表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
93/106

第九十三話 幕を引く者

 その自白の引き金となったのは、他ならぬ、あの毒殺計画であった。以蔵は、獄中で交わされたやり取りの断片から、自分がかつて、師の手によって、毒を盛られようとしていたことを、知ってしまっていたのである。

「……武市さんは、もう、昔の武市さんじゃ、ないがや」

拷問部屋の冷たい石畳の上、以蔵は、誰にともなく、掠れた声で呟いた。

(先生は、わしに毒を盛ろうとした。……たとえ、それを、思いとどまってくれたとしても。先生の頭の中には、確かに、わしを消すという考えが、あったがじゃ。……俺を、道具やと思うちょる。最初から、最後まで、ずっと、そうやったがじゃ)

その事実を知ってしまってから、以蔵の中で、何かが、完全に、壊れてしまっていた。師への忠誠も、仲間への義理も、すべてが、この長い拷問と、あの毒殺計画を知ったことによって、すり減り、消え失せていったのである。

「……もう、これ以上は」

以蔵の口から、そう、言葉が漏れた。

「もう、疲れたがや。……もう、これ以上、隠すことは、できません」

その一言を境に、以蔵の口は、堰を切ったように、開いていった。だが、半平太の願いも虚しく、以蔵の自白は、一度始まると、止まることがなかった。東洋暗殺の経緯、井上佐市郎の一件、本間精一郎、目明かしどもの天誅。それらすべてが、以蔵自身の口から、克明に語られていったのである。

その報せを受けるたび、半平太は、深い無力感に打ちのめされた。

(もはや、あやつの口を封じることでは、誰一人、守ることはできぬのだ)

その事実を、半平太は、ようやく、はっきりと認めざるを得なかった。以蔵の実家への使いも、親の許しを待つという猶予も、すべては、もはや、意味を失っていた。以蔵は、自らの意志とは関わりなく、拷問という力に、そして、あの毒殺計画を知ってしまったという絶望に、屈してしまったのである。

(以蔵……。おんしを、責めることなど、できはせぬ。わしが、おんしに、あのような計画を、思いつかせてしまった。……あの責め苦の前では、わしとて、同じように、屈しておったやもしれぬ)

その諦観が、半平太の胸に、静かに広がっていった。だが、その諦観の中から、半平太の中に、一つの、新しい決意が、はっきりと形を成し始めていた。

夜、獄吏から、以蔵の自白の詳細を伝え聞いた半平太は、しばらくの間、身動きひとつできなかった。

(もはや、言い逃れの余地は、どこにも残されておらぬ)

これまで、半平太は、頑なに「証拠なきことは認めぬ」という立場を貫いてきた。だが、以蔵という、もっとも近くにいた者の証言が、これほどまでに詳細に積み重なっていけば、その姿勢も、もはや、意味を失う。

(もはや、罪を隠すことも、罪を軽くすることも、できはせぬ。……ならば、わしにできることは、ただ一つ)

半平太は、獄舎の冷たい壁に、静かに、背を預けた。

(わし自身の死を、誰よりも壮絶なものにすること。この命一つで、これまでのすべての罪を、この身に引き受け、幕を引くこと。それこそが、今のわしに、残された、唯一の道だ)

その決意は、これまでの「生き延びて再起を図る」という、密かな野心とは、まるで異なるものであった。半平太は、もはや、自分の命を惜しむことを、完全に、やめていた。ただ、その死を、いかにして、意味あるものにするか。それだけが、半平太の胸の内に残された、最後の、そして唯一の目標となっていたのである。

(わしの死に様一つで、以蔵の罪も、同志たちの死も、そのすべてに、一つの区切りをつけることができるはずだ。……この土佐勤王党という物語を、わし自身の手で、締めくくらねばならぬ)

その覚悟が、半平太の中に芽生えたとき、彼の脳裏に、ふと、これまでの人生の様々な場面が、次々と、蘇ってきた。富子と出会った、あの婚礼の夜。義太夫を唸っていた、あの穏やかな日々。東洋を斬らせた、あの雨の夜。以蔵の泥だらけの顔を拭ってやった、あの日の記憶。

(わしの人生は、いったい、何であったのだろうか)

その問いに、半平太は、まだ、明確な答えを出すことができなかった。だが、その答えを、これから訪れる「死」という最後の一幕をもって、自らの手で、示してみせる。それこそが、半平太に残された、唯一の、そして最も誠実な生き方であるように、半平太には、思えたのである。

その覚悟は、半平太の中で、日を追うごとに、より鮮明に、より強固なものへと、育っていった。以蔵の自白によって、これまで積み上げてきたすべてが崩れ去っていく中で、ただ一つ、半平太自身の「最期の在り方」だけが、彼にとって、まだ、自分の意志で選び取れる、最後の領域として、残されていたのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ