とした白黒の景色だけがあるのだ。価値という『色』は虚偽のものに思える。わたしの目には、無機質なデータが入り乱れるだけだ。この世界では、わたしの失望を理解する友人を望むこともできない。わたしにはもう、やる事がなくなった。その思いだけが残った」

 小石を一個ずつ数えるような、抑揚のない口調で、男性は語り終えた。それから、長い間、黙った。私は何を言えばいいか、何か言うべきなのか、判断できなかった。俯いたサングラスの奥は、見えはしないのに、弱々しく感じた。

「世界は無駄だったと、わたしは確信した。この世界には、意味は無かったのだ。規定のデータを融通する遊びに、誰しもが熱中している。しかし、ふとそれに飽き、身を引いて眺めると、わたしを満足させるものは何ひとつ無いと分かる。輝いて見えるものや、存在感のあるものは、『虚栄』というデータだった。役が決まっているカードゲームのカードと同じで規定のものの寄せ集めに過ぎないのだ。わたしはそれらを徐々に見切っていった。今のわたしの周りには、無意味な荒涼とした空間だけがある。さあ、食べよう」

 解説の途中で料理が運ばれてきた。男性は白身魚の一品料理を滑らかに切り分けて口に運んだ。私もランチを食べた。高い店の料理は小洒落てはいたが、内蔵がこわばる感じがしてうまくなかった。

「まあ、といって、わざわざ悲劇に仕立てる事ではないがね。この世界では予期しないストレスは当たり前なのだからね。わたしは今までずっと、ここで暮らしてきたし、この世界のどこか外に楽園のような世界があるとも思わないよ」

 男性は、枯淡な社交的な身ぶりで言い加えた。

 ――ところが、あるんだよね。この世界の奥の『ゲーム』がさ。

 繊維質のまずい肉をもしゃもしゃと食み、私は思う。

 大学一年生にして世界の無意味さを確信する私は、人生の終盤になって同じ結論に達した男性の見解に、密かな満足を抱いた。自説が男性の数十年の現実経験によって裏書きされたことは心強かった。胸を張って「現実世界はパーフェクトなクソである」とロータリーの真ん中で演説してもいいだろう。慎み深い私は、そんなあざとい事はしないが。

「だからむしろ、君の若さと、はかなさを備えた美しさこそ、この世界の唯一の貴重なものにも見えてくるわけだ。年の功というべきかね。世界の無意味なものばかりを処理してきたおかげで、意味のある少ないものを、分かるようになった」

 という台詞をいとも普通に正面から呟く男性に、私は反応できず、肉で口を膨らませたまま顔を紅潮させた。

「いや失礼。これではナンパオヤジだな。君はわたしが若いころ恋していた女性に良く似てるよ。はは。昔話さ」

 枯れ木のような顔色の男性だが、口調はどこか陽気だった。学生の陽気さとは違い、オルゴールのような余韻を帯びていた。男性が最後の恋を終えてからは、化石ができるくらいの時間が経っただろう。徹頭徹尾、男性の本当の感情というものを、私は感じなかった。これが、完成された社交というものか。その鉄板のような重さに、私は息が詰まる気がした。

「せっかく会ったんだ、君には小遣いでも……」

 男性は言い、手持ちのセカンドバッグを持ち出したが、再び椅子の下に戻した。

「やめよう。つまらないデータを君に押し付ける愚行をするところだった。この世界に慣れ切った悪習だな」

 なんだ、やめるのか。何日分かの昼飯代になるから、もらってあげてもいいのに。

 代わりに男性は名刺を渡してきた。「△▽△▽」という男性の会社名と、「社長」という肩書きが書かれていた。

「先のことだが、卒業したら、うちの会社に来ないかね。どうせこの世界のデータ・ゲームに奉仕するという苦渋の時間を過ごすのだ。ならばうちでやっても悪くはない」

「はあ」

 ……なにこれ。私は男性の会社に内定したのか。現実世界に興味も無い私が大学一年で就職を決めたのか。最高のギャグだ! いつも現実はいちばん不要なものをくれる。

 食事を終え、代金は男性が払ってくれた。私はお礼を言った。男性は応えた。

「お礼はこちらが言いたいね。君は迷惑だったろう。シブい声でよく喋るダンディなオジサンに付き合わせてしまった。だが、今日はなかなか良い日だった。わたしは予期せぬ幸福に感謝することができる。幸福を予期していないからね」

 

 

 男性は用事があると言い、去って行った。雑然としたキャンパスに戻った。私は午後の講義に出るつもりだった。キャンパスの大きな正門をくぐった。

 無造作な学生達の流れに、ふわ、と浮いているものがあった。白黒の日傘だった。人波で揺れながら、くるくると回り、また逆方向へくるくる。 

「あの、さっきの男の人と知り合いですか?」

 横切った集団が、私を呼び止めた。

 同じ英語の授業を取っている女子のグループだった(……気付かなかったし、気付きたくもない)。

 だが、グループの中にはヒジリが居た。白黒の日傘を差していたのはヒジリだった。ヒジリは興味なげにあらぬ方角を見ていた。

「あのー、さっきの人って■■■■じゃないですか? ■■■■ですよね? なんで知り合いなんですか?」

「■■■■って何か有名なシャチョウだよね。よくテレビに出てるよ~」

「あの人きょう講演するのよね。午後から第二講堂小ホールって、タテカンあったよー。テーマは何だっけ?」

「『起業について』とかじゃね~?」

「そうそう」

「えー、でも■■■■と知り合いとか、めっちゃうらやましいんですけどっ!!」

 グループの女達は、私との空気を測るように、だが興味津々で訊く。気がつくと私は、べたべたとボディタッチされている。初めて喋るくせにキモいんだよ。と言いたいが我慢する。(笑)

 ――ふーん、どうやら、男性は名のある人間らしい。現実世界的に、羨望の的のようだ。男性からすれば「学生というデータを吸い寄せるくらい造作もない」と言うかもしれない。

 私は、このグループに苛立っていたので、笑って言ってやった。

「ナンパされてお昼ごはん食べてただけだよ。それ以外は何も無いよ?」

 嘘は言ってない。男性が自分で言ったことだ。許してくれるだろう。

 意味深に見せかけた私の一言はグループの感情を覿面に刺戟した。

「えーまじで」

「イカサマさんナンパされたの」

「てか■■■■ナンパとかするんだね」

「あたしもされたかったよー!」

 共感や独り言を借りた剥き出しの感情が口から口に吐かれた。

「もしコネ作れたら教えてね? △▽△▽入りたいからー」

 と、しっかり布石を打つ奴も現れた。まったく現実に懸命であることだ。私は蔑視する気持ちすら萎えた。会話を終わらせるためだけに、うんざりする会話を続けた。

 やっと会話が終わり、グループが離れて行った。

 ヒジリは残っていた。

「ここで会ったのも何かの縁。『ゲーム』の調子はどう?」

 ヒジリは日傘の日陰で言った。縁という言葉を、今ほど実感する時はない。私は自分の努力では、ヒジリに接触できない。

 キャンパスの太陽が強くて、私は目まいがした。おそらく気疲れしたのだ。あの男性と一緒に居たからだ。悪くないオッサンとはいえ、「現実する」のは、疲れる。

「…………だいじょうぶ?」

 ヒジリは怪訝そうに訊いてきた。近付いてきて、日傘を差し出そうとしてくれた。

 その風景を、立ち眩みが侵食して。

 私の記憶は途切れた。

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