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【第2面】 (8)

 声のした方を向くと、私を激しい阻喪が襲った。

 もじもじと、不安げな顔で私の腕を掴むのは、女だった。

 ある意味知り合いと言える。講義の後、吊るし上げにして、ひと泡吹かせた女だ。いちいち挙動が鼻につく女。

「あーっ、あんた! さっき授業で一緒だったよね。てかあんたさっき失礼じゃない!? まじ痛かったんだけど。ほらあたしの首みて赤い痣になってるでしょほんと最悪ひどくない?」

 女は覆いかぶさるようにトークを繰り出した。なんて厚かましい奴。脳が融解した、ゼリーみたいな女だ。自分のまわりも自分と均等なゼリーと認識しているのだ。

「ねえねえ、この場所ってなんなの!? あたし学校帰りに彼氏と待ち合わせしてて、駅前に行こうとしたら、いきなりここに来たんだけど。この腕輪とか踏切とか、わけわかんないんだけど」

 大きな身振り手振り。教室での振舞いと同じ。『ゲーム』の雰囲気が台無しだ。

 私の腕輪には、【エルフ】と表示された。知りたくもないが、女の名前である。現実では「絵瑠布」などと書くキラキラネームなのだろう。

 腕輪に名が出るということは、『SC』のプレイヤー。

「動くな」

 私は女の喉元に指を突き付けた。この女は現実世界むこうで一度やっつけている。苛立ちとともに力が湧いてくる。女の褐色の首に指をなめらかに突き入れ、命を奪えそうな気がする。

「ヒイッ、な、なによ、抵抗しないわよ。助けてって言ってんじゃない」

「おまえが『ゲーム』プレイヤーであるのは明らか。寝首を掻かれたくないからね。だべってる暇があったら――」

 殺せ。

 ガシッ、私は女の首を握った。半端に柔らかい、なまぬるい肉の感触。脈動する血管の感触。女の命の流れ。私は躊躇なく握り潰そうとしていた。

 その時、ふと女のカウンターが映り込んだ。「99」という順位が見えた。女は私よりも下位の、唯一のプレイヤーだった。恐怖で焼け焦げた潤んだ目玉。ブラフではないのか?

「ゲホッゴホッ、寝首なんか。あたし嘘とかついてないよぉ。この世界に来れば好きなものが手に入るってさぁ、灰色の目の女から聞いたからさぁ」

「灰色の目の女?」

 ヒジリだ。

 私は手を放してやった。

「そ、そうよ、言われたのよ。好きなものが何でも手に入る世界に興味ないかって。金も服も男も食べ物もお望み放題だって。でも本気にするわけないじゃん? 『はいはい』って適当に言ってやったけど、急にこんな場所に来て、ビックリしてたのよ。ふつービックリしない!? するでしょ!?」

【エルフ】は早口で弁解。……嘘をついてはいないのか? 

 しかし、『ゲーム』の説明は受けなかったのか。勧誘したのはヒジリと思われるが、私への説明とは違っている。それともエルフは、『ゲーム』を知っていて隠しているのか。いや、そんな頭がある女には見えない。望みのものが手に入るとは、『反映』の事だろうが、それに釣られて来たということだろう。

 私の敵ではない。順位が下の敵をわざわざ殺すS趣味もない。勇者の道義にも反する。

「あんたこそ、何なのよ? なんで学校の外でまであんたに会うわけよ。ここで何してるの? 後ろから着いて来る棒みたいな機械は何? この腕輪は何? わけわかんない!!」

「さあ、知らないわ」

 私はわざと白を切った。『ゲーム』の仕組みをわざわざ教えることはない。知ればこの銀蝿のような女は間違いなく私を殺そうとするだろう。戦闘は面倒だ。

 とはいえ、私は気持ちが激しく萎えていた。『ゲーム』に来れるのは私のような選ばれし者の特権ではないのか。こんな女が参加してくるとは心外だった。ヒジリも何を考えているのだ。

「私もおまえと長居はしたくない。付き合う気もないし。お前がやりたい事をすればいいでしょう。ただ、私に楯突くというなら、殺すけれど」

「死んでも蘇生呪文があるから、殺されていいですよ! ユイは呪文を使えないですけどねー」

 ユイが興味ありげに言った。幸い、ユイは私側のようだった。残酷なセリフは子供の無邪気さが為せる業だ。

「た、楯突く気なんてないわよ。てか、ここに来たの初めてだし、どうすればいいか知らないし、あんたは知ってるんでしょ? どうしたら欲しいモノが手に入るのか教えてよ。勝手に店から取っていいのかな。ここってあたし達の世界とは、なんか絶対違うもんね。雲とかすごい黒いし。知らないお店もいっぱいだし」

 エルフは『ゲーム』の中でも俗的な事にのみ興味を示している。呆れたものだ。

 だが、言われてみれば、フィールド上の店や町は利用できるのだろうか。店や物資が普通に利用できれば、プレイヤーにとって有利だ。

「フィールドのお店は、行けばわかりますよ。ていうより、行ってみないとわからないですよ。入ってからのお楽しみなんです」

 ユイが教えてくれる。

「へえ、そうなの。てかフィールドって何? なんかゲームみたいでおかしー(笑) やっぱガキだねー。いつもゲームばっかしてんじゃねーの?」

 ユイは否定も肯定もせず、大きな瞳でニコリ、エルフを完全スルー。

 私達が居るここが『ゲーム』であり、フィールドなのだ。

 完全な常識を語っているエルフは、この世界では道化のように浮いていた。

 私は落ち着いて周囲を見回す余裕を得たが、ほぼ夜となっていた。焦点が合わないくらい、あちこちにネオンがきらめく。ショッキングピンクやビビッドイエローの、心に強制デリートをかけるようなフラッシュ。ディズニーランドのように過重にデコレーションされたケバケバしい所だ。街には魔物じみた人間は居らず、どの店の人間も笑顔で待機している。それが逆に不穏だ。

 異様に低い黒雲だけが、フィールドの非現実の雰囲気を醸し出している。

「ねえねえねえ、じゃあさあの店行ってみない? タダで食べれるかな?」

 エルフは高級そうな料理店を指差した。赤い看板に、アルファベットの崩し字が書かれている。フランス料理か、それともイタリア、スペイン、メキシコか。店の中は見えなかった。重そうな黒い扉だけが店への連絡口だ。

 エルフは何歩か進み、

「……ちょっとぉ。あんたらも来てよぉ。一人とか、ないし。ノリわりー(笑)」

 振り返り、手招きする。

 私はユイと顔を見合わせる。こちらがエルフのノリについていけない。

「お城は何処に行ったんでしょうねー?」

 ユイはそう呟き、しばらく考えた。そして、提案した。

「じゃあ、行ってみます? ユイはクリームソーダでも飲みますよー」

 ユイは喉が渇いていたようだ。

 でも、店構えからして、たぶんクリームソーダは無いわよ。

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