8 子供の喧嘩
「アーリア!」
走ってくるアンネムが視界に入った。
「アンネム。 また抜け出してきたの?」
アンネムが救護院に入って早一か月。
彼は度々救護院を抜け出して騎士団宿舎までやって来ていた。
王宮内にやすやすと入れるわけがないので、彼はどこからか忍び込んでいることになる。
「この間みたいに仕事を放棄してきたのなら中には入れないからね」
「ちゃんと今日は終わらせてから来たって!」
確かめるのも面倒なので一々調べないが彼はこう見えて真面目なので嘘は吐かなかった。
あるいは嘘を吐けばここへ入れてもらえなくなると知っているからかもしれない。
「なら、いいけど。 今日はジェイドのところへ?」
アンネムはお礼と称してジェイドの手伝いを度々していた。
ここへ来る目的はジェイドの手伝いかエリクに遊んでもらうかと言ったところだ。
ジェラールもアンネムがここへ来ることを許容しているから、アーリアも何も言わずに案内をする。
フレッドだけはアンネムと反りが合わないようで、顔を合わすと言い合いになっている。
喧嘩というよりはフレッドが一方的にやり込められている。フレッドも幼い子供が相手なので手は出さないが、アンネムならフレッドといい勝負になりそうだ。
「今日はアーリアに手合せしてもらおうと思ってさ」
「私と?」
「そう。 ジェイドさんに聞いたけど、素手の試合を挑むならアーリアがいいって言ってたからさ。この前も俺あっさりやられちゃったし、もう一度手合せしたいんだ」
少し考えてアーリアは頷く。
「夕方から用事があるから長くは無理だけど、かまわないわ」
「じゃあ、今からいい?」
「ええ、中に移動しましょうか」
騎士団関係者以外の人間は通ることのあまりない道だが、アンネムが見つからないようにアーリアは気を使って歩く。
アンネムも馴れたもので、隊員以外の者とすれ違うときには身を隠し、時折すれ違う隊員に挨拶をしながらついて来る。
隊員の中にまだアンネムを見たことがないらしく訝しげな視線を向ける者もいたけれど、アーリアが一緒にいるためか声を掛けてはこなかった。
コーラルも大人しくしているので危険はないと思ったのかもしれない。
「小僧も物好きだな。 頭も同じくらい鍛えろ」
「俺は十分頭も使って生きてるよ。 腕が鈍らないようにしたいのは職業病かな」
「今のお前はただの孤児だろう」
「子供だからって身を守れないようじゃ困るからね」
コーラルに涼しい顔で言い返してアーリアに向き直る。
「アーリアだってそうでしょ? でなきゃそんなに腕がたつのっておかしいものね」
「そう、ね。 護身術くらいでは足りないから」
「だよな! やっぱ大人を出し抜けるくらいには強くないと!」
「まあ、身を守れるのはいいことだ」
アンネムの言葉に思うことはあるようだがコーラルも同意する。
宿舎の中庭まで来ると、そこには先客がいた。
「エリク、フレッド。 訓練中?」
声を掛けるとエリクが笑顔で、フレッドは渋面で振り返った。
「アーリア。 アンネムもよく来たね」
「また来たのかそいつ」
フレッドは本当にアンネムを嫌っているらしい。
「フレッド、止めないか」
その態度にエリクが注意を入れる。
「何やってんの?」
アンネムはフレッドの態度を気にしない。
と、いうより多分どうでもいいと思っている。
「見ればわかるだろ」
「わかんないから聞いてんだよ。
エリクが剣持ってんのはいいとして、お前が持ってるそれ、何?」
「素人にはわからないだろうな」
優位に立ったようにフレッドが笑う。いや、誰が見ても武器なのはわかるから。
「ばーか。 自分に合ってなさそうな得物持ってるから言ったんだよ」
「なんだと!」
アンネムが言うとおりフレッドが持つのは体格に見合わぬ大剣。振り回すだけで精一杯だ。
「弱いんだから身の丈にあった武器使えば?」
鼻で笑われてフレッドが顔を真っ赤にする。
いつものように言い争いが始まり、エリクが困った顔でアーリアを見た。
どうしよう?と目で問われてアーリアは首を振る。
「放っておけばそのうち飽きると思うよ」
「いや、でも…」
優しいエリクは争われることが苦手なようで、しょっちゅう仲裁をしている。
「アンネムの言っていることも間違ってはいないしね」
さすがに任務に大剣を持っていくことはないが、訓練中そればかり好んで使いたがるので、先輩隊員から何度も注意されている。
アーリア個人としても合わない武器を持つ危険性は危惧していた。
今はまだ実戦に出ない見習いだからいいけれど、いつまでもそれでは困る。
「確かに、そうだけど」
エリクもフレッドが大剣を使うのに賛成しているわけではない。それでもこうして訓練に付き合ってあげるのだから人が好い。
「自分で気が付かないと、納得できないこともあるからさ」
頑固な友人に困っているというより弟を見守る兄みたいな口調で言う。
エリクの心配を余所に二人の喧嘩は加熱していく。
「そこまで言うなら相手してみろよ!」
怒りに耐えかねたようにフレッドが怒鳴った。
「は? 勝負になるわけないじゃん。 自分の実力をもっと知りなよ」
怒るフレッドに対してアンネムはあくまで冷静に馬鹿にしている。
「いいから構えろ!」
「あああ! アーリア、どうしよう?」
狼狽えるエリクにアーリアは突き放した提案をする。
「考えようによってはいいチャンスかもしれないよ」
アーリアはフレッドがアンネムに勝てるわけがないと考えて、エリクに囁く。
アンネムに負ければ自分を見直すいい機会になるかもしれない、と。
だから見守ろうと言うアーリア。エリクは迷う瞳で三人を見渡し、覚悟を決めたように頷いた。
「じゃあ、俺が審判をする」
二人の間に進み出て注意をする。
「二人ともわかってるだろうけど、急所を狙った攻撃はしないこと。 武器を落としたら試合終了」
「いちいち言わなくてもわかってるよ」
ルールを知らないアンネムに向けての説明なのに、苛立っているフレッドは口を尖らせた。
「アンネムは?」
「いいよ。 わかった」
「武器はどうする?」
「いらない。 剣なんて使ったことないし」
言いながら手に布を巻いていく。彼の手に会う籠手もないので最低限の保護のために巻いているらしい。
「素手なんて馬鹿にするのも大概にしろ!」
「使ったことのない武器なんて邪魔なだけだろ。 ここにはナイフなんてないだろうし」
フレッドが使うのは刃を潰した訓練用の剣だが、訓練用のナイフなどあるわけもなく、それならいらないと言う。
「怪我には注意してね」
最低限の注意だけアーリアも促す。
「ぬるい試合だなー。 怪我するな、なんて。 そんな訓練で腕上がるの?」
「今回は訓練じゃなくて勝手に始めた試合だから、怪我したら副長に怒られるよ」
訓練による怪我なら愚痴の一言で済むだろうが、勝手に試合をした挙句の怪我となれば、そうもいかない。
「そっか。 こいつが役立たずでも、頭数が減れば他の人の仕事が増えるもんな。 気をつけるよ」
「怪我人が出るとジェイドの仕事も増えるから」
慕っている医療班のリーダーの名前を出されて、アンネムが表情を引き締める。
「わかった。 ジェイドさんのためにも怪我させないようにするから」
怪我をするのが自分前提で話をされて、いよいよフレッドがいきり立つ。
アンネムのはわかりやすい挑発なのだが、フレッドは真に受けて冷静さを失っている。
エリクも諦めたように試合開始の号令をかけた。