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第九十四話 もう一つの証言

 那須たちとの密談についての証言だけならば、まだ言い逃れの余地はある。半平太がそう自らに言い聞かせていた矢先、さらなる報せが届いた。

「……武市。以蔵は、それだけではない。大坂の井上佐市郎、京都の本間精一郎、それに名もなき目明かしども。……あれらの死についても、洗いざらい語ったそうだ。おんしが『目障りだ』『不浄だ』と呟いたその都度、以蔵が手を下したと、な」

その報せを聞いた瞬間、半平太の中で組み立てかけていた幾つもの言い訳が、音を立てて崩れ落ちた。

(それは……。それだけは、言い逃れがきかぬ)

東洋暗殺は、直接の指示を証言する者がいない。だが、井上や本間、目明かしどもの一件は違う。以蔵自身が、この手で刃を振るった当事者であり、半平太の言葉を、直に、その耳で聞いていたのだ。状況証拠と、実行犯本人の証言とでは、その重みがまるで違う。

半平太は、獄舎の壁に背をもたせかけたまま、しばらくの間、目を閉じていた。

(わしは、「討て」とは、一度も言わなんだ。ただ、あの男は目障りだと、あの男は不浄だと、そう呟いただけだ。あとは、以蔵が、勝手に汲み取り、勝手に動いたに過ぎぬ)

その理屈は、半平太自身の中では、これまでずっと、揺るぎない盾であった。命令ではない、独り言だ。だからこそ、自分の手は汚れていない。そう信じることで、半平太は、これまで数え切れぬほどの死を、自分の中で「処理」してきたのである。

(だが、その理屈は、以蔵の証言の前では、どこまで通用するのか)

半平太は、静かに目を開けた。窓の外では、相変わらず、重い雨が降り続いていた。

(法の場において、「独り言」と「命令」の違いを、誰が、どう証明する。わしがそう主張しても、それを信じるかどうかは、裁く者の胸三寸だ。……いや、もはやそんな些末な理屈で、殿の御心が動くとも思えぬ)

半平太の脳裏には、これまでの数々の場面が、走馬灯のように駆け巡っていた。行灯の灯りの下、静かに墨を磨りながら「不浄だ」と呟いたあの夜々。その言葉の裏で、以蔵が闇の中に消え、返り血を浴びて戻ってくるまでの、あの静かな待ち時間。自分は、決して「殺せ」とは言わなかった。だが、その沈黙こそが、最も雄弁な命令であったことを、半平太は今、誰よりもよく理解していた。

(わしは、ずっと、自分の手を汚さずに、人を殺してきたつもりでおった。……だが、それは、ただの幻想であったのかもしれぬ)

その自覚は、半平太にとって、これまでのどの絶望よりも、深く、重いものであった。以蔵の証言は、単に半平太の罪を証明するだけではない。半平太自身が長年、自分に言い聞かせてきた「わしは手を汚していない」という自己欺瞞そのものを、根底から突き崩すものであった。

(……そうか。もう、言い逃れは、できまい)

半平太は、静かに、そう呟いた。その声には、諦めとも、安堵ともつかない、奇妙な静けさがあった。

(考えてみれば、わしは、これまで一度として、自らの手で、人を仕留めたことは、なかった。……いや)

その事実に、半平太は、改めて、思い至った。東洋も、井上も、本間も、目明かしどもも。すべて、他人の手によって、命を絶たれていった。自分は、常に、その言葉だけを、静かに紡いできただけであった。

(それは……。頭領としての采配であったからか。それとも)

半平太は、その問いを、これまで、幾度となく、自分自身に投げかけてきた。だが、今、この期に及んで、半平太は、ようやく、その問いに、正直に向き合う覚悟を、持つことができた。

(……いや、違う。わしには、その勇気が、なかったのかもしれぬ)

その一言を、半平太は、誰にも聞こえぬ声で、そっと、口にした。剣の腕には、誰よりも自信があった。木刀を交えれば、負けたことなど、一度もなかった。だが、その剣を、実際に、生きた人間の肉に突き立てるという一線を、半平太は、生涯、一度も、越えたことがなかったのである。

(幼き日、あの雨の中で見た、真剣の一閃。あの光景が、わしの中に、消えることのない恐怖を、植え付けたのだ。……その恐怖から、目を逸らし続けるために、わしは、理屈を並べ、他人の手を借り続けてきたのではないか)

その自覚は、半平太にとって、これまでの人生すべてを、根底から問い直すものであった。頭領としての采配、忠義のための決断、大義のための犠牲――そう自らに言い聞かせてきた、あらゆる正当化の言葉が、今、その奥にある、一つの、単純で、そして、あまりに人間的な真実の前に、静かに、色褪せていった。

(わしは、臆病な男であった。それだけのことだったのかもしれぬ)

窓の外の雨音だけが、その静かな独白を、いつまでも、包み込んでいた。

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